俺の名前はノラ。地球ではただの猫と呼ばれているが、本当はZKT-α系統第7星団出身の知性体だ。人類の基準で言えば、IQはたぶん450くらい。だけど、それは誰にも教えない。なぜなら俺は、猫としてモフられたいからだ。
温泉旅館「月影の湯」は、山奥にひっそりと佇む小さな宿。女将のナツコは、俺のことを「ノラちゃん」と呼んでかわいがってくれる。風呂あがりの客たちは、俺の毛並みに触れたがる。「ふわふわ〜」だの「神の手触り」だの、何度言われたか数えきれない。最高だ。人類、このまま滅びなければいいのに。
だが、その日は突然やってきた。ナツコがテレビをつけると、画面には地球上空に出現した巨大な異星構造体。オーグ・レジル星連邦の戦闘母艦――まさか、奴らが地球に手を出すとは。
「何これ……映画じゃないの?」
ナツコの声が震える。
テレビの中で、都市が一つ、また一つと焼かれていく。俺は膝の上で寝転がっているふりをしながら、超感覚チャネルを起動した。やはり、オーグ・レジルの進行パターンは予測通り。地球の軍事力では、あと72時間も持たない。
ナツコが言った。
「ねえ、ノラちゃん……なんだか、嫌な予感がするの」
そうだな。俺もだ。お前ら、何も知らないんだな。この星が、もうすぐ終わるってことを。
三日後、俺は瓦礫の中に立っていた。ナツコも、旅館も、モフられた日々も、すべてが炎の中に消えた。誰もいない。誰も撫でてくれない。これは、俺の「日常」の喪失だった。
……ふざけるな。
俺はゆっくりと立ち上がる。尻尾を振り、肉球で灰を払う。
「ああ、やってやるにゃ」
宇宙猫ノラ、起動。
目標:オーグ・レジル星連邦の殲滅。
目的:再びモフられる日常の奪還。
瓦礫の中、俺は黙ってアレの前に立った。半壊した客間の中央。あの温泉旅館の冬の名物。そう――こたつだ。ただの家具じゃない。これはKT-01 MofMof(モフモフ)。
地球滞在用に俺が仕込んでおいた戦闘用可変機動兵器の擬態フォーム。擬似布団構造は耐Gクッションとステルス素材の複合体。表面温度は常時38度。猫が絶対に離れない最適設計。つまり、究極のカモフラージュだ。
「……起動コード:ニャンコ星の妹になりたい」
ピピッ。
こたつの内部から、聞き覚えのある少女の声がした。
「……お兄ちゃん? やっと起きたの? ぐずぐずしてるから地球滅びちゃったじゃん」
変わらないな。こいつは、俺が「妹」という存在に密かに憧れていた時期、暇つぶしで自作した人格AIだ。言語パターンは当時流行していたアニメから抽出し、性格フレームは「ツン7割・デレ3割」で設定した。
「まったくもう……こんな世界でも、お兄ちゃんのこと守ってあげるんだからっ」
……よし。戦える。
こたつが変形を開始する。布団部が展開し、重力制御ブースターが姿を現す。脚部ユニットは家具脚から4脚型メカに変形し、背部から展開される熱線砲台が起動音を上げる。
「KT-01 MofMof、戦闘モード移行完了。さあ、お兄ちゃん。宇宙に行こうよ」
こたつの中に、俺は静かに飛び込んだ。この暖かさは、居場所のぬくもりだ。だが今は、牙となる。
目標:オーグ・レジル母艦制圧。
動機:モフられる日々と、妹のいる日常の奪還。
行くぞ。宇宙猫ノラ、発進。
大気圏を抜けた瞬間、静寂が訪れた。地球の鼓動は、もう聞こえない。だがこの冷たい宇宙空間には、明確な殺意が満ちていた。
「索敵範囲に敵性機体。オーグ・レジル製、形状識別コード:BL-R9群。非対話型無人機だよ、お兄ちゃん」
こたつ――KT-01 MofMofのAIが淡々と告げる。声色はどこか不機嫌だ。それもそのはずだ。俺がこたつ布団を蹴って飛び込んだせいで、今さっき内部の湯たんぽモジュールが破損した。
