高校前の通りを歩きながら、彼女は制服のネクタイを外し、藍色のブレザーを脱ぎ、肩に掛けたぺちゃんこのスクールバッグに突っ込んだ。制服の個性が表れるこの二点を外してしまえば、一見して通っている学校を特定することは難しい。さてはサボり常習犯だなあと思いながら、その背中を追いかける。
交差点を抜けると、海沿いの大きな公園にたどり着く。防砂林が生い茂る公園は、平日の朝ということもあり、時々暇そうな老人が散歩をしているだけであった。潮の匂いが近づき、波の音がする。
彼女は足を緩めることなく公園内をどんどんと突き進み、海まで出たかと思えば砂浜を歩き続け、浜辺の端にある防波堤に腰掛けた。波は穏やかで、ぴちゃりぴちゃりと水遊びをするような音が響いている。わたしは咄嗟に、近くの岩場に身を潜めた。
彼女は背負っていた荷物を地面に下ろし、中から金色の物体を取り出した。すっかり上ってしまった太陽の光を燦々と反射している楽器は……トランペット?
輝く楽器を大事そうに抱えながら、ヘッドホンを外し、無言のまま立ち上がる。潮風が、彼女の黒い短髪を優しく揺らす。長い脚を開き、堂々とした佇まいで楽器にそっと口付けた。
ほんの一瞬だけ、世界が息を呑む。そして次の瞬間、澄んだ音が空気を切り裂き、光が跳ねた。トランペットの音は鋭く高く、まるで空を切り裂く矢のようだった。波の音すら一瞬止まり、わたしの耳に熱く響く。五月の光が、彼女をスポットライトのように照らしていた。
眩しいと思った。
金色の光を放つトランペットも、涙が出るくらい毅然とした演奏をする彼女の姿も。太陽に照らされたトランペットが、まるで炎のように輝いている。この子の演奏を、もっと聴いていたい。
彼女が最後に吹き出した音の余韻が消えたとき、わたしはつい立ち上がって手を打っていた。頬が熱い。こんな演奏を、わたしと同い年くらいの女の子がしているだなんて、とても信じられない。どうして、こんなにも眩しいのだろう。羨ましいな。視界がチカチカと眩く、まるで頭を何かで殴られたようだ。
「え?」
楽器を手に持った彼女が、目を丸くしてわたしを見る。そこでわたしは、自分が彼女を追ってここまで来たことを思い出した。しまった。全身が熱を帯び、汗が勢いよく吹き出す。
「あ、あの……違くて、あまりにも素敵な演奏だったから、聴き入ってしまったというか、その、けして不審な者では無くて……!」
両手をあたふたさせながら弁解すると、彼女はきょとんとした後、お腹を抱えて笑い出した。
「ははっ、そんなガチガチに緊張しなくてもいいじゃん」
肩を揺らして笑う彼女の顔は、演奏していたときの凛とした表情とはまるで違った。なんだか、ちょっと子どもっぽい。彼女は笑いながら、わたしとの距離を縮めてくる。
「いや、だって……」
「っていうかさ、すごいね。私の後をこっそりつけてきたんでしょ?」
「えっ、違っ……」
「バレバレだって。後ろからなんか視線感じるなーと思ってたんだよね」
距離がすっかり縮まると、彼女はニヤリと笑って、トランペットのベルをわたしの身体にコツンと当てた。
「ま、いいけどさ。演奏、聴いてくれてありがと。まだ練習中だから、あんまり上手くなかったと思うけど」
「ぜ、全然そんなことないです! その、すごく……キラキラしていて……かっこよかった、です」
「そう? まあ、私にはこれしか無いからね」
彼女はそう言うと、何かを振り払うように視線を逸らした。その横顔には、演奏しているときの自信とは違う、どこか遠くを見つめるような表情が浮かんでいた。
身体はまだ熱を持っていた。頭はふわふわと夢見心地で、音の輝きが、まだ辺りに漂っているような気がしていた。彼女は、どうしてこんなにも眩しいんだろう。本当に、わたしと同じ高校生?
その姿を眺めていると、彼女と視線が交わった。その視線は、わたしの表面をゆっくりとなぞっていく。
「きみは……一年生? こんな時間にここに居るなんて、サボりだね」
「うっ」
痛いところを付かれ、つい身を引いてしまう。サボりにサボりを指摘されてしまうだなんて。しかも、向こうは常習犯っぽいし。困っているわたしを見かねてか、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。白い歯が、唇の隙間から覗いている。
「大丈夫大丈夫、私も一年だし。すごいサボってるから。仲間だね」
「えっ、一年なんですか」
「一年C組、松波奏」
松波奏、という名前を頭の中で反芻させる。クラスメイトの名前をまだ半分も覚えていないわたしが、他クラスの彼女の名前を知っているはずも無い。それに、C組は体育の合同授業でも被る機会が無いし、教室も遠いし、全く接点の無いクラスだった。そんなクラスの、しかもサボり魔の彼女のことなんて、知らなくて当然だ。
「一年G組の春日美奈で……す」
同じ学年の彼女に敬語を使うべきか、でも初対面だしなあと気を揉んでいると、松波奏は軽く笑った。