目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第15話 ルカの小説

 深夜のたまごサンドにカモミールティーを注文し、かのんは再びルカからパソコンを借りて中身をみていた。

 五つのフォルダとたくさんのワードファイル。

 これは、ルカがここで見てきた客たちの記録、なのだろうか。

 フォルダ名もひっかかる。

 なぜ年月日ではなく、一年目、二年目、なんていうフォルダ名にしているのだろうか。

 そこでかのんはあることに気がつく。

 ファイルの情報にあるはずのものが、欠けている。


「あれ……?」


「どうしたんだい?」


 ルカの不思議そうな声がして、かのんはパソコンから目を離さず言った。


「このパソコン、おかしくないですか? なんで日付の表示がないんですか?」


 背中に冷たいものが流れるのを感じながら、かのんはルカの方を見た。


「あはは、そんなことあるわけ……」


 笑いながら言ったルカはパソコンを覗き込み、一気に真面目な顔になる。


「……ほんとだ、なんで日付がないんだろう?」


 時間の表示はあるのに、日付表示がない。

 ルカはパソコンを操作して時間設定を見るが、カレンダーも表示されなかった。

 それを見たかのんは、全身が総毛立つような感覚を覚えた。

 このカフェはいったいなんなのか?

 時間は過ぎている。時計があるし、それは確かだ。

 けれど日付がわからない。

 今日はいつだ?

 今日は……二〇二四年の十二月一日なはずだ。

 けれどかのんの中でそれは本当なのか、確証がもてなかった。


「あの、ルカさん。今、何年ですか?」


 おそるおそる尋ねると、ルカは顎に手を当てて笑いながら言った。


「え? 決まってるじゃないか。えーと……いつだったかな……僕の記憶だと……二〇一九年?」


 首を傾げて言われ、かのんはそうですね、と曖昧に答えた。

 この小説で、このカフェは色んな時間と場所を繋げるようなことが書かれていた。ということは、ここに集まる人たちは色んな時間を生きる人たちなのだろうか。

 ここで会った青年、島田は明らかにイマドキではない服を着ていた。

 他の客を見ても、かのんが昔、ドラマで見たような明らかに今とは違う髪型、服装をしている者が混じってる。

 だからそれぞれが生きている時間は違うのだろう。

 もしかしたらその世界さえも違うのかもしれない。

 ルカもかのんが知る「今」の人ではないらしい。

 二〇一九年は五年も前だ。

 五年……

 ハッとして、かのんは再びパソコンを見た。

 フォルダー名は一年目から始まり、五年目まである。

 ということはルカは五年もここにいて、小説を書いている?

 なぜ彼はそんな事を?


「あの……ルカさんはなんでここで小説を書いているんですか?」


 慎重に言葉を選びながら尋ねるが、彼は飄々と答えた。


「書きたいからだよ」


 当たり前のように言い、彼は微笑む。


「書きたいからって、五年もお話を書き続けてるんですか?」


「えー? そんなに長い時間、僕はここにいないよー」


 笑いながら言うルカに、かのんは黙ってパソコン画面を見せる。

 フォルダ名は嘘をついていない、と思う。

 だって、それぞれ三百六十五以上のファイルが存在しているのだから。


「あれ……? ほんとに僕はここで五年も……?」


 神妙な顔になるルカ。


「そう、なるんじゃないかな」


 だとしたら京介はどうなのか?


