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第3話 カフェ

 誰もいなくなったカフェ、月の隠れ家。いや、正確には誰もいないわけではない。

 マスターである京介と、カウンターの隅の席に座るルカ。

 ルカが座るカウンター席のみ照明がついていてまるでスポットライトのようだ。その照明の中でルカはキーボードをたたき続けていた。

 彼は客であり、客ではないため閉店の十二時を過ぎても帰ることはない。

 ルカはノートパソコンの画面から目を離し、片づけを終えた京介に向かって話しかけてきた。


「今日も色んな客が来たねぇ」


 そして彼は頬杖をつく。


「あぁ、そうだな」


 頷き京介は、自分用にいれたラベンダーティーを飲む。


「ねえ、ひとり不思議な子が来たね。待ち合わせでもない人がここに来るなんて初めてじゃないか」


 そのルカの言葉に、京介は胸に痛みを覚えつつ頷いた。

 確かにここは、誰かと待ち合わせがある者しか訪れない。京介がここのマスターとなるまえからずっとそうだ。

 京介はルカを見る。

 彼は愉快そうに笑いながら、話を続けた。


「あの子の名前、かのんちゃん。不思議なことに僕の小説にもかのん、って名前の子が出てくるんだよねぇ」


「あぁ、そうなのか」


「うん。こんな偶然ってあるんだねぇ」


 それは果たして偶然だろうか。


「ルカ」


「何だい、京介」


「かのんを、お前は覚えていないのか?」


 そう問いかけると、ルカは目を見開いて首を傾げた。


「いったい何のことだい、京介。そうそう、不思議なことに僕は彼女を知っているような気がするんだ。でも思い出せなくて。だから夢か、前世であったのかと思ったけれど」


 そう言い、彼は面白そうに笑う。

 それを聞いた京介の胸に、鈍い痛みが走る。なぜ、彼はかのんを覚えていないのかわからない。いや、覚えていなくて当然なのかもしれない。

 京介は顔を歪ませ、思わずあいている手をぎゅっと、握りしめた。


「これもいいネタになるかなぁ」


 と呟いて。

 ルカにとって、ここで起こる出来事は全て小説のネタとなる。

 彼はそうだ、と言った後、ノートパソコンのキーボードをうち始めた。

 もうどれくらいの時間、ルカはここで小説を書いているのだろうか。

 何年もの時間をかけているけれど、未だにその小説は完結しないらしい。

 何の小説を書いているのか、京介は知らない。そして、ルカもその詳細を語ろうとはしない。


「ルカ」


「なんだい、京介」


 言いながらもルカは手を止めない。


「お前はあとどれくらい、ここにいる?」


 思わずこぼれ出た言葉に、ルカは軽い口調で答える。


「え? そうだねぇ、まだしばらくいるよ」


 その答えを聞いて、京介は複雑な思いを抱えながら頷く。

 しばらく。

 それは希望なのだろうか。それとも、呪いなのか。

 ルカがここにいる理由。それは京介が望んだからだ。だから彼は客であり、客ではない。そんな曖昧な存在になってしまっている。

 このままではいけない、とわかってはいるもののまだルカを解放できない。

 そんなときに現れた、かのん、という存在。

 彼女の存在が、京介の心を揺さぶっていた。

 どうやら彼女は、京介を、ルカを知らないらしい。けれど京介は彼女の事をよく知っている。京介がここに留まり続けている理由のひとつだのだから。

 もう諦めかけていたのに、とうとう彼女は現れた。ということは、京介たちの動かなくなった時間が動き出す、ということだろうか。


「――何を、やっているんだろうな……俺は」


 自虐的に呟いた京介の言葉を聞き逃さなかったルカは、パソコンから顔を上げ、


「何って、ただ僕と一緒の時間を過ごしているじゃないか」


 と、微笑み言い、パソコンのキーボードを叩く。まるで意味のない言葉のように、軽く。

 そんな当たり前なことが、どれだけ重要な意味をもっているのかルカは知らないだろう。

 一緒の時間を過ごしている。その言葉は京介にとって希望であり、呪いだ。

 このままではいけないとわかっていても、止まっている時計を動かす勇気は、まだ京介にはない。

 京介は首を横に振り、空になったカップを流しに置く。


「そうだな。じゃあ、俺はもう上に行くよ」


「うん、おやすみ、京介」


「あぁ、おやすみルカ」


 この会話を続けられるのは後何度だろうか。いや、考えるだけ無意味だろう。京介にはまだ、終わりを迎える覚悟などないのだから。

 京介はルカに背中を向けて二階へと向かう扉をくぐる。

 あとに、照明に照らされているだけのパソコンを残して。



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