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第9話 白雪姫の姉ですが夫が料理長に激おこです

 モンストラン公爵家の午後。


 ジョン・モンストラン公爵は、執務室で書類を片手にしながら、机をトントンと指で叩いていた。


「遅い……」


 朝から待っていたのに、いつもの甘いスイーツの香りが漂ってこない。


 午後になっても、ティータイムの気配は一向に感じられない。


「おかしいな」


 ジョンは、書類を無造作に置いて立ち上がった。


「アップルは……どこだ?」


「公爵様、どうかなさいましたか?」


 老執事が恐る恐る声をかけた。


「アップルは?」


 ジョンは、短く尋ねた。


「奥様は……確か、庭の方にいらっしゃったかと」


「……庭?」


 執事の言葉を聞いたジョンの眉間に、深いシワが刻まれた。


「一体何をしている……?」


 一方その頃、庭園の片隅にある東屋あずまやでは、公爵夫人アップルと料理長が、お茶を飲みながら料理談義に花を咲かせていた。


「このハーブはですね、神経痛や関節痛に効くんですよ」


 アップルは、テーブルの上に摘み取ったハーブを並べながら、優しく微笑んだ。


「へぇ、さすが奥様。薬草にお詳しいんですね」


 料理長は、感心しきりだった。


 最初はアップルを「公爵夫人が厨房に立つなんてとんでもない」と目の敵にしていた彼も、今ではすっかり心を入れ替え、彼女のスイーツ作りに感服している。


「実は、奥様のスイーツを毎日頂いていたら、長年苦しんだ腕の神経痛が、すっかり楽になったんですよ」


「よかったです。シナモンの消炎作用かな? ハーブを使ったお菓子の効能、もっと研究してみたいですね」


 アップルは楽しそうに笑ったが、ふと、その笑顔が曇った。


「どうなさいました?」


 料理長が心配そうに尋ねる。


「……いえ。いつか、私がここからいなくなった時のために、料理長さんにレシピをお教えしておこうかなと思って」


「え?」


 アップルは、寂しげに目を伏せた。


(だって、ジョンがもし、あの人を倒してスノーホワイトを助け出したら、私はブラックモア公女ですらなくなる。ただの平民に戻ったら、当然、この城も出ていかなくちゃいけない……)


「い、いなくなるって、どういう意味だ⁉」


 突然、ジョン公爵の声が響いた。


「わっ⁉」


 アップルは驚いて声を上げた。物陰から現れたジョンは、まるで猫のような素早さで、ババッとアップルのそばに駆け寄った。


「何を……何を勝手に決めているんだ!」


 料理長が、青ざめながら立ち上がる。


「こ、公爵様……!」


「貴様……」


ジョンの鋭い視線が、料理長に突き刺さる。


「使用人の分際で、私の妻と一緒の席に座るとは、どういうつもりだ」


「い、いや、その……」


「しかも、距離が近すぎるぞ!」


ジョンはさらに一歩近づき、大声で怒鳴りつけた。


「も、申し訳ありません!」


 料理長は汗だくになりながら、椅子を引いてそそくさと退出していった。


「ジョン、落ち着いて!」


 アップルは慌ててジョンの腕を引いた。


「料理長さんとは、ただスイーツの話をしていただけなんです。私がいなくなった後のことを考えて……」


「何をバカなことを言っているんだ」


 ジョンは、苛立たしげに言った。


「お前がいなくなるなど、許すわけがないだろう!」


「で、でも……!」


「謝罪しろ」


 ジョンは椅子に腰掛けて足を組み、ふんぞり返りながら言った。


「えっ?」


「スイーツを持って来なかっただろう。謝罪しろ」


「ご、ごめんなさい。スイーツなら、ちゃんとここに……」


 アップルはバツが悪そうに顔を伏せながら、バスケットからリンゴヨーグルトを取り出して、公爵の前に置いた。


「それだけで、許されるとは思うなよ」


 ジョンは、不機嫌そうに腕を組んだまま、さらに言い放った。


「食べさせろ」


「……はい?」


アップルは、思わず耳を疑った。


「口に運べ」


 ジョンは、まるで当然のように口を開け、「アーン」の体勢になった。


「え、ええぇ⁉ それは……!」


「早くしろ」


「で、でも……!」


 アップルの頬が、見る見るうちに真っ赤になる。


「……わかりました」


 アップルは、観念したようにスプーンを手に取り、リンゴヨーグルトを一口分すくった。


「……い、いきますよ?」


「ああ」


 ジョンは、目を閉じて口を開けたまま、微動だにしない。


(なんでこんなことに……!)


 アップルは心の中で叫びつつも、ジョンに顔を近づけ、震える手でスプーンを口元へ差し込んだ。


「あ、アーン……」


 ジョンは、パクリとヨーグルトを食べ、満足そうに目を細めた。


「……うまい。柔らかいヨーグルトの中に、固いリンゴが入ってる。このシャリシャリ感がたまらんな」


 素朴なほめ言葉に、アップルはますます顔を赤らめた。


「これで、今日は許してやろう」


 ジョンは満足げに言った。


「明日も食べさせろよ」


「な、何をおっしゃってるんですか! ではこれで、失礼しますね!」


 アップルはあわただしくバスケットを抱え、席を立つ。

 しかし、その顔には、ほんのりと笑みが浮かんでいた。

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