「ねえ、京介さんもずっとここにいるんだよね?」


「え? うん、そうだよ。僕と京介は友人だからね」


「それっていつから?」


 すると、ルカは黙り込んで目を泳がせた。


「友達……京介とはずっと……」


 なんて呟いて。

 彼の中で曖昧なのは時間だけではないらしい。

 もしかしたら想い出さえもおぼろげなのかもしれない。


「でもずっと僕は京介と一緒で……そうだよ、カフェでずっと待ってるんだ」


 そう言ったルカの顔に、いつもの笑顔はなかった。

 何か不安な顔をしているように見える。


「それは、誰が誰を待ってるんですか?」


「それは……」


「お待たせしました」


 ルカの言葉を遮るように、京介が現れ、かのんの前に皿を置く。

 濃い青のお皿にたまごがたくさん挟まった分厚いサンドウィッチと、サラダがのっている。

 そしてカモミールティー。こちらは黒に黄色で星が描かれたマグカップだ。


「ごゆっくりど……」


「ちょっと待って」


 去ろうとする京介の腕をがしり、とかのんは掴む。

 すると彼は驚いた顔をしてばっと、かのんの顔を見た。


「教えて、このカフェのこと」


「何を、教えたらいいんだい?」


 京介はかのんの方を向き、ゆっくりと言った。

 何を。

 全てだ。


「京介さんが知る、このカフェの事全部」


 そう真面目な顔で言うと、京介は困ったように首を傾げた。


「答えたいのはやまやまだけど……俺も全部を知っているわけじゃないんだ。ただ」


 そこで言葉を切り、彼は店内を見回す。


「ここは想い出に出会えるカフェ。強い想いがあれば、会いたい人に会える。けれどそれはあいたい本人とは違う。別の世界、別の時間のその人だ。ということだけは確かだよ。そして、二度はここを訪れることはない。ただ例外は時々いるみたいだけど」


「その例外が、松尾さん」


 かのんが呟くと、京介は頷く。


「俺はその人の事を覚えていないけどね」


 そう言った京介の表情から、嘘はついてないように見えた。

 このカフェを訪れた人は必ず記憶をなくす。それは、松尾さんの事思いだすと確かなことだろう。

 そして、一週間通い続けると、本当に会いたかった本人に出会いそして消えてしまう。

 死者には会えないと、ルカは繰り返し言っていた。

 死者に会えるのは死んだときだけだと。

 だからきっと松尾さんは消えてしまって、夫の所に旅立った、ということだろう。

 ここは想い出に会えるカフェ。

 そして、その想いが強いが強ければ会いたい人の所に旅立ててしまう、ということだろうか?

 時間も空間も、死と生までもがここでは曖昧になっている、ということだろうか。

 そう思うと居心地が悪い。

 さっき、かのんは京介とできる限りここに通う約束をしてしまったけれど、なかったことにしたくなるくらいに。


「あの、京介さん」


「何?」


「やっぱり、さっきの約束なしで」


「……まあ、そう思うよね」


 と言い、京介は諦めたような笑顔になる。


「それはそうですよ。だって、ここなんだか怖いし」


 そう言って小さく震えると、カウンターの向こうに立つ京介がかのんに手を伸ばす。

 一瞬迷ったように宙で止まったが、その手をかのんの頭にそっと置く。


「大丈夫だよ、君は消えはしないし。このカフェは……君をどうこうすることはできないから」


 と言った。


「私は誰かに呼ばれているんですよね、きっと」


 言いながらかのんは京介の顔を見る。

 誰がかのんをここに呼んでいるのか。

 一番可能性が高いのは京介だろう。

 彼はかのんの名字を知っていた。

 だからきっと、京介はかのんを知っている。

 そしてこのカフェの役割を考えたら、彼が知っているかのんはかのんではない、違うかのん。


「それって、京介さんじゃないんですか?」


「そうだよ」


 あっさりと認められ、かのんは拍子抜けしてしまう。


「え? あ、てっきり否定されるものかと……」


 戸惑うかのんに、京介は小さく笑って言った。


「嘘を言うつもりはないし」


「でも、本当の事も言うつもり、ないだろう、京介」


 いつもの、飄々とした声が隣りから聞こえてくる。

 見れば、ルカが微笑み京介を見つめていた。


「あぁ。そうだな」


「えー? まだ隠すんですか?」


 不満の声を上げるかのんに、京介は苦笑をして頷く。


「そもそも俺も、全てを理解しているわけじゃないから。ただ……かのん」


 真剣な顔になり、京介は声を低くする。


「十二月十二日、木曜日。君がその日を無事に過ごせたらすべてを話すよ」


「十二日って……まだけっこうあるけど、何かあるんですか?」


 不審に思ってかのんが言うと、京介は神妙な顔で首を傾げる。


「あるかもしれないし、ないかもしれない。確証はなにもないけど……」


 そして彼は切なげな顔をしてかのんを見つめる。


「君が、その日の夜ここに現れたら俺が知ってることを全部話すよ。だからどうかできる限りここに来てほしい。勝手な願いだとは分かっている。だけど……」


 そこで言葉を切り、京介は悩むかのように下を向いてしまう。


「勝手な願い?」


 そうかのんが口にすると、彼は首を横に振り、哀しげな顔をしてかのんを見た。


「その日までは、ここに来てほしい。いや、十二日だけでも構わないから」


「京介」


 ルカの、優しい声が響く。


「その日に何かが起こるの?」


 その問いに京介は肩をすくめる。


「わからない。起こるかもしれないし、起こらないかもしれない」


「それが起きなければいいね」


 そしてルカは祈るようなしぐさをする。

 それをみた京介はかのんから手を離すと、


「そうだな」


 と呟き、背を向けてしまった。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?