「……ぬくもり壊した罰、あとで覚悟しててよね」
無人機三機。攻撃パターンは収束型レーザースプレッド。機動特性は群体行動、AIは全機共有型。つまり、一手ミスれば即終了だ。
「お兄ちゃん、私に任せて。……ぶっ潰す」
言い終わるより早く、MofMofは展開した。こたつ本体が多方向展開、左右に開いた布団端が重力収束ウィングとして駆動。中性粒子フィールドを破裂的に噴射し、空間をねじ伏せるように加速する。
相対速度:14,000km/h。宇宙猫の反射神経がなければ、今頃、赤いミンチだ。
「お兄ちゃん、右上、0.3秒後に収束! スピンして!」
言われる前に動く。猫型生物の脊椎は高次元反射回路と接続されており、操縦桿すら不要。俺の意思が、MofMofの挙動にそのまま反映される。この機体は、モフられるための身体拡張だ。
「バッファー展開、トーレス粒子充填完了……撃つねっ!」
MofMofの中央、こたつの天板部分が展開。熱源砲「陽だまりレーザー」が放たれる。まるで日向に差す日差しのような光が、無人機群を一閃した。
空間に残されたのは、静寂と赤い蒸気のみ。
「ふん……さすがお兄ちゃん、私のパイロットだもん」
通信が揺れる。その背後から、微かな重力波の揺らぎ。
「……来たか」
次は、本隊か。奴らはもうこの宙域を掃除対象と見なしている。
俺は、こたつの中で丸くなる。戦闘の余熱を感じながら、次の敵を迎える体勢に入る。
妹AIが言った。
「お兄ちゃん……ぜったい、またモフられる日常に戻ろうね」
その言葉に、少しだけ、爪を引っ込めた。
交戦宙域を離脱して、俺は低軌道に入った。この星の大気はもう、モフを喜ばせる湿度も香りも持っていない。壊滅した惑星――地球は、静かにただ、回っていた。
「……母艦反応、まだ出ないね」
MofMofが呟く。こたつ内部のパネルに、情報が表示されていく。敵の残滓、残骸、粒子拡散図――どれも俺にとってはモフの邪魔でしかない。
「ちょっと、お兄ちゃん。何ぼーっとしてるの?」
「……ログを再生する」
「えっ、それって……!」
MofMofが声を震わせた。俺は、再生コードを送信した。あの時の記録だ。地球壊滅の瞬間。俺が猫を演じていた、最後の一日。
再生映像の中。人間たちは笑っていた。温泉旅館の朝。小学生の女の子が「ノラちゃん、おはよう!」と俺を抱きしめる。俺は鳴き声をあげず、ただ喉を鳴らして応えた。彼女の手のひらは、柔らかくて温かくて。……俺にとって、世界そのものだった。
次の瞬間。光。観測不能レベルの質量砲撃。地球重力圏外より着弾。観測衛星「ヤタガラスIV」はそのエネルギーを「惑星割りクラスター」と記録。地表の43%が瞬時に蒸発し、電磁層は崩壊。旅館も、彼女も、音も、香りも、すべて消えた。
映像が終わる。
「……もう一度、モフられるには、あいつらを止めるしかない」
「お兄ちゃん……」
MofMofが言葉を詰まらせる。こたつ内部の空調が、わずかに湿度を上げた。多分、俺の体温を読んでの判断だ。
「敵母艦探知。距離、27万km。空間湾曲の兆候あり」
「来るな……本隊だ」
再起動コードを走らせる。MofMofの機体各部が再度変形し、攻撃重視形態に移行。布団部は折りたたまれ、背面砲台に。天板が開き、新たな砲門が露出する。
「お兄ちゃん、私、準備できてる。……行こう」
俺は無言でうなずいた。かつて「温泉旅館の猫」として過ごしていたこの身体が、今や地球最後の戦士だということに、まだ少しだけ、違和感がある。でも、構わない。
俺は、もう一度モフられたい。それだけだ。
敵母艦は、まるで彗星のように宙域に現れた。重力場を押しのけるように、滑らかな黒金属の巨体が虚空を滑る。
