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第33話 充分すぎる幸せ

 家に帰ってきた雅也は、買い物袋を台所に置き、リビングのソファーに座る真紀に目を向ける。


「ただいま、真紀。なにか変わったことはなかったか?」


 雑誌を読んでいた真紀がチラリとこちらを見て、すぐに視線を雑誌に戻す。


「なにそれ? 変わったことなんてあるわけないでしょ」

「まあ、そうなんだけど。夜は物騒だからな。むやみに外に出かけたりとかしないでくれよ」


 近くに危ないダンジョンがある以上、最大限に警戒をしなきゃいけない。

 当然、そんな事情を知らない真紀は、キッと鋭い眼光を向けてくる。


「こんな時間に出掛ける訳ないでしょ、さっきからなに言ってるの?」

「あ、ああ……そうだな。ごめん、ごめん。買い物袋はそこに置いたから、晩ご飯、頼むな」


 雅也はネクタイを緩めながら階段を上り、自分の部屋に入る。部屋着に着替え、洗濯物をカゴに入れて一階に下りる。

 脱衣所の横にある洗濯機に服を放り込み、粉末洗剤を入れてスタートボタンを押す。

 自分の服と真紀の服を分けて洗濯しなきゃいけない。けっこう面倒だが、娘を怒らせる訳にはいかないからな。雅也は仕方ないと納得してその場をあとにした。

 リビングのソファーに座り、リモコンでテレビを点ける。

 いつも見ているニュース番組にチャンネルを合わせ、ローテーブルの上に置かれた新聞を開く。真紀は台所に入って料理の準備をしていた。

 夕食前の穏やかな一時ひととき。だが、雅也の心は落ち着かなかった。

 すぐ近くにA級のダンジョンが出現している。以前、奥多摩にS級ダンジョンが出現した時と同じ状況だ。

 相川たちが問題なく攻略してくれると思うが、万が一ということもある。

 小一時間ほど経ち、夕食を作り終えた真紀が、「できたよ」と声を掛けてきた。 雅也は立ち上がってダイニングテーブルまで足を運ぶ。並んでいたのは水炊き鍋だ。大きな鍋ではなく、小さな鍋が二つ置かれている。

 鍋は家族で取り分けて食べたいが、真紀は嫌なのだろう。

 文句を言う訳にはいかないと口をつぐみ、椅子を引いて腰を下ろす。雅也は「おいしそうだな。いただきます」と手を合わせ、箸を取った。

 真紀は相変わらず無言で食べ始め、父親には一瞥いちべつもくれない。

 寂しくないと言えば嘘になるが、雅也は少しだけ考えを変えていた。娘からの尊厳を取り戻そうと、躍起になって冒険者をやってみた。

 それ自体は良かったと思う。でも、娘から尊敬されることがそんなにも大事だろうか? 一緒に暮らせて、二人とも健康で、真紀は文句を言いながらも料理を作ってくれるじゃないか。非行に走ることもなく、毎日夕食を共にしている。

 穏やかで、充分すぎる幸せを感じる。

 これ以上を望むのは、あまりにも贅沢ではないだろうか?

 父親が多少毛嫌いされるのは、どこの家庭も同じだろう。深刻に思い詰めることはない。そんなことを考えていると、自然に笑みが零れてきた。


「……ちょっと、なにニヤニヤしてるの? 気持ち悪い」

「あ、いや、なんでもないんだ」


 そう多少、毛嫌いされても仕方ない。多少、毛嫌いされても……。


 ◇◇◇


 翌、火曜日――七ッ石山の麓に出現したA級ダンジョンの前に、多くの冒険者が集まっていた。

 中心となるのは山梨支部の加賀、相川、大野など十名の冒険者。

 それに加え、静岡支部から六名。長野支部から四名。埼玉支部から三名。東京支部からも三名。計二十二名の冒険者が、完全武装してこの場に来ていた。

 A級冒険者は三名しかいないものの、戦力としては充分だろう。相川はそう考えていた。

 その理由は明白だ。相川はチラリと斜め向かいに目をやる。

 そこにいたのは東京支部の山神と如月きさらぎ、宮本といった、テレビにも出ている有名どころが冒険者だ。

 全員がA級で、実力は折り紙付き。なにより、奥多摩にできたS級ダンジョン攻略にも尽力した面々。


 ――あの三人がいるなら、このA級ダンジョンは簡単に攻略できそうだ。


 油断するのはよくないが、それでも相川は楽観視していた。自分や加賀だって、それなりの実力はある。

 長野や埼玉の冒険者だってそうだ。攻略が失敗する要素はどこにもない。

 攻略隊のリーダーである加賀は、山梨の地元放送局『MYB甲府放送』のインタビューを受けている。

 若い女性アナウンサーに話を聞かれ、笑みを零しながら答えていた。

 必ず攻略を成功させますよ、と自信を滲ませる。正午が近づき、第一次探索のため、冒険者がダンジョン入口の前に集まる。

 加賀が前に出て、各支部の冒険者を見渡す。


「え~私が山梨支部の責任者、加賀です。私が攻略隊のリーダーを務めますが、隊の先頭は東京支部の皆さんにお任せします。戦闘も東京支部をサポートする形で行いますので、他の支部の方々もご協力、よろしくお願いします」


 加賀は頬を緩め、「では、出発しましょう」と声を上げた。

 武装した冒険者たちが、次々とダンジョンの中に入っていく。先頭を行くのは東京支部の山神たち。山梨支部の加賀たちが続き、その後ろに静岡、長野、埼玉支部の面々が続いた。

 加賀の後ろを歩いていた相川は、警戒しながら周囲を見回す。

 岩でできた洞窟。一本道の通路は入口から徐々に広くなり、二十二名の攻略隊が歩いてもせまくは感じない。

 通路は緩やかな坂になっていて、下へ下へと向かっている。

 特に変哲のない通常のダンジョンに思えるが、なぜか肌寒く感じた。気温自体は低くないはずなのに。

 しばらく歩くと、洞窟の奥からなにかが出てきた。

 二体のスケルトンだ。大したモンスターではないが、魔法以外の攻撃では倒しにくいという特徴を持つ。

 東京支部の如月カイトが前に出た。

 細身の剣を抜き、その剣に氷の魔力を宿す。キラキラと輝く剣を振るうと、スケルトンの骨が切り裂かれた。

 致命傷には見えなかったが、傷口から徐々に凍り始め、スケルトンは完全に動きを止めた。如月カイトが剣をさやに収めた瞬間――スケルトンは地面に倒れ、粉々に砕け散った。

 冒険者の間から感嘆の息が漏れる。

 あれがA級冒険者・如月カイトか、と相川も笑みを漏らした。

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