いつの日か忘れたが、母と最初で最後の親子喧嘩をした。数年前に父に逃げられた母は私を女手一つで育ててくれた。父はいなくても楽しかった。喧嘩をするその日までは。
その日は珍しく酔った母親が帰ってきてそこから喧嘩が始まっていたような気がする。
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娘には、私のような人生を歩んでほしくなかった。ただそれだけのために毎日死ぬ気で働いていた。なのに、あの日の私は”あの人に似ている”という、その理由だけで娘に強く当たってしまった。酔いも回っていたせいか自分の腹の底にあったものを全て娘にぶつけてしまった。
私は母親失格だ。
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ドアの閉じる音と共に彗星は廊下へ飛び出す。玄関まで急ぎ足で進んでいくと玄関で倒れ込んでいる母がいた。あまりお酒が得意ではない彗星の母は酔いが回ると口元が緩くなる。それを知ってか彗星の母は家ではお酒は口にしない。ただ、たまに外でお酒を飲んでしまい酔いつぶれることもしばしばだった。そしてこの日、彗星が母親の前で一切の感情を出さなくなった日。玄関で蠢く母を少し小言を言いながら運ぼうと彗星は母へ肩をかす。
「ちょっとお母さん。こんなところで寝たら風邪ひくよ?部屋まで連れて行くから肩貸して。」
「っさいな~気持ちよく酔ってんのに~」
フラフラとしている母をしっかり支え、彗星はリビングまで運ぶ。ソファへと座らせると、彗星はレトルトのシジミ味噌汁と水を用意する。普段は、喧嘩もするが彗星は母親が頑張っていることを誰よりも知っている。シジミ味噌汁と水を運び母の前に出して、飲むように言うが、母はその溝汁をわざと倒す。彗星はこんな日もあるか…とこぼした味噌汁を拭こうとティッシュを取り出すが、母はその行動も妨害するように彗星の邪魔をする。
「ちょっと、お母さん。やめてよ。」
「なんだ~?こんなことして恩を返したつもりか~?」
「いや、そんなわけないじゃん。お母さんは私のために頑張ってるからせめてものねぎらいで……」
全て言い終えようとしたところで母は味噌汁まみれの机を叩く。そこらに飛び散った味噌汁。もちろん、自身のスーツにも彗星の顔にもかかっている。母はそのまま彗星を睨みながらつらつらと言葉を並べ始める。
「私のこんな姿を見て楽しいか?嬉しいか?惨めに毎日働いて、その金は全部あんたの為に消える。それで?聞いてもないのに学校での出来事とか、将来の夢とか、私のできなかったことができてそんなに楽しいか?お前も見下してんだろ?毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、私は死にそうになってんのに、私はお前より頑張ってんのに……なんで、お前を生んだんだろう。ねぇ?教えて、お前はなんで生まれてきたの?なんで?お前を見るたびにあいつのことを思い出す……」
母親は瞳に涙を溜める。彗星は母のその言葉を聞いて固まる。今まで嬉しそうに学校での話を聞いていた母の腹の底はこんな、ひどく、醜く、残念なものだったのかと彗星は絶望した。そしてハッと我に返り、彗星はこぼした味噌汁を拭く。母はそのままお風呂に入る為リビングを後にした。母がいなくなったのを見ると彗星は一気に涙を流す。もちろん、母も人間だからそんなことを思うのは分かっていた。だが、本人から直に言われるとこんなにも傷つくものなのだと痛感する。ふと、包丁が目に入る。
──────このまま死んでしまおうか。
そんな考えが頭をよぎるが、すぐに振り払った。そして廊下へ出るとシャワーの音が聞こえてきた。母がお風呂に入っているのを確認すると彗星は頭を冷やすため一旦家を出ることにした。以降、帰ってきた彗星の瞳には光が宿っていなかったそうだ。
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「そのあと、娘は帰ってきましたが、今までの顔つきではなくなってて、私との会話も減っていきました。私が悪いんです……私があの日ちゃんとまっすぐ家に帰っていれば……私がお酒なんて飲まなければ……」
彗星の母は電話越しの我楽へ涙ながらにその日の最初で最後の大げんかの話を終えた。彗星は家に帰ってきた時には目に光が宿っておらず、酔いが覚めた母は彗星へ誤ったが、彗星はただただ微笑み「ううん、私が悪かったから大丈夫。お母さん大好き。」と言って部屋へと戻っていったそうだ。そのあとも何をするにも母へ指示を仰ぐようになった彗星の背中は完全に抜け殻となっていた。
「なるほど……ストレスか……」
電話を終えた我楽は顎を撫でて長考する。自分が彗星の担任になった時にはすでに今の状態だったと考える我楽は生徒の名簿を見て再び長考する。
「共通点が少なすぎる。これは……」
我楽は政府関係者へ連絡をした。
「こちら、我楽です。私の担当している生徒たちの家庭環境に至るまでを調べてほしいんですが……はい、恐らくストレスが原因かと思います……はい、それを調べるために……はい、お願いします。」
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”ボウズ。お前はもっと自分に自信を持て。”
いつかの言葉だった。
鋭い拳をいなし、難場 十三は元BLACK D.O.G元隊長の言葉を思い出す。
先鋭部隊BLACK D.O.Gは今の我楽隊長ではなく、別の隊長に指揮を任せていた。
その人はおおらか、おおざっぱ、おおきいの三拍子でまるで、大きなやさしさに包まれているような気分になる感じの人だった。父がいたら恐らく、こんな感じなのだろうと難場は妄想までしていた。
「あっは!どうした?先ほどから避けてばかりだぞ?もっとガンガンに攻めてこないとつまらんぞ?」
「どうも、あなたのような人とは気が合わないらしい。なので、このまま、時間稼ぎをさせてもらう。」
「あっは~!つまらんな~」
拳を受け止めようと肘を構えるが、そんなことお構いなしに男は難場を殴りつける。
もちろん、何度も隙を見せた男だが、難場はそれにすら気づかない、反応しない。
いや、それこそわざと反応しないし、気づかないようにしているのだ。
『相手の異能力はおそらく、何かしらの強化系もの。それが筋力なのか、物理法則などのものなのか、キャパが裂けない。どうすればいいか。』
「君の考えていることわかるよ。俺の異能力だろ?」
攻撃の雨が止むとすでにボロボロの体で難場は肩で息をしながら拳を構える。
「それじゃ、教えてください。あなたの異能力。」
「特別に教えてやろう。俺の異能力名は
「なるほど、だから、ありえないことができたんですね。」
ホッとため息をつく難場に男は殴り掛かってくる。
「ついでに名前も異能力名で呼べ。その方が楽だ。」
「いや、そうではないですよね?名前、明かすことができないんでしょう?」
異能テロリストや犯罪者集団は常に狙われる立場である。
いくら犯罪者とは言え、血縁にまで被害が及ぶのは避けたい。
なので、犯罪者集団やテロリストたちは互いに異能力名で呼び合っている。
「さすがだ、さすが元BLACK D.O.G。うれしいぞ俺は。」
「僕はうれしくないです。」
難場は焔戸からの通信を今か今かを待ち望んでいる。
Ep16:FIN