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第二章 氷雪の魔狼 -8-

 ザルナー湖の南にあるキスヴィル村に寄ると、小鬼オルクの襲撃の話をする。


 一連の騒動については遠くから見ていた者もいるみたいで、やつらを撃退したことについては感謝された。

 だが、何か奥歯にものが挟まったような感じだったので、首を傾げる。

 すると、煙草を燻らせていたレオンさんが、ぷかあと煙を吐いた。


小鬼オルクを倒した件はこっちが勝手にやったことだ。報酬はいらねえよ。それより、やつらの死体がごろごろしてるんでね。その処理だけしといてくれないかな」


 レオンさんの言葉に、村人たちの愁眉しゅうびが開いたように見えた。

 なるほど、報酬の要求に来たと思われていたわけだ。

 こういう人の心の機微を見分けることに関しては、大人には敵わない。

 やはり、レオンさんの経験は凄いと思う。


 山羊と犬を引き連れた子供が駆けながら見送ってくれる中、ぼくたちはキスヴィル村を後にして更に南下する。

 ああいう魔物の中で生活する厳しさを、ぼくはよく知っている。


 エアル島は深い森と湖と泥炭ばかりの、魔物が闊歩する島だ。

 ルウム人に征服されたときにはアルビオン本島に居残れたぼくたちの先祖は、アングル人の襲撃によって追い散らされた。


 アルビオン本島の南部はほぼ奪い取られ、アングル人のアルビオン王国となっている。


 北部にはぼくたちの同族が支配するグランピアン王国があるが、山が多く厳しい寒さで勢力は小さい。


 南西部にもぼくたちの同族のグウィネズ公国があり、近年まで頑強にアルビオンの支配に抵抗していた。

 だが、度重なるアルビオンの侵攻に国が支えきれず、グウィネズ公爵の地位をアルビオンの王子に奪い取られている。


 そうやって、ぼくらは自然とエアル島に追いやられていった。

 魔物の巣窟であるエアル島には、アングル人はやってこなかったからだ。

 そんな中で育ったぼくが、厳しい訓練を受けるのも当然と言える。


 だが、グウィネズ公国の陥落とともに、エアル島にもアルビオンの軍はやってきた。

 エアルの祭司サケルドスたちは、宗教の自由と引き換えにアルビオン王のエアル王襲名を認めざるを得なくなったと言う。

 そうやって、エアル人たちはアルビオン王国の一員となった。


 大昔のぼくたちは、いまのヴィッテンベルク帝国やアルマニャック王国のある辺りで生活していたと言う話だ。

 それが、千年以上経つと大陸の端っこまで追いやられてしまっている。

 どうしてこんな事態になっているのかはわからないが、大魔導師ウォーロックはきっとこれをなんとかしたいと思っているはずだ。

 何と言ったって、ぼくらセルトの民の祭司長ドルイドなんだから。


 キスヴィル村を後にし、更にぼくたちは南へと進む。

 暫く行くと、谷はまた湖で塞がれていた。ルング湖だ。

 崖が湖の際まで迫り出しているので、道も狭くならざるを得ない。

 こう言う道で前後を塞がれたらたまったものじゃないな。


「もう少し急ぎたかったんだが……やはり今日中にブリュンホルン村まで行くのは厳しいな」


 太陽の位置を見て、レオンさんが呟く。


「この先はブリューニッヒ峠なんだ。越える頃には陽が暮れてしまう。夜の峠は魔物が出る可能性も高いからな。峠の前にあるルング村で泊まろう」


 峠さえ越えれば、ブリュンホルン村までは遠くないそうだ。

 明日には、その先のインターラキュス村まで行けるだろう。

 メートヒェン山の麓にあるラウターヴァッサーファル村に着くのはその翌日になる。


 ルング湖を通り過ぎ、南端の湖畔の村に辿り着く。

 湖と同名のこの村は、民家が十数軒あるだけで余り大きな集落ではない。

 当然宿も食堂もなく、ぼくたちは村長に金を払って泊めてもらった。

 村には旅券の認証機がなく、現金しか使えない。

