そわそわしている様子の松尾さんは、コートを脱ぎ黒いセーターを着ていた。昨日とは服装が違うように思う。
かのんに気が付いた松尾さんは、一瞬驚いたような顔をしたがすぐに笑顔になって、
「こんばんは」
と、静かな声で言った。
かのんは彼女の様子をうかがいつつ、ゆっくりと言葉を続けた。
「こんばんは。あの、待ち合わせ、ですか?」
「えぇ、もちろん。でなくてはここに来ないもの」
そう言って、彼女は目を細める。
待ち合わせなら昨日もしていただろうに、なんで今日も彼女はここに来ているのだろう。
「あの、誰と、待ち合わせなんですか?」
「うふふ、それがね、夫なの」
彼女は頬を赤らめて、幸せそうに笑いながら言った。
「夫、ですか?」
それはおかしくないだろうか。
昨日も一昨日も、彼女が会っていた男性はどう見ても二十代の青年だった。とても同世代にはみえない。
「えぇ。私を置いて先に逝ってしまったけれど。でもここに来たら会えると聞いてそれで私、ここに来たの。スマホが案内してくれると聞いて半信半疑だったけど、本当に教えてくれたのよ」
松尾さんはとても嬉しそうに笑って言った。
「先に逝った……」
それはつまり、夫は死んでいる、ということだろう。
「あの、失礼ですがいつ亡くなられたんですか?」
その問いかけをしながら、かのんの鼓動は少しずつ早くなっていく。
聞いてはいけない気はする。でも聞かないといけない。
「三か月ほど前よ。五十年連れ添って、先に逝ってしまったの」
悲しげな声で言い、彼女は寂しげに目を伏せた。
ということは、夫は七十歳を超えているはずではないだろうか。けれど彼女に会いにここへ来ている男性はどう見ても二十代だ。
「三か月……」
「それで私、すっかり気落ちしてしまったの。五十年よ? 五十年、一緒にいた人がふっと消えてしまって。子供たちにもたくさん心配をかけてしまったわ」
五十年、というのは若いかのんにとって想像もつかない長さだ。
そんな長い期間、一緒だった相手が死んだのはよほどショックだった、ということだろう。けれど死んだ人に会えるだろうか? そんなことありうるだろうか。
何が何やらわけがわからなくなっていると、ドアが開く音が響いた。
そこに現れたのは、昨日、松尾さんと話をしていた青年だった。
彼は京介と会話を交わした後、こちらを見てそして、手を上げて笑った。
そしてこちらへと近づいてきたあと、かのんには目もくれず、立ち上がった松尾さんの方を見つめて言った。
「こんばんは、島田行弘です」
「あぁ……こんばんは、しま……いいえ、松尾、奈々子です」
まるで初対面であるかのごとく挨拶を交わしたふたりは、一緒に席に着く。
かのんなどない者のように。
その様子を見てかのんはふたりから離れて席に戻ると、ルカが話しかけてきた。
「どうだったの?」
「わけ、わかんなくなりました」
かのんは腕を組み、眉間にしわを寄せて首を傾げた。
「あの、松尾さんは夫に会いに来たって。五十年連れ添った夫に。でもあの人、どう見ても二十代ですよね」
言いながらかのんは松尾さんたちの方をちらり、と見る。
どう見ても島田、と名乗った男性は老人には見えない。服装の違和感は昨日と同じだ。やたら柄の大きなセーターを着ているが、いったいどこで手に入れたのだろうか。
「そうだねぇ。どう見ても二十代だね。まあ死んだ人には会えないからねえでも」
と言い、ルカは腕を組みかのんを見つめて意味ありげに笑う。
「でも想いがあればそういう奇跡も起こるかもしれないね」
「想いでどうにかなる話とは思えないですけど」
呆れたように半眼でルカを見つめて、かのんは言った。
ならば松尾さんは何故、死んだ夫に会いに来たと言ったのだろうか。京介は何かしっているだろうか。このカフェの秘密を。マスターなのだから何かしら知っているだろう。メニューを運んできたら聞いてみようか。
そう思ったところに京介が奥から出てきてそして、かのんの前にお皿とカップを置く。
クロワッサンに生ハムとチーズ、レタスを挟んだサンドウィッチがふたつもお皿にのっている。パスタの量が多いだけでなく、サンドウィッチも量が多いらしい。
かのんは京介を見て、
「あの、マスター」
「……京介で、いいですよ。なんですか、かのん、さん」
妙にとぎれとぎれだったが、そんなことを気にしている場合ではない。かのんは言葉を続けた。
「えーと、このカフェってなんなんですか?」
そう問いかけると、彼は事もなげに答えた。
「想い出に会えるカフェ、ですよ。そう、入り口にも書いてあったでしょう」
言われてみれば確かにそう書かれていた。
けれどその想い出とはいったいどういう意味なのか、それが知りたいわけだが、京介の様子からして教えてくれる気がしなかった。
「このカフェって一度しか来られないって聞いたんですけど……」
それはルカも言っていたことだ。二度も来るのは珍しいと。
すると、京介は首を傾げた。
「そう、ですね。言われてみればそうかもしれないけれど、そうじゃないとも言える、かな。たまにいるはずだよ、何度も来る人が。そういう人が存在するはずなんだけれど、余り覚えていないんだ」
なんとも曖昧な答えで気持ちが悪い。京介はこのカフェの秘密の鍵を握っているのだろうか。マスターなのだし彼が何かしら知っているのは当然かと思うけれど、もしかしたら全てを知っているわけではないのかもしれない。
京介はかのんの顔を見て、意味ありげに微笑み言った。
「君はここに三回も来ているのだから、なにか意味があるのかもね」
そう言われてみればそうだ。そもそもあのブログに書かれていたことは嘘なのかもしれない。
店内を見回してみて、誰もが連れがいて誰もが幸せそうに語り合っている。
松尾さんもとても楽しそうだ。それならばいいのだろうか。
とはいえ、疑問はいくつも存在する。
なぜ、昼間はこのカフェを見つけられないのか。
なぜ、かのんはこのカフェに引き寄せられたのか。
誰かがかのんを呼びよせた? けれどかのんを待つ人は誰もいない。
このカフェの秘密、どうしたらわかるのだろうか。