「艦種:ガルディア級制圧母艦。砲塔数:不明、全長:3.6km。旧銀河評議会では『自律神経型惑星破壊機』って呼ばれてたやつだよ」
MofMofが軽く言う。妹AIの声に、震えはなかった。それが逆に、重かった。
「お兄ちゃん、今から突っ込むなら……肉球の準備、しておいて?」
「当たり前だ」
俺は自分の前脚を舐め、毛並みを整える。敵中枢に突入する時、パイロットが乱れていては失礼だ。
「陽だまりレーザー、充填完了。中性波シールド、展開。ステルスモード、オフ。いこう、お兄ちゃん。……あったかい未来を、取り戻そう」
コアブースターが点火。MofMofの天板が全開し、三重のリング状推進フィールドが宙に展開される。――この形態を、俺たちは「ホットカーペットモード」と呼ぶ。
重力慣性を逆位相に振り切り、母艦装甲に突入。空間が砕けるような衝撃。対流がない宇宙で、熱震だけが身体にのしかかる。
「内部構造マップ、解析中……って、え、あれ? これ……お兄ちゃん、変だよ!」
「何が」
「敵母艦、猫の骨格構造を模してる! 通路が脊椎っぽい、しかも関節位置にエネルギー制御核があるの!」
理解が追いつかない。敵が――俺たちの形状を模して、戦艦を造った?
「……観察されてたのか、地球猫。あるいは――模倣された?」
「にゃ……にゃんでそんなことするの!?」
通信がノイズを含んだ。その刹那、母艦内側の装甲がパカリと割れ、巨大な瞳孔が開いた。
「お兄ちゃん……出てくる、敵AI核だ!」
「任せろ」
俺は飛ぶ。こたつの布団が左右に展開し、俺を射出する投擲姿勢へ。その先にあるのは、敵AI核――かつて俺の飼い主の笑顔を奪った元凶だ。
「……全弾、肉球モードでいく。奴を潰す。俺は、もう撫でられない日常に戻るつもりはない」
そして俺は、突入した。猫型生命体、単独肉球強襲作戦開始。
敵AI核との交戦は、すでに戦闘というより演算干渉戦だった。動きを読まれ、射線を潰され、こちらの粒子軌道さえも予測される。
「……あれ、人間で言えば予知能力クラスだよ。お兄ちゃん、被弾率99.7%だよ!」
「1発で十分だ。あとは全部撫で回避だ」
俺は身を縮め、前脚を丸める。猫の動きは直線じゃない。時に不定形の流体のように変化する。
それが、銀河AIにとってのバグになる――そのはずだ。
「想定外動作、再計算――再計算……不可。観測不能構造体、接近」
敵AIのボイスが割れた。ついに、猫の動きがやつの認知の限界を超えた。
「MofMof、今だ。陽だまりレーザー、全照射。目潰しだ」
「りょ、了解! しっぽモード、展開ッ!」
背部砲塔がふわふわの尻尾型に変形し、波長干渉レーザーを叩き込む。敵の瞳孔が一瞬にして収縮する。
その隙を突き――俺は跳んだ。爪の代わりに装着された、ナノ粒子融合爪(MFN-3)が敵AI核へと突き刺さる。
「――接触。AI核、異常加熱。沈黙まで……3、2、1」
最後に聞こえた敵AIの声は、鳴き声だった。
「……にゃあ」
何かを、模倣していたのかもしれない。猫を、俺たちを、地球を。
爆砕とともに母艦は崩壊し、俺とMofMofは辛うじて脱出した。
「生きてる……?」
「もちろんだ。これからモフられに行くんだからな」
「……うん、お兄ちゃん。そうだね」
だが、次の瞬間。こたつの航行センサーが銀河域外に反応を示す。
「この信号、地球猫と同系統――!?」
「生き残りか……」
俺は前脚でこたつの操縦端末に触れた。目指すべきは、まだ見ぬモフられたい猫たちの群れ。そこに、もう一つの地球があるのかもしれない。
「いこう、MofMof。これからが本番だ」
「うん! お兄ちゃん、私たちで――宇宙をモフモフにしよう!」