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君の隣で奏でたい
君の隣で奏でたい
朝海いよ
現実世界青春学園
2025年05月01日
公開日
8万字
連載中
高校1年生の春日美奈は、毎日どこかつまらない日々を送っていた。クラスの表面的な友人関係に馴染みつつも、孤独を感じていたある日、遅刻常習犯らしき女子生徒・松波奏と出会う。 奏は吹奏楽部には所属せず、一人でトランペットを吹く自由な少女だった。学校をサボる彼女を興味本位で追いかけた美奈は、海辺で奏の演奏を目の当たりにし、その圧倒的な輝きに心を奪われる。 自分とは違う、自由でまっすぐな奏に惹かれた美奈は、彼女の勧めでトランペットに触れてみることに。奏との出会いをきっかけに、美奈の退屈だった日常が少しずつ変わり始める。

第一話 金色の音と灰色のわたし

1

 改札を抜けた瞬間、頭上で発車メロディが鳴り響く。間に合わない。茶色いローファーが、気付けば速度を落としていた。八時七分の電車を逃したわたしに、始業に間に合うバスはもう残されていない。


 重たい脚を引きずるように、鉛色の階段を一段ずつ上がる。肩にかけた学生鞄が、溜息を吐くように揺れていた。そんな中、慌ただしく階段を下っていく学生の群れとすれ違う。軽い足取りで楽しそうに談笑するその姿を横目に、わたしは一つ溜息を吐く。


 笑い声とざわめきが響き合い、楽しげな輪の外にいる自分が別の世界の住人のようだ。どうしてこんなに違うんだろう。ホームにたどり着くと、ひんやりした空気が肌を撫でた。まだ少し眠たげな太陽の光を浴びながら、古びた黄色いベンチに腰掛ける。二回折りをしたスカートから伸びた脚に、冷ややかなプラスチックの感触が伝わった。


 次の電車は、十分後だ。身体に溜まっていた空気を吐き出して、革製の鞄からスマートフォンを取り出す。少し使っただけの鞄は所々傷が付いていて、もうすっかりくたびれているように見えた。


 ホームに滑り込んできた八時十七分の電車に乗り込み、高校の最寄り駅できちんと下車する。ラッシュを過ぎた駅は少しずつ落ち着きを取り戻しており、普段は学生で溢れかえっているバス停前も、今日は老人が数人立っているだけであった。その後ろに規則正しく並んでいると、ブレザーに入れていたスマートフォンが小刻みに震える。


 『遅刻? 先生には一応そう伝えておくね、待ってるよ〜』とメッセージが汗を吹きながら浮かんでいる。クラスメイトから送られたメッセージを眺めながら文字を打ち込んで、しばらく指を止める。……ちょっと違うかも。文字を消し、『寝坊しちゃった! 頑張るから待っててね〜』と猫の「ごめんね」スタンプを添えて送る。吹き出しの隣には即座に既読の文字が付き、『りょうかい!』と、うさぎが敬礼をするスタンプが寄越された。話が落ち着いたことを確認すると、溜息と共に画面を落とす。これからも、こんなやり取りは何度も続いていくのだろう。先ほどまで眺めていたトーク画面を思い出し、苦笑しながら息を吐く。


 大丈夫。今日もわたしは、うまくやっていけるはず。


 たまたま同じクラスになって、なんとなく行動を共にしているだけのクラスメイト。教室の移動を共に行い、気怠い昼休みにどうでもいいような話をし、一人ぼっちにならないように、その場しのぎで作られた表面上の関係。クラスで浮かないために、例え面倒臭くても周りに合わせることが大切だ。一人で居ると笑われる、憐れまれる。それよりも、適当な誰かと共にいる方がきっといい。


 知り合ってもうすぐ三ヶ月経つが、未だに彼女たちのことはよく分からない。昼休み、いつものように上滑りする会話をしながら、わたしはただ頷いているだけ。それでも、彼女たちは満足そうに笑っていた。


 今年度中は、こんな関係が続くのだろう。そして学年が変わった瞬間、その絆は緩く結ばれた糸のように、はらはらと解けてしまうんだろう。春が来て、また誰かと適当な関係を紡いでいく。わたしの人生における人間関係なんて、きっとそんなことの繰り返しだ。


 バスに老人の背中を追いながら乗り込んで、がらりとした車内の二人席を陣取る。鞄を置いて顔を上げると、制服を着崩した同じ学校の女子生徒が視界に入り込んだ。遅刻確定なのに彼女は平然と扉にもたれかかり、大きなヘッドホンで耳を塞いでいる。だらんと伸びた片手が、リズムを取るように小さく揺れていた。


 ショートカットですらりとした体型の彼女は、背中に大きな荷物を背負っていた。黒いプラスチック製のケースが、中身に合わせて湾曲している。何かの楽器かなあ。わたしはもの珍しさで、彼女が背負っている荷物をなんとなく眺めていた。


 バスは定刻通りに高校前のバス停へ到着した。海が近いからか、途端に潮の匂いが鼻につく。バス停で降りたのは、わたしと黒い荷物を背負った彼女だけだった。先頭を歩く彼女は、校門の向こう側の校舎をぼんやりと一瞥し、あくびを一つ。そして、門を通り過ぎ、そのまま歩道を歩き出した。彼女が履いたスニーカーの靴紐が地面に擦れ、リズミカルに音を立てている。


「えっ」


 仄かに漏れた声は、きっと彼女のヘッドホンの音に掻き消されていただろう。わたしは足を止めて、少しずつ離れていく彼女の後ろ姿を呆然と眺めていた。


 高校の入り口、こっち側ですけど……。


 そんなこと、言わずとも彼女は分かりきっているだろう。堂々としたその姿は、まるでどこか決まった場所を目指しているようだった。


 退屈な日常に、何か刺激が欲しかったのかもしれない。好奇心が顔を覗かし、気がつけば、そろりそろりと彼女の後ろを付けていた。一体どこに行くんだろう。

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