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第7話 閉店した後

 照明が落とされた店内で唯一、灯りがともる場所がある。ルカの頭の上の照明だけが、まるでスポットライトのように彼を照らす。

 ルカは、ラベンダーのハーブティーを飲みながらパソコン画面を見つめていた。

 夜になるとルカはここを訪れ、ノートパソコンを広げて小説を書く。書いているのは、カフェを舞台にしたヒューマンドラマだ。

 もうどれほどの時間をここで過ごし、どれくらいの長さの小説を書いたのか、自分でもよくわからない。

 それでもルカは、ずっと小説を書き続けている。

 京介は今、閉店作業をしているらしく、背後からガタガタと物音が聞こえてくる。

 けれど彼は決して、ルカに帰るよう言ってこない。

 好きなだけここにいて、好きなだけ小説を書き、好きな時に帰る。

 それが許されるのは、京介とは長く友人であるからだ。


「そう、友人……」


 そう呟きながら、ルカは頬杖をつく。

 このカフェに通うようになって、かなりの時間が過ぎたと思う。具体的にどれくらいかはわからないが。

 京介と初めて出会ったのはいつだっただろうか。

 それはとても昔の話のはずだけれど、記憶はおぼろげだ。

 けれど、京介とは長く友人であるはずだし、そうでなければならない。

 でなければ、ルカがここを訪れる理由などないのだから。

 京介がいるから、ルカはここにいる。それだけは確かなことだった。


「ルカ」


 名前を呼ばれて顔を上げると、京介がカウンターの向こうに立っていた。


「あぁ、京介。片付けは終わったの?」


 カップを片手に微笑みかけると、彼は無表情のまま頷く。

 京介も手にカップを持っている。レモングラスか、それともラベンダーか。彼は仕事終わりに必ずハーブティーを飲むから、そのいずれかだろう。


「ルカが書いている小説は、終わりそうなのか?」


 その問いかけに、ルカは首を横に振る。


「あはは、それがまだ終わりそうにないんだよ。とても、そう――とても長い物語だからね」


 そう答えながら、ルカはカップを持ったままカウンターに両肘をつく。

 これは長い、長い物語。

 カフェを訪れる客たちが紡ぐ、今と過去の話。

 人にはそれぞれ物語がある。

 そのひとつひとつを書いているのだから、長くなるのは当然だった。

 ルカの言葉に、京介は悲しげに目を細め、顔を伏せる。

 なぜそんな顔をするのだろう。

 京介は時折、哀しそうな顔でルカを見る。

 その理由が、ルカにはわからなかった。


「どうしたの、京介。浮かない顔をして」


「……なんでもないよ」


 顔を上げて笑みを浮かべる京介に、どこか違和感を覚える。

 何が彼を哀しませているのか、ルカにはわからない。


「何か気になることがあるのかい?」


 そう問いかけると、京介は小さく首を振る。


「大丈夫だよ。それよりルカ、お前の物語に彼女も登場すると言っていたよな」


「うん、そうなんだ。大河かのんというんだけれど、彼女は恋人に会うためにカフェを訪れるんだ」


 ルカが声を弾ませて語ると、京介は一瞬、目を見開いた。


「大河……」


「そうそう、大河。君も今日、彼女のことをそう呼んでいたよね」


 京介はたしかに、かのんのことを「大河さん」と呼んだ。

 ルカが書いている小説の登場人物と同じ名字だったことが驚きで、記憶に残っている。

 京介は頷き、静かに言った。


「あぁ、確かめたかったからな」


「確かめるって、彼女の名字を?」


「うん。おかげで確信できたよ。彼女は大河かのんだと」


 そう言った京介は、嬉しそうな顔をする。

 けれど、どこか哀しげにも見えるのはなぜだろう。

 ルカには、京介の考えがわからなかった。

 ――大河かのん。

 その名前に、ルカも何か引っかかるものを感じる。

 小説の登場人物としてではなく、どこかで彼女を知っているような気がする。

 懐かしい名前のはずなのに、思い出そうとすると頭の中に霞がかかったようになってしまう。


「大河かのん。彼女のことを知っているのかい?」


 注意深く京介の表情を観察しながら、ルカは尋ねた。

 すると、京介は口元をほころばせ、懐かしげに目を細める。


「あぁ。俺が会いたいと願っていた相手だからな」


「妬けちゃうなぁ。京介が会いたい人が、僕以外にもいるなんて」


「お前とかのんは、俺にとってどちらも大切だよ。お前がいるから俺はここにいるし、ここにいるからまたかのんと出会えた」


「あはは、そうだよね。僕にとっても京介は大切だし、君がいるから僕はここにいるんだよ」


 それがルカの存在理由のひとつだった。

 でなければ、ルカはここに存在しえない。

 京介の手が伸び、ルカの頭にそっと触れる。


「ありがとう、ルカ。俺のわがままに付き合ってくれて」


「わがままが何なのかわからないけれど……君が消えるその瞬間まで、僕はここにいるよ。君をひとりにはしないから」


そう笑いかけると、京介は寂しそうに笑い、静かに頷いた。 

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