「スッゲぇ……」
目の前に広がっている光景に、驚嘆の声が漏れ出した。
桃林を超えた先、そこは雲海。雲の海から頂きを見せる山々には巨大な縄が巻かれており、苔むす様に緑の化粧を覗かせていた。
「おぉ……」
よく見ると山の頂上には人工物の建物が見える。人工物と言ってもコンクリートではなく、木製の建物で屋根には瓦に似たものが敷き詰められている。
「よし。探索続行!」
現実世界ではなかなかお目にかかれない光景。それを目に焼き付けた俺は裸足にも関わらずスタスタと緩やかな山道を下る。
柔らかな土。小石すら足裏に感じない道。まるで裸足で歩く前提で耕された道と錯覚してしまう。
頬を撫でる風も刺す様な冷たさではなく、いつしかくすぐったい程に感じるようになった。
(……これってアレだよな)
歩きながら思った。
これはアレだと。
アメリカやフランス、中国やロシア、そして我が国の日本等々。大国と言われる各国にはそれぞれ最強と謳われているランカーが存在する。
彼彼女らは圧倒的戦闘力でダンジョンを踏破するのはもちろん、注目度もさることながらビジュアル面での起用、つまりはタレント業や雑誌の表紙、パパラッチにも追われる人も少なくない。
だからダンジョン踏破報酬やタレント業で億を稼ぐ最強ランカーも居るのが現実。当然憧れの的になり俺も私もと、そのランクに行きたい成りたい人が大勢いる。まぁ俺もその内の一人だ。
そんな俺たちに、一部のランカーたちはある種のヒントを世の中に残している。
つまりはそう。その辺の草の葉で尻を拭き、近くに流れてた小さな川でケツを洗い流した俺の現状と酷似している状況なのだ。
……ん? ケツに糞を付てたのは俺だけだって? 知らんなぁ。
「あんまり見えん……」
雲海の中に脚を運ぶ。濃霧により一メートルくらい先しか視認できないけど、細心の注意をを払いつつも俺の足並みは軽い。
ダンジョンに迷い込んだランカーたちに対して、ダンジョンの中はどうだったかと誰しもが質問した。それも当然だろう。だって半恒久的にある低レベルのダンジョンとは違い、そのダンジョンは本人しか行けないからだ。
誰もがその詳しい内容をワクワクして待っている。しかしランカーのただ一人として、その詳細は語ろうとしない。飛躍的に強く成ってダンジョンから帰って来たランカーは、悔しそうな顔やしらけた顔、涙を流す者もいれば苦虫を噛んだような表情で皆、頑なに話そうとはしなかった。
間違いなくなにかがあった。だが笑うほど、涙を流すほど、嬉しい出来事や悲しい出来事があったんだと憶測が憶測を呼んだ。
(いや絶対後者だろ!!)
何故ならば謎のダンジョンをクリアしたランカーの殆どはトップレベルに躍り出た。カネ・名誉・異性や羨望。その栄華たるや一般ランカーからすれば憧れの的だ。
(鳴かず飛ばずの学生時代と卒業してからの苦節。仙気の循環だけがいっちょ前の俺にもやっとお鉢が回って来たってもんだ!!)
雲海の中を慎重に進んでから体感五分。わずかな視界と地に足のついた確かな感触を頼りに進んでいると、少しずつ少しずつ霧の様な雲が腫れていくのがわかった。
(さあ! 燻ぶり続けた俺に待ち受けるのはなんだ!!)
――ブオン。
「!」
不意に全身が濡れた様な感覚に陥ったと思った瞬間。
「……なんだよ、これは…………」
苔むした世界が広がっていた。
俺がダンジョン降り立った桃林とは違い、緑に染まっていた。
大樹に寄り添うように倒壊した家屋は苔がむし、草木が伸び伸びと家屋を包んでいる。その様な壊れた家が見える限りいくつも転々とし、ここが小さな集落だったと直感的にわかった。
「ッ!?」
それと同時に驚いた。
「……空気中にある仙気が……すごい――」
スキル『仙気』に覚醒した者は、ありとあらゆる場所に仙気を感じるようになる。それこそ八百万の神々――自然界のあらゆるものに神が宿るという概念の様に、すべてに仙気を感じられる。
しかし東京や大阪、名古屋と言った都市や大きな街には小さな小さなゴマ粒程度の仙気しかないし、むしろ点在しているダンジョンの方が仙気が漂っている。だから『仙気』を持つランカーたちは循環で身に宿る『仙気』総量を上げるしかない。
だからこそ俺は驚いた。幻想的に発光する水辺の蛍の様に、いや、沸き立つ泡沫の様にすべての物から仙気が溢れ出ていた。
(仙気が勝手に体に入って来る……!? 吸収循環してないのに……)
突然のことで思わず仙気が入って手のひらを見た。
手や足、顔の頬に至るまで、肌に触れると泡沫状の仙気が体に入って来る。不快感はない。むしろ今まで感じたのことのない高純度な仙気。グルメ漫画で出てきそうな栄養満点なスペシャルな食材を食べている感覚。
(……わかる。勝手にというより、俺の体が仙気を求めている。経験した事ない高純度の仙気。まるで新品の乾いたスポンジがたくさん水を吸う様に、俺の体が求めている……)
仙気を吸収循環していく度に、身の内から力がどんどん湧き出てくる。このままじゃ溢れ出して収まり切れない。
そう思ったのも束の間。
(吸収循環による仙気の増幅……。同時に拡張されていく仙気の総量……)
魔力や妖力、法力や仙気と言った身に宿る力には個人の総量がある。総量は日々の鍛錬で培い広げていく。そして総量を超えた溢れ出した力は軽度の発熱や倦怠感や吐き気といった体調不良に。重ければ意識を失うほどだ。
でも不思議な事に、増大される仙気と共に俺の中の総量も増えていく始末。
(突然の体の変化に驚くばかりだけど、悪い気はしない……)
むしろ確実に仙気が上がっていく状態ならば、ずっとこの場に居たいまである。
だけどここはダンジョン。この場に居れば強くなるけど何があるかわからない。だからこそ立ち止まらず、俺は歩を進める。
(本当は本腰入れて循環したいけど、ランカーとしてこのダンジョンを調べないと……。……ん?)
そう思いながら柔らかな土道を歩いていると、不意に何か物音が聞こえた。
耳を澄まして周囲を見渡すと、耳に煩わしい雑音にも似た妙な音は、苔むす階段が続く大きな建物の方からだとわかった。
好奇心を抑えきれず階段を昇る。そして建物に近づくに連れ、ある事に気付いた。
(この建物……こいつだけ倒壊してない……)
苔むす程に長い長い年月が経つこの場所。もはや物の現物がどういう作りなのかわからない程倒壊しているものばかりだというのに、目の前の神社っぽい祭事に使われてそうな大きな建物だけは健在だった。
――――待っていた。
「え?」
頭の中に直接響いてきた声に驚くも、独りでに開いた木製の扉に注視。
「ッ」
唾を飲み込み歩みを進める。
何かに誘われる様に。