照明が落とされた店内で唯一、灯りがともる場所がある。ルカの頭の上の照明だけが、まるでスポットライトのように彼を照らす。
ルカは、ラベンダーのハーブティーを飲みながらパソコン画面を見つめていた。
夜になるとルカはここを訪れ、ノートパソコンを広げて小説を書く。書いているのは、カフェを舞台にしたヒューマンドラマだ。
もうどれほどの時間をここで過ごし、どれくらいの長さの小説を書いたのか、自分でもよくわからない。
それでもルカは、ずっと小説を書き続けている。
京介は今、閉店作業をしているらしく、背後からガタガタと物音が聞こえてくる。
けれど彼は決して、ルカに帰るよう言ってこない。
好きなだけここにいて、好きなだけ小説を書き、好きな時に帰る。
それが許されるのは、京介とは長く友人であるからだ。
「そう、友人……」
そう呟きながら、ルカは頬杖をつく。
このカフェに通うようになって、かなりの時間が過ぎたと思う。具体的にどれくらいかはわからないが。
京介と初めて出会ったのはいつだっただろうか。
それはとても昔の話のはずだけれど、記憶はおぼろげだ。
けれど、京介とは長く友人であるはずだし、そうでなければならない。
でなければ、ルカがここを訪れる理由などないのだから。
京介がいるから、ルカはここにいる。それだけは確かなことだった。
「ルカ」
名前を呼ばれて顔を上げると、京介がカウンターの向こうに立っていた。
「あぁ、京介。片付けは終わったの?」
カップを片手に微笑みかけると、彼は無表情のまま頷く。
京介も手にカップを持っている。レモングラスか、それともラベンダーか。彼は仕事終わりに必ずハーブティーを飲むから、そのいずれかだろう。
「ルカが書いている小説は、終わりそうなのか?」
その問いかけに、ルカは首を横に振る。
「あはは、それがまだ終わりそうにないんだよ。とても、そう――とても長い物語だからね」
そう答えながら、ルカはカップを持ったままカウンターに両肘をつく。
これは長い、長い物語。
カフェを訪れる客たちが紡ぐ、今と過去の話。
人にはそれぞれ物語がある。
そのひとつひとつを書いているのだから、長くなるのは当然だった。
ルカの言葉に、京介は悲しげに目を細め、顔を伏せる。
なぜそんな顔をするのだろう。
京介は時折、哀しそうな顔でルカを見る。
その理由が、ルカにはわからなかった。
「どうしたの、京介。浮かない顔をして」
「……なんでもないよ」
顔を上げて笑みを浮かべる京介に、どこか違和感を覚える。
何が彼を哀しませているのか、ルカにはわからない。
「何か気になることがあるのかい?」
そう問いかけると、京介は小さく首を振る。
「大丈夫だよ。それよりルカ、お前の物語に彼女も登場すると言っていたよな」
「うん、そうなんだ。大河かのんというんだけれど、彼女は恋人に会うためにカフェを訪れるんだ」
ルカが声を弾ませて語ると、京介は一瞬、目を見開いた。
「大河……」
「そうそう、大河。君も今日、彼女のことをそう呼んでいたよね」
京介はたしかに、かのんのことを「大河さん」と呼んだ。
ルカが書いている小説の登場人物と同じ名字だったことが驚きで、記憶に残っている。
京介は頷き、静かに言った。
「あぁ、確かめたかったからな」
「確かめるって、彼女の名字を?」
「うん。おかげで確信できたよ。彼女は大河かのんだと」
そう言った京介は、嬉しそうな顔をする。
けれど、どこか哀しげにも見えるのはなぜだろう。
ルカには、京介の考えがわからなかった。
――大河かのん。
その名前に、ルカも何か引っかかるものを感じる。
小説の登場人物としてではなく、どこかで彼女を知っているような気がする。
懐かしい名前のはずなのに、思い出そうとすると頭の中に霞がかかったようになってしまう。
「大河かのん。彼女のことを知っているのかい?」
注意深く京介の表情を観察しながら、ルカは尋ねた。
すると、京介は口元をほころばせ、懐かしげに目を細める。
「あぁ。俺が会いたいと願っていた相手だからな」
「妬けちゃうなぁ。京介が会いたい人が、僕以外にもいるなんて」
「お前とかのんは、俺にとってどちらも大切だよ。お前がいるから俺はここにいるし、ここにいるからまたかのんと出会えた」
「あはは、そうだよね。僕にとっても京介は大切だし、君がいるから僕はここにいるんだよ」
それがルカの存在理由のひとつだった。
でなければ、ルカはここに存在しえない。
京介の手が伸び、ルカの頭にそっと触れる。
「ありがとう、ルカ。俺のわがままに付き合ってくれて」
「わがままが何なのかわからないけれど……君が消えるその瞬間まで、僕はここにいるよ。君をひとりにはしないから」
そう笑いかけると、京介は寂しそうに笑い、静かに頷いた。