気が付いたのは偶然だった。
ふと見上げた先に、違和感を感じたのだ。
殺気などを感じたわけではない。
むしろ、気配は殺されていた。
それでも体が動いたのは、エアル島での生死を賭けた訓練の賜物だろうか。
咄嗟にナイフで命綱を切り、雪上を横に転がる。
同時に今までいたところに巨大な白い影が着地し、盛大に雪を巻き上げた。
「アラナン!」
「無事です!」
レオンさんの心配する声が飛ぶが、気を向けている余裕がない。
目の前には、馬くらいはある巨体が凄まじい殺気を放って立っていた。
間違いない。
魔狼ファリニシュだ。
いつの間に近付いたのだろう。
「
瞬間的に風を巻き上げ、吹雪を吹き散らす。
回復した視界に飛び込んできたのは、白銀の毛並みの巨大な狼。
金色の
ファリニシュ。
真っ白く、そして美しいけだもの。
曇天を
剥き出しになった牙が、恐ろしい速度でぼくに向かって飛んでくる。
必死に横に転がると、ファリニシュは雪煙を上げて新雪の中に突っ込んだ。
凶悪な牙だ。
あの太さに噛み裂かれたら、腕や足など容易く千切れ飛ぶ。
ぼくはアルペンストックを捨てると、
だが、魔狼は明らかにこちらを視認していた。
あの黄金の瞳が、雪の中でぼくも姿を捉えている。
「
死の恐怖に負け、ぼくは
周囲の魔力が急速にぼくに集まり、眼前の魔狼に匹敵する身体能力を与えてくる。
さて、
いきなり、ファリニシュが飛び出てきた。
軍馬のごとき突進を、魔力を全開にして受け止める。
膂力は底上げされているが質量の差は如何ともし難く、雪を跳ね上げながら十フィート(約三メートル)ほど押し出される。
だが、そこで力尽くで魔狼の頭を押さえ込んだ。
ファリニシュの金色の瞳に怒りの炎が灯るが、全力を上げて魔狼の首を締めに掛かる。
魔狼はぎろりとぼくを睨め付けると、一声咆哮を上げた。
すると、腕の中の魔狼の体が見る見るうちに縮んでいく。
慌ててロックを強化しようとしたが、間に合わずするりと腕から抜け出られた。
「くそっ、
折角捕らえた魔狼に逃げ出されてしまった。
短期決戦を狙っていたのに、仕切り直しだ。
ぼくは流れ出る汗を拭うと、唇を噛み締めた。
この
つまり、魔力の鎧が無理やり体を動かしていると言ったらいいのか。
それだけ、ぼくの体に掛かる負担は大きい。
だから、反動が出るのだ。
その反動が出始めていると言うのは、それだけ底上げしている力が大きいと言うことだ。
無理もない。
相手は危険度
普段のぼくの体なんて、紙でも千切るようにばらばらにされるだろう。
全力を出せる時間は短い。
急いで決着をつけるべく、ぼくは
だが、先手を打ったのは魔狼の方であった。
ファリニシュのいる方角から、何かが飛来してくる。
視界の悪い中、ぼくは
ぱきんと音を立てて割れたそれは、どうやら氷の矢のようなものであった。
魔狼は肉弾戦を避けて、
飛び道具で突き放されてはたまらない。
迎撃している間にこっちの限界が来てしまう。
加速して一気に距離を詰めようとしたところに、今度は無数の
ぼくも十や二十の
結局、懸命に
どうせこいつは
と言うことは、やつはほぼ無限に矢を放ち続けることができるはずだ。
魔力を尽きるまで待っている作戦は無理だろう。
そもそもぼくの体が
ならば、どうするか。
無数の弾幕を突破せねば魔狼に辿り着けない。
ならば、少しでもその弾幕を薄くするしかない。
ぼくは
呪文と同時に、ぼくを中心に氷の
三語を使った
群がる無数の
予想もしていなかったぼくの
「このまま……突っ切る!」
足が取られる新雪の雪原を、一気に
足場ができると同時に、ぼくは氷原を蹴って魔狼へと飛び込んだ。
ぼくの纏った
もう一手が欲しかった。
だが、流石に
これ以上の
なら、此処から
それしかないと、思ったときだった。
激しく衝突する暴風に紛れて、一発の銃声が響き渡った。
同時に、魔狼の頭に
だが、ファリニシュの魔力壁を突破できず、魔狼に傷はなかった。
「アラナン!」
呆けていたぼくに、レオンさんの叱責が飛んだ。
そうだ、レオンさんはぼくのために一手入れてくれたのだ。
だが、肝心のぼくが、その好機に一瞬立ち尽くしてしまった。
魔狼が舌を出して
ぼくが決定機を逃したのがわかったのか、ファリニシュは身を
「レオンさん!」
レオンさんは
白銀の影が疾風の如くレオンさんに迫る。
ぼくも必死に追うが、影を後ろから追うので精一杯で届かない。
魔狼に飛び掛かられたレオンさんは、絶叫とともに後ろに数歩下がり、そして不意に姿を消した。
「うわああああ!」
レオンさんの悲鳴が下の方へ移動していく。
ぼくは咄嗟に地面を蹴った。
嫌な予感がする。
魔狼の脇をすり抜ける。
視界に飛び込んできたのは、雪原に開いた
新雪がクレバスの上に積もって、見えにくくなっていたのだ。
「レオンさん!」
ぼくは
崖を蹴って、速度を更に上げる。
だが、足りない。
これでもまだ追いつけない。
「やらせるかあああ!
瞬間、ぼくの両足が鮮烈な光に包まれた。