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第13話 消えた人

 かのんは胸の痛みを感じて、思わず胸に手を当てる。

 こんなにも怖い思いをしたのは初めてだ。

 なぜ、ルカも京介も松尾さんを覚えていない?

 ひとり、かのんが悩んでいるとルカの明るい声が響いた。


「その松尾さんってどういう人なの?」


「え? あの……たぶん七十代くらいの女性で、けっこうおしゃれな感じの人で」


 思い出しながら語るものの、どうも自信が持てなかった。

 いやでも、かのんは職場で松尾さんを見かけているし、バイトのひとりが彼女を知っていた。ということは松尾さんは確かに存在した。

 確認したくてもバイトの連絡先を知らないためどうにもならない。明日、そのバイトが出勤であれば確認できるけれど、それまでかのんのもやもやは消えないだろう。


「おしゃれな年配の女性……松尾さん……ねえ、かのんさん、僕の小説読んだ?」


 笑いながら言われ、かのんはぎょっとしてルカを見た。

 彼はノートパソコンを指示して笑顔で言った。


「僕の小説に、松尾さんっていう老女が出てくるんだよ。でもその人は結婚して島田、に名字が変わって……」


「見せてください!」


 食い気味に言いながらかのんはルカのほうにぐい、と近づく。

 すると彼は驚いた顔をした後、戸惑った様子で頷き、


「いいよ」


 と言い、パソコンを操作した。

 かのんは立ち上がって彼の後ろに立ち、画面を覗き込んだ。

 開かれたフォルダーにたくさんのファイル名が表示される。

 そこでかのんは妙なことに気が付いた。

 ファイル名にはすべて人の名前が書いてあるようだった。

 星野と山本、桜井と伊藤、佐藤と菅、そして、松尾と島田。


「あの、これってどういうことなんですか?」


「何が?」


 画面から目を離さずルカが答えた。


「このファイル名、全部人の名前ですよね」


 するとルカは手を止めて顎に手を当てる。


「あぁ、言われてみればそうだね」


「そうだねって……覚えてないんですか?」


「覚えて……いるけど覚えていないような……」


 そう不思議そうに呟いた後、ルカはかのんを振り返って、満面の笑みを浮かべて言った。


「覚えているよ。誰の物語をかいたのかは。でもファイル名とか気にしたことなかったなって」


「そう、なんですか?」


 なんだか妙な話だった。

 それにしてもファイルが多い。見たところ、何十というファイルがあるみたいだし、フォルダーも他にあるようだ。

 一年目、二年目、三年目……いったいこのフォルダー名はどういう意味なんだろうか。

 不思議に思いつつも、かのんはルカがファイルを開くのを待つ。

 そして表示されたのはワードだった。

 縦書きで、タイトルには松尾と島田、と書かれている。


「ちょっと貸してください」


「おっと」


 かのんはルカから奪い取るようにノートパソコンをつかみ、画面をスクロールしていった。

 主人公は松尾奈々子。間違いなく、あの老女だ。

 彼女が島田行弘という男性と知り合い、結婚し子供が生まれたことが書かれている。子供が巣立った後は、夫と共に散歩をし、料理をし、旅をして仲睦まじく過ごしていたそう。けれど五十年連れ添った夫は、今年の夏、ガンで亡くなったと書かれていた。

 夫を亡くした松尾さんは、抜け殻のように日々を過ごしていた。

 子供たちは心配をするけれど、彼女の心には何も響かない。


「どうして先に逝ってしまったの?」


 夫の写真に問いかけても、答えは返ってこない。

 なぜひとはひとりで死ぬの? どうして連れて行ってくれなかったの?

 そんな想いが募る中、彼女はあるカフェの存在を知る。

 想い出に出会えるカフェ「月の隠れ家」を。

 想いが強ければ、そのカフェで会いたい人に会える。

 松尾さんはそれを信じ、毎夜スマホを片手に店を探す。

 捜し始めて二ヶ月。やっと松尾さんはカフェを見つけ、そこで彼に出会う。

 若い頃の夫と同じ姿、同じ名前の「島田行弘」と。

 松尾さんは彼と会話を楽しみそして、カフェを出る。

 けれどカフェをでるとそこでの出来事を忘れてしまった。

 そして再び松尾さんはカフェを訪れる。亡き夫と同じ姿の彼に会うために。

 それは七日間続いた。

 カフェに来て、島田と話をし、カフェを出ると忘れる。その繰り返しを続けて迎えた今日、十一月三十日。

 今日も彼女はカフェを訪れていた。

 ドアを開き、出迎えたのはマスターではなかった。

 黒いコートに身を包んだ、死んだ当時の夫の姿がそこにあった。


「あぁ……」


 松尾さんは涙目になり、夫を見つめる。

 彼は松尾さんに手を差し伸べて、微笑み言った。


『こんどこそ、一緒に逝こう』


 その申し出に松尾さんは頷き答えた。


「えぇ、もちろん。こんどはおいて逝かないでね」


 そして松尾さんは夫の手を取りそして、消えた。

 そこで小説は終わっている。

 読み終えたかのんは呆然とパソコン画面を見つめた。

 もし、現実がこの小説とリンクしているのなら、松尾さんは消えたことになる。

 それは何を意味するのか?

 考えただけで怖くなってしまう。


「かのんさん、大丈夫?」


 緊張を打ち破るかのように、ルカのあっけらかん、とした声が聞こえてくる。


「これ、どういうことですか?」


 硬い表情でかのんはルカの方を見て問いかけた。

 すると彼は不思議そうな顔をして答える。


「どういうって……彼女の望み通りの結末になったんだよ。彼女は夫といたかった。夫と共に逝きたかったってことだよ」


 明るい表情で話すルカが少し怖かった。

 ルカはあくまで小説の話をしているのだろう。でも、かのんにとってここに書かれていることは現実としか思えない。

 そうなると、ひとつ気になることがある。

 何度もこのカフェを訪れると、消えてしまう?


「だとしたら私も消えるの?」


 震えた声で言うかのんの背中に、誰かが触れた。

 優しく、暖かい手が。

 驚いて顔を上げると、そこには京介の姿があった。


「大丈夫」


 そう、彼は短く言う。

 いったい何が大丈夫なのだろうか。


「京介……さん?」


 涙声でかのんが言うと、彼は微笑み言った。


「君には会いたい人がいるの?」


「え? あ、い、いいえ」


 かのんに会いたい人はいない。心当たりはまったくない。

 すると京介はかのんの背中に触れたまま優しい声で言った。


「だから大丈夫だよ。君がここに来る理由は、その小説にある女性とは違うんだから」

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