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第5話 仕事帰り

 夜の九時。仕事を終えたかのんはロッカーで着替えをして慌ただしく廊下を歩く。

 すると、学生のアルバイトが声をかけてきた。


「あ、大河さん、ご飯一緒に……」


「ありがとう、でも今日は用事があるんだ!」


 笑顔でその誘いを断り、かのんはいそいそと職場を出て駅へと向かう。

 昨日の夜見つけたカフェ。

 変な噂があるカフェ。

 今朝、ここに来る途中見つけることができなかったカフェは本当に、夜だけ営業しているのだろうか。

 会いたい人がいるのならマップアプリが案内してくれるというが、でもかのんにはそんな相手、いない。

 ではなぜかのんはあの店を見つけられたのか?


「でも、そんなことあるわけないよね。だって死者に出会えるカフェなんてそんなの、嘘に決まっている」


 電車に揺られてかのんは最寄駅へとつく。

 昨日と同じ時間、かのんは駅を出て足早にアパートへと続く道を歩く。

 九時半を過ぎているので人通りはやはり少ない。

 ときおり車が通るだけの道を歩きそして、住宅街の細い道を行く。

 もう少し行くと、あのカフェを見つけた場所にたどり着く。

 そう思うとかのんの足はどんどん早くなっていく。

 角を曲がり、あのカフェが見えるはずの通りへと出たときだった。

 暗い住宅街の中にぼうっとしたオレンジ色の明かりを見つけて、かのんは思わず足を止めた。


「あ……」


 その灯りを見て、思わずかのんは足を止めた。

 夜なので外観はよくわからない。だけど、その建物の前に見覚えのある形の看板が立っている。

 かのんはゆっくりとそこに近づきそして、看板を見つめた。


「思い出に出会えるカフェ、月の隠れ家」


 そう、確かに書かれている。


「これ、昨日と同じ言葉……」


 そう呟き、かのんは看板から目を離し、入り口のドアを見つめる。

 このドアもたぶん昨日と同じだろう。

 昨夜は老齢の女性が一緒で、彼女が扉を開いたものだからちゃんと見てはいなかったけれど、ドアを照らす淡いオレンジ色の灯火は覚えている。


「なんで昼は見つけられなかったんだろう?」


 顔を歪ませかのんは首を傾げ、店の扉のノブに手をかけてゆっくりと開いた。

 扉を開けると、昨日と同じオルゴールのような音楽が聞こえてくる。

 それに、数組の客。

 昨日とは顔ぶれが違うかと思ったが、一組だけ知っている顔があった。

 昨日の女性が、昨日と同じ青年と談笑しているのが見える。

 かのんが見たブログが本当であるなら、二度目にここを訪れることはできないはずだ。なのにかのんも、あの女性もここを訪れることができた。

 そもそもかのんに会いたい人はいないし、アプリも使っていない。ならばあれは怪しい噂なのだろう。

 そも自分を納得させて、かのんは店内に足を踏み入れた。


「……いらっしゃいませ」


 マスターである京介が、昨日と同じ服装でカウンター内から出てくる。


「おひとり、ですか?」


 言葉をかみしめるように、こちらの様子を伺う様な目でかのんを見つめ、京介が問いかけてくる。


「はい、そうです」


「……そう、ですか。ではあいている席にどうぞ」


 そう淡々に告げ、京介はカウンターに戻っていく。

 なんだろうか、あの態度は。まるで、かのんが現れたのが不思議であるかのような反応だ。

 かのんは店内をみまわしそして、カウンターの隅に座るルカの姿をみとめる。

 彼は今日も、パソコンに向かって作業をしているようだった。

 連れがいるわけではないので、かのんは昨日と同じ席に着く。ルカと、ひとつ席を空けた椅子に腰かけそして、メニューを開く。

 勢いで入ってしまったものの、二日続けて夕食に千円以上かけてはいられない。

 非正規のパートに、千円の出費は痛すぎる。

 とはいえ来てしまったし、なにも頼まないわけにはいかない。それに腹は減っている。


「ご注文が決まりましたらお声をかけてください」


「あ、決まってます。あの、夜空のカルボナーラとカフェオレをください」


 そうかのんが言うと、京介はエプロンのポケットから伝票を取り出し、そこにさらさらと書いていく。

 彼はふっと顔をあげて、どこか懐かしそうな表情を浮かべた後、


「かしこまりました」


 と言い、かのんに背を向け奥へと消えていった。

 なんだろうか、あの顔は。不思議に思うけれど確認することもできないので、かのんは水が入ったコップを手にした。 


「あれ、今夜も来たのかい?」


 楽しそうな声が隣の隣からかかり、かのんは顔をそちらに向ける。

 口もとに笑みを浮かべたルカが、頬杖をついてこちらを見ていた。


「こ、こんばんは。あの、はい。ちょっと気になってしまって」


 そう答えてかのんは曖昧に笑う。さすがにあのブログの事は話せない。あんなのきっと噂だから。


「そうなんだ。珍しいよ、二度も来る人は」


 そう、無邪気に笑いながら言われた言葉に、かのんは思わず目を見開く。

 二度、来る人は珍しい。


「え?」


「うん、珍しいよ。たぶん、ふつうは一度しか来ないからね。あの老女も昨日きていたと思うけど、ふたりもそんな人が現れるのは本当に珍しいよ」


 そしてルカは、あの老女の方をちらり、と見た。

 彼女は相変わらず、楽しそうに青年と話をしていた。まるで、恋人といるかのように頬を染めて。


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