 財布に少し現金を入れておいてよかったと胸を撫で下ろす。


 村長に頼んでパンと牛乳とチーズだけ分けてもらい、簡単な夕食にする。

 レオンさんも物足りなさそうな顔をしていたが、こう言う村は陽が暮れたらとっとと寝てしまうので、ぼくたちも早寝をせざるを得なかった。


 翌朝早く、ルング村を発つ。

 村人たちは朝早くから仕事に掛かっている。

 この村は酪農家もいるが、漁師もいるらしい。

 小さな舟でルング湖に漕ぎ出して行っている。

 エアル島にも湖はあったが、魔物が多くて漁をする人はいなかったな。水の中は厄介だ。


 ブリューニッヒ峠は周囲の山に比べれば標高は低いが、それでもぐねぐねとした道を登っていかないとならない。

 ぼくとレオンさんも馬車を降りて歩き、馬の負担を軽減する。

 今のところ魔物の気配はないが、油断はできない。


「山の空気は健康的で体に悪いな」


 五合目くらいで小休止しているときに、レオンさんが碌でもないことを言う。


「文明人には、こいつが必要だ」


 煙草をくわえると火口で火を付け、大きく煙を吐き出す。

 エアルの自然で育ったぼくにはわからない感覚だ。

 もはや悪癖ではなかろうか。

 煙草を吸っているレオンさんは様になっていて恰好いいが、ぼくが吸うことはないだろうな。

 似合いそうにないし。


「おれの煙草なんて、大魔導師ウォーロックの酒に比べたら可愛いもんだぞ」


 ぼくの視線に気付いたか、レオンさんが言い訳がましく言う。

 そうは見えなかったが、オニール学長はかなりの酒好きのようだ。

 ぼくも酒は飲むが、それは湧き水がそのまま飲めないところが多いためだ。

 腹を下さないためには、酒を飲んだ方が安心だ。

 だが、綺麗な水なら水でいいし、紅茶や珈琲でも構わない。


 ブリューニッヒ峠の頂上に着く。

 残念ながら周囲はもっと高い山だらけなので、一面見渡しても遠くまでは見通せない。

 それでも、登ってきた道と、これから下りる道は一望できる。

 道の先には、青い水面があった。

 あれがブリュンホルン湖か。


 レオンさんが一服した後、馬車は道を下っていく。

 さほど急な坂ではないが、速度を出しすぎないように制動を掛けながらゆっくりと下りていく。

 これは思ったより大変だ。

 こんなところを魔物に襲われたらひとたまりもない。


「ま、大丈夫だろう。恐らく、アラナンのたおした大鬼オルク・ハイがこの辺りの頭領シェフだよ。危険度ゲルプ級の魔物なら、周りの魔物くらい蹴散らしてしまう」


 なるほど、そんなものかもしれないな。

 それだと、あそこで小鬼オルクたちを殲滅せんめつしておいてよかったと言える。

 この下り坂でやつらと出会ったら、馬が間違いなくやられてしまう。


 胸の中にかすかに不安はありながらも、ブリューニッヒ峠を越えるのに成功する。

 レオンさんの言葉が正しかったようだ。

 ここからは暫く平坦な道である。

 街道の両脇は一面の黄色い花畑になっており、遠くをのんびりと放牧された牛が歩いている。


「あれはキバナノリンドウゲルバーエンチーアン。傷や毒に効果のある薬草だ。この辺りには群生していてな。よく青銅級ブローンセ冒険者が小遣い稼ぎに採取に来ているよ」


 薬草は錬金術師に売るとのこと。

 駆け出しの冒険者は魔物を巧く倒せないのもいるらしく、そうやって金を稼ぐそうだ。

 ぼくも今回魔物を倒したから報奨金出るかな。


小鬼オルクは一体金貨マルク一枚くらいで大した金にもならんが、大鬼オルク・ハイなら二百枚ってところか。当分遊んで暮らせるぜ」

「本当ですか? 思ったより報奨金凄いですね!」


 いいことを聞いた。

 白銀級ズィーバー冒険者が金持ちなわけだよ、本当。

 これは巧くすると相当金を稼げそうだな!

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