午前九時。
それが、かのんの起床時間だ。
十二時過ぎから仕事なので、十一時前には家を出なければならない。
かのんは起きると、まずこたつの電源を入れ、洗面台で顔を洗い、小さなキッチンでお湯を沸かす。
その間に朝食の準備だ。
パンにチーズとハムをのせて焼き、カップスープを用意する。それにほうじ茶を淹れたら、かのんの朝食は完成。
座椅子に座り、こたつにあたりながら朝食をとる。
テレビから流れるのは動画。ゲームの実況を見つつ、パンにかじりついた。
「昨日のあれ、なんだったんだろう」
ふと呟き、かのんは首を傾げた。
昨夜、帰宅してからスマホであのカフェを調べてみたが、レビューも店の情報も何も出てこなかった。
本当に実在するのだろうか。
そう思いながらも、レシートは手元にあり、しっかり日付も刻印されている。
店名を間違えたのかとも思ったが、レシートにははっきりと「月の隠れ家」と記されている。
今の時代、食べ〇グにも載っていない店なんて存在するのだろうか。
結局、謎は解けないまま。
それでも気になって、かのんはもう一度検索をかける。
今度は「カフェ 月の隠れ家 噂」と入力してみると、ブログ記事がヒットした。
「カフェ月の隠れ家という店をご存知ですか?」
そうタイトルのついた記事を開くと、目次が目に入る。
月の隠れ家とは?
死者に会える?
見つける方法
それを見て、かのんは思わず顔をしかめる。
死者に会える、とはどういう意味だろうか。そんなこと、ありうるだろうか?
そう思いつつ、画面をスクロールしていく。
「月の隠れ家は、いつどこに現れるかわからないカフェです。そこは死んだ人に会えるカフェで、夜のみ営業していると言われています。」
「どうしても会いたい人がいるのなら、あなたはこのカフェを見つけることができるでしょう。死んだ友人、夫、妻、子供……強い想いを抱く相手に出会えるカフェです。」
「見つける方法には諸説ありますが、想いが強ければ、マップアプリがその場所に導いてくれるとか――」
「……ちょっと待って、アプリが案内してくれるってどういうことよ?」
思わず、かのんは声を上げた。
どこに現れるかわからないカフェなのに、なぜスマホのアプリが案内できるのだろうか?
謎すぎる。
そう思いながらも、かのんは画面をスクロールし、胡散臭いと思いながらも、つい読みふけってしまう。
「カフェに行けるのは一度だけ。そこに行った人は、そこでの出来事を忘れるそうです。」
「……じゃあこの情報はどこから流れてるのよ」
呆れて呟き、スマホから目を離す。
胡散臭い。胡散臭すぎる。
けれど、かのんの脳裏には、昨夜カフェの前で出会った老女の姿が浮かぶ。
彼女はスマホを見つめながら、こう言っていた。
「私たち、運がいい」
「やっと、会える」
あの言葉の意味はいったい何なんだろうか?
確かに彼女は、店の中で青年と向かい合い、楽しそうに話していた。
もしかすると、あの青年は彼女の夫だったのだろうか?
いや、でも若すぎる。
――いや、若くして亡くなった可能性もあるのかもしれない。
そこまで考えて、かのんは首を横に振る。
死者に会えるなんて、そんなことあるわけがない。ただの噂だろう。
そう思い、かのんはスマホを閉じて黙々と朝食を食べた。
少し早めにアパートを出たかのんは、昨夜カフェがあった場所へと向かう。
もういちど確かめればいい。きっと、あんなのは噂話で昼間でも当たり前のようにそこにあるだろう。
そう思い確かめようと思ったものの。
「……あれ?」
確かにこの辺りだったはずなのに。
昨夜、住宅街の一角に佇んでいたカフェが、どこにも見当たらない。
「おかしい……」
辺りを歩き回ってみても、やはり見つからない。どこを見てもふつうの住宅が並んでいるだけだった。
「場所、違うのかなぁ」
そう呟いて首を傾げる。
レシートは手元にあるし、確かに昨日の出来事は現実だったはずなのにどこかおぼろげになってくる。
「……あれ、夢?」
そんなはずはない。
けれど、どうしてもカフェを見つけられない。
まるで、狐に騙されたみたいだ。
不思議な感覚を抱えながら、かのんは駅へと向かい歩き出した。