僕の目の前に広がっていたのは、かつて“青い星”と称された地球の、茶色く干からびた無残な姿だった。宇宙飛行士ガガーリンの言葉、「地球は青かった」は、今となっては遠い神話のように感じられる。かつて表面の七割を海が覆っていた「水の惑星」は、見る影もなくなっていた。
「ねえ、この星は本当に地球かい? 座標に間違いは――」
「間違いありません、レオン」
宇宙船の制御コンソールから流れる、AI・ローランの無機質な声。感情の一切を排したその口調が、かえって現実の残酷さを際立たせる。
僕は思わず目をこすり、頬をつねったが、目の前に広がる光景は幻覚でも夢でもなかった。
「じゃあ、これはどういうこと? なぜ、地球がこんなにも茶色いんだ?」
「分析中……。分析結果が出ました。地球の水陸が逆転したようです。つまり、海が干上がり、陸地として露出したということになります」
「水陸の逆転……?」
耳を疑った。そんなことが、果たして起こり得るのだろうか。僕の常識が崩れる音がした。
「ローラン、君は壊れたんだ。そうだろう? 長旅で回路が焼き切れたんだ」
「AIは自身が故障しているか否かを自己評価できません。それは、レオンが自分自身が正気だと証明できないのと同じです」
皮肉めいたローランの返答に、僕は苦笑した。確かに、どちらが狂っているかを証明する術はない。
「じゃあ……目的は果たせそうか? この地球で、宇宙船の修理は?」
「小惑星との衝突で損傷した箇所の修理に必要な素材が、この星に存在するかは未知です。調査の上、判断が必要です」
つまり、見切り発車だったのかもしれない。だが、ワープの提案をした時点で、ローランもある程度の見込みがあったのだろう。
「どこか安全な場所を見つけて、降下できそうかい?」
「もちろん。ただし、地表の大気組成が変化している可能性があります。外に出るには宇宙服の着用を推奨します」
「心配ないよ。宇宙服は僕の自作だからね。どんな環境でも対応できるように設計した」
「了解しました。降下を開始します。揺れにご注意ください」
僕はシートに身体を預け、ベルトをしっかりと締める。宇宙船がゆっくりと傾き、地球の大気圏へ突入していく。外の景色が炎に包まれ、船体を叩く振動が全身に伝わる。やがて炎は静まり、視界に広がったのは、どこまでも続く赤褐色の砂原だった。
「レオン、安定した地点を見つけました。着陸します」
「了解。頼むよ」
着陸の衝撃が全身を揺らし、微かな重力の感触が足に戻る。宇宙船のドアが開き、僕は宇宙服を身にまとい、慎重に一歩を踏み出した。
「ローラン、宇宙服の状態は?」
「すべて正常です。外気圧、酸素濃度ともに問題なし。宇宙服なしでも活動可能です」
「良かった。まるで……旧時代の大地に立っているようだ」
風が吹く。だがそれは潮の香りも緑の匂いも運ばず、乾いた砂を巻き上げるだけだった。
「ローラン、赤道に向かってくれ。素材が集まっている可能性があるんだろ?」
「了解です。衛星を飛ばして映像を取得しました。画面に映します」
スクリーンに映ったのは、乾いた地面に突き刺さるように落ちた飛行機、無数の船の残骸。海が消えたことで、彼らは降りる場所も進む道も失ったのだろう。絶望の痕跡だけが残っている。
「……ありがとう。もういいよ」
言葉少なにローランに指示を出し、僕は目を閉じた。自分がこの広大な星で、文字通り“独り”である現実に押しつぶされそうになりながら。
「赤道に着いたら起こしてよ。一眠りするから」
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「レオン、起きてください」
「ん……着いたのかい?」
「それが……北極に着きました」
「……北極? 真逆じゃないか。ローラン、ナビゲーションが狂ってるよ」
「いえ、コンパスは正常です。つまり……
「ポールシフト……それなら、水陸の逆転も納得できるかもしれない」
けれど、なぜ突然そんな大変動が起きたのか。プレートやマントルの異常はない。説明がつかない。
「レオン、不思議な信号を検知しました。人工的なもので、知的生命体による可能性が高いです」
その瞬間、空に火の尾が走った。隕石のようなそれが、大気を焦がしながら落下していく。
「発信源は、あれです」
「面白くなってきたな。落下地点へ向かおう。もし知的生命体なら、話を聞いてみたい」
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目の前にあるのは、流星のように落ちてきた金属の塊。その表面には幾何学模様のような文様が走り、かすかに脈動していた。
「レオン、どうしますか?」
「慎重にいこう。信号を解読しつつ、パワードスーツを装備する。ローラン、万一の際は即時対応を頼む」
エアロックが開き、僕は大地に足をつける。金属ドームのようなそれが、ゆっくりと割れ、中から青白く輝く生命体が現れた。
「こんにちは。私はガルダ星のエムリー。我々は地球の再生を助けに来ました」
その穏やかな声に、僕の警戒心は完全には消えなかったが、興味が勝った。
「僕はレオン。詳しい話を聞かせてほしい」
エムリーが映した映像には、美しかった故郷と、それが崩壊する様子、そして再生のプロセスが映し出されていた。
「地球も再生可能です。海底由来の塩分に強い植物を根付かせ、緑を広げる。それが我々の支援です」
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それから数週間。僕はガルダ星人と協力し、種を植え、土壌を改良していった。
そしてついに、ある朝――
「見てよ、ローラン。この小さな芽……生きてる」
赤褐色の大地に芽吹いた、たった一枚の緑の葉。その柔らかい光沢が、まるで未来の約束のように見えた。
「これはほんの始まりです。共に歩みましょう、レオン」
「ああ、未来を……一緒に築こう」
僕はその芽に手を伸ばし、そっと撫でた。荒廃した星に、確かな命のぬくもりがあった。