レオンさんが、氷河の崖を音を立てて滑り落ちていく。
ナイフを突き立てようとしているが、氷は硬く刃が立たない。
滑落を防げぬまま、恐ろしい勢いで落ちていく。
それを追ってクレバスに飛び込むが、すぐにこのままでは間に合わないと判断した。
距離が離れすぎているのだ。
少しくらい速度を上げても、レオンさんには追いつかない。
ならば、諦めるのか。
莫迦な。
ぼくには、少しくらいじゃない手段がまだ残されている。
集めていた周囲の魔力を丹田から体内に取り入れ、経絡を循環させ額の
同時に
そして、それは神の力となって昇華され、
「やらせるかあああ!
体の外を覆っていた
同時に額に
ぐんと目に見えてぼくの速度が上がる。
ぼくは光の尾を
レオンさんは驚愕し、口を何度か震わせたが言葉にすることができなかった。
ぼくはレオンさんの体を抱え上げると、空中で急制動を掛けた。
ぼくの両足の光が、翼のようにふわりと広がった。
「まるでメルクールの
両足に光の翼を広げたまま空中に
メルクールってアルビオン語ではマーキュリーだっけ。
あっちは元はアルカディアの神らしいから、ぼくらセルトの神とは根は違うと思う。
おっと、悠長なことはしていられない。
この額の紋章は、魔力をひどく消耗する上に制御が難しい。
正直、今回巧く発動できたのもまぐれに近い。
それに、いつ解除されるかわかったもんじゃないんだ。
空中を蹴りながら、クレバスを駆け上がる。
それでも、十数歩で滑落したクレバスを駆け上がると、地上に飛び出した。
あれ、夕暮れの空が見えるな。
暗く垂れ込めていた雲が霧散し、吹雪が止んでいた。
そして、茜色の残光に照らされて、銀色の巨大な狼が彫像のように立っていた。
ああ、ファリニシュか。
まだ、こいつとの決着がついていないんだ。
レオンさんを雪上に下ろし、素早くファリニシュに対して身構える。
だが、そこで額の
それとともに一気に全身が脱力し、ぼくは
く……くそ、
全身の激痛と倦怠感に抗しきれず、ぼくは意識を手放した。
最後に視界に入ったのは、こちらをじっと見つめてくる二つの巨大な黄金の瞳であった。
あの決定機に
だが、いけたかもしれないのだ。
あそこで一瞬止まってしまったのは、味方と連携する想定をしていなかったぼくのミスだ。
相方はレオンさんなのだ。
口ではああは言っていても、ぼくを見捨てて一人で戦わせる人ではない。
何でもっと信じられなかったんだろう。
何だかんだ言って、ぼくは
自分の力だけでいけると思っていた。
連携することなど、頭の片隅にも入れていなかった。
あのタイミングで隙を作ったレオンさんの戦術眼は、流石に大したものだ。
魔狼は一秒は止まっていただろう。
「ぼくは大莫迦者だ……」
呟くと同時に、激しい全身の痛みがぼくを覚醒させた。
目を開き体を起こすと、雷を受けたかのような痛みが全身を貫く。
「起きたか、アラナン」
すっとお湯が差し出されてきた。
思慮深い深緑の瞳が心配そうにぼくを覗き込んでいた。
レオンさんだ。
どうやらお互いに無事のようであった。
それなら、此処は……ああ、クライネルパスの山小屋だ。
「まあ飲め、アラナン。お前は二日間も眠っていたのだ」
レオンさんから陶製の器を受け取り、お湯を口に含む。
からからに乾いた喉に
そのままゆっくりとお湯を飲み干したぼくは、二日も眠っていたことに驚いた。
「二日も眠っていたんですか」
「まあな。やつが言うには、無理に
やつ?
と疑問に思ったときに、レオンさんがちらりと厨房の方を見る。
そう言えば、厨房からいい匂いが漂っているな。
「やっと目覚めなんしたか」
いい匂いのする皿を抱えた美女が、厨房から現れた。
年齢不詳だが、二十歳は過ぎているのだろうか。
レオンさんと同じ銀色の髪に、見覚えのある金色の瞳。
均整のとれたしなやかな身体つきながら、抜群のプロポーションを有している。
って、誰だ、こいつ!
「イリヤ・マカロワと申しんす」
「
「よせよ、そう言うのは。おれはあんたほど複雑じゃないんだ。そう言う遊びは暇なときにやってくれ」
「野暮な男。もちっと遊びなんし」
煙るような目付きを向けられたレオンさんは、閉口して両手を上げた。
「どう言うことなんですか?」
首を傾げながら二人に尋ねる。
気絶した後の記憶がない。
何で
戦闘はどうなったのだろう。
「主様は
「わっちは
「ファリニシュが
初耳だ。
そうならそうと、言っておいてくれればいいのに。
ひょっとして、思い切り無駄な戦いをしていたのだろうか。
オニール学長とギルド長に
「まあ、二人はついでにアラナンを育てようとしたに違いない。おれとファリニシュは、利用されたようなものだ。こいつも、おれたちをルウム教会の手の者と勘違いしていただけのようだしな」
「確かに魔狼をマリーの護衛にしろと言われたんであって、魔狼を退治しろとは言われてなかったですけれどね!」
色々言いたいことが巧く言葉にできず、ぼくは思わず立ち上がってしまった。
そして全身の筋肉痛に耐えかね、悲鳴を上げてまた倒れ込んだのである。