一狼の鼻孔に広がったのは血の匂い。生臭い鉄のような錆臭を感じ意識を覚醒させると目の前には手のひらが迫ってきていた。学校での光景、恐怖心が呼び起こされて一狼はその手を反射的に掴み、先手を打つように肩に咬み付く。
「お前、まさかディウスなのか?」
その言葉で一狼は咬み付いた肩の主を見る。月下のその顔は険しく物悲しそうにこちらを見つめている。一狼は驚きながら女性から離れる。
「ご、ご、ごめんなさい…僕はなんてことを……」
「傷など今はどうでもいい……答えろ。お前、ディウスなのか?」
一狼は月下の言っていることが分からず固まる。ディウスとは何なのか、先ほどのバケモノと関係あるのか。そんなことを考えながら首を傾げる。
「自覚がないタイプか……養殖型だな……」
「養殖?な、何のことだかさっぱりなんですが……」
月下は一狼を睨むと頭を掴み顔を近づける。
「お前、自分のことを説明できるか?」
低くうなるような声にバケモノを見るような目。一狼はそんな月下の質問に頭を回転させる。だが、いくら頭を回転させて記憶をたどったところで一狼の記憶は自分の名前しか出てこない。それ以外のことは何もわからない。思い出せないとか、ド忘れしたとかそんなものではない。完全に知識として記憶されていないのだ。
「そ、そんな、僕は……僕は……」
頭を抱える一狼に月下は頭を離しながらベルトを腰に巻く。
『
「事情がどうであれ、
月下は変態すると一狼の首を掴み持ち上げる。一狼は月下を見てその手から抜け出そうと必死にもがく。
「や、やめてください。」
「無理だな。ディウスは天然だろうが養殖だろうが区別も差別もしない。等しく殺す。」
月下がベルトの突起に手をかけた瞬間、背後から攻撃される。思わず手を離した月下はすぐに立ち上がり臨戦態勢に入るが、一狼を抱き上げる八雲と目が合う。
「……なるほど、そういうことか……やめておけ、そいつは必ず厄介な存在になる。」
「僕には、この子の価値は分からない。でも、カラスマが言うんなら必要な子なのだろう……だから、ここは引いてくれないか?」
「そうもいかない。言っておくが、そこの養殖型だけじゃなくて、お前も対象なのを忘れるな?」
「これは困った……ここは逃げるが勝ちだね。」
月下はベルトの突起を押し込み足にエネルギーを集中させ八雲へ向かって走りだす。八雲はそんな月下を見て背を向けて一目散に走り出す。
『
「逃がすと思うか?」
月下は全力で走り八雲へ追いつく。そのまま月下は足のエネルギーを開放するように八雲の腹部へ蹴りをお見舞いしようとするが動きを止める。
「どうしたんだい?殺すんじゃなかったのかい?」
「ブラフだな。お前はここを打たせてカウンターを狙っているな。」
八雲は、バレたかとそのまま月下から距離を取ろうとバックステップを踏むが、月下は逃がすまいと前に出る。そのまま二人はお互い目を合わせながら止まる。月下はそのままベルトの突起を押し込み再び八雲に蹴りを入れたが、八雲は背を向ける。
「困った困った……だが、焦っているときほど、ピンチの時ほど、頭が回るもんでね……」
そのまま八雲は月下の蹴りを受けると八雲の背中の衝撃を受けて爆発する。正しくは八雲の背中の毛が爆散する。その辺に毛が飛び散ると月下はその毛の爆散から逃げるように距離を置いた。
毛を纏う蜘蛛がいる。オオツチグモ科のその蜘蛛は「タランチュラ」と呼ばれ、全身を毛で覆っており腹部にある刺激毛で身を守っている。時には対象に向けてけて飛ばすこともある。実際、種類は違うがタランチュラを飼育していた男性がその刺激毛を顔に受けて角膜に刺さった刺激毛が原因で顔が膨れ上がったという事例もある。身を護るためにはうってつけのまさに”目くらましの鎧””攻防一体”の武器を纏った種の蜘蛛である。タランチュラの毒で人は死ぬことはないが、その後遺症は面倒くさいだろう。それを知っていた月下はさらに距離を取りため息をつく。
「面倒だな……」
「さて、この隙に逃げようか。」
八雲は、距離が開いた月下を背にそのままビルをかけていった。見えなくなっていった八雲の背を見つめる月下はその場から離れてベルトを外し変態を解く。そして、八雲を追う為バイクのところまで走っていく。数分してバイクのエンジンをかけて月下はそのまま八雲の逃げた方角にバイクを走らせたが、辺りはだんだんと暗くなってきておりこれ以上の追跡は不可能だと判断しそのまま帰宅する。
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八雲は、ころあいかと路地裏に入りベルトを外し変態を解く。一狼を降ろすと次は逃げないように腕をつかんだまま電話をかける。
「……あぁ、例の彼を保護した。来てくれ。」
電話を切って一狼と目を合わせる。一狼は八雲の顔を見るとおびえたように震える。
「安心……も、できないか……そりゃ、撃った相手に腕を掴まれていたら嫌だよね……発砲の件は謝る。だから、今は逃げずに待ってほしい。」
「あの、なんで僕を助けたんですか……最初は撃ってきたのに……」
八雲は、はにかみながら腕を離す。
「いやぁ…あの発砲はね、私の早とちりだ。君の通っていた学校に侵入して君を秘密裏に連れてくる予定だったのが、学校内のディウスが暴れてそれどころじゃなかったからそこに君が来て、君を暴れていたディウスと判断してしまって撃ったというわけさ。」
一狼は先ほどから月下も八雲も口走る「ディウス」という言葉に引っ掛かり首を傾げる。その様子に八雲は少し考えていると、目の前にワンボックスカーが停まる。その車を見た八雲は一狼の手を引く。
「さて、ディウスの説明はこれから行くところでじっくりと説明するとしよう。ついてきてくれ。」
一狼は言われるがままに八雲に手を引かれてワンボックスカーへと乗り込んだ。
続く。