目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第三章 黄金の鷲獅子 -5-

 グライフェン湖からプフェフィ湖まで、出だしのペースならもう三時間掛かる予定だった。

 だが、それを二時間掛からずに踏破してしまった。

 ハーフェズのスピードアップの効果が大きいな。


 後ろを歩いていたイグナーツの班を瞬時に振り切り、先行していたビアンカの班を捉える位置に付けている。

 と言うか、あの莫迦やっぱりペースが落ちている。

 最初に飛ばしすぎなんだ。


「ま、ハーフェズ様! なんて颯爽さっそうとしたお姿!」


 微弱な身体強化ブーストを纏ったハーフェズは、生命の活力に満ちているように見える。

 ビアンカから見たら、本当に王子様にでも見えているもかもしれないな。


「あんまり無理しないようにね、ビアンカ。綺麗な顔が台無しだ」


 心にもないことを言いながら、ハーフェズがビアンカの横を通り過ぎる。

 ビアンカは付いていこうとしたが、ハーフェズの快足には追い付けない。

 うん、ぼくやマリーが付いていくのにやっとなんだ。

 疲労しているビアンカにはきついだろうな。


 ま、このペースなら、今日中にヘルンリー山の手前にあるハウマ村まで行けるだろう。

 どうせハンスの班もそこ泊まりだ。

 明日が勝負になるかな。


「もうだめー。歩くだけがこんなにきついなんて!」


 ハウマ村で学院の生徒であることを明かし、村長の家の屋根裏に宿を借りる。

 ちなみに、ハンス・ギルベルトたちはこの下の二階に宿泊している。

 先に彼らが到着したので、いい場所を取られたのだ。

 ビアンカたちはどうするのだろう。

 ハウマ村は、村長の家以外泊まれるほどの大きな家はない。


「待ちなんし。ちくっとマリーの足を冷やしんしょう」


 干し草の上にひっくり返るマリーの足に手を当てると、冷気を発して熱を冷ます。

 ファリニシュは器用だな。

 それにしても、出会った頃のマリーはあまり喋らないし上品で洗練された淑女だと思っていたが、あれはかなり猫を被っていたようだ。

 最近は結構活動的だし、地が出てきている気がする。


「あああああ、イリヤそれ気持ちいいわあ」


 マリーは目を細める。

 ファリニシュの冷気は、疲れた足には心地いいらしい。

 それで明日もマリーが歩けるなら助かるな。


「アラナン、明日はわたしと魔物の討伐数の競争をしないか」


 人が変わったようにハーフェズが笑った。


「わたしの退屈を紛らせてくれそうなのは、アラナンくらいだからね。イリヤの方が楽しそうだが、彼女は本気になってくれなさそうだからなあ」

「……やっぱり只者じゃなかったんだな、ハーフェズ」

「本当は、オニール学長に相手になってもらおうと思っていたんだけれどねえ。その前に前菜で楽しむのも悪くないさ」


 ハーフェズは首もとから黄金の首飾りを取り出すと、宣言するようにぼくに向けた。

 よく見ると、その首飾りには何か動物のようなものが彫られている。


「ヒッサールの黄金の鷲獅子ホマ・エ・タラに誓って、君にも本気になってもらうよ、アラナン」


 ハーフェズの眼光が、鋭くぼくを射る。

 猫の皮を被った獅子め。

 こいつと初めて出会ったとき、全く気配を感じ取れなかったのを思い出した。


「……いまできる全力は尽くすよ、ハーフェズ」


 魔術エレメンタル神聖術セイクリッドも使うわけにはいかない。

 それでこの化け物に勝てるかはわからないが、挑まれたからにはやってみるしかないだろう。

 やれやれ、班の内部に一番の強敵がいたとはね。


 しかし、やる気のない天才児に火を点けたのは、本当はファリニシュなのだろう。

 ハーフェズは、ファリニシュが相手にしてくれないことがわかっている。

 それでぼくを代理にしているんだ。

 確かにぼくが全力を出しているとは思っていないだろうが、魔術エレメンタル神聖術セイクリッドのことまで知らないはずだからな。


 翌朝、ぼくたちはハンスたちと競うようにヘルンリー山へと向かう。

 テス川沿いに進む山道とは一度別れ、山頂に向かう九十九折つづらおりの道を登っていく。

 ファリニシュは道に僅かに残る足跡を見つけると、近くに小鬼オルクがいると断言した。


「わっちの鼻に賭けて、この先に三十ほどの小鬼オルクがおりなんす」

「よし、アラナン、マリー、行くぞ」


 見違えるようにやる気を見せるハーフェズが駆け出す。

 くっ、身体強化ブーストの段階を三つくらい上げやがったな。

 あっという間に引き離される。


 ハンスの班を含めて、ハーフェズの後を追って駆ける展開になった。

 流石に敵を視認する前に身体強化ブーストを無駄遣いする者はいない。

 故に、ハーフェズは一人小鬼オルクの群れと接敵することになった。


「ははは。アラナン、マリー、よく見ておくがいい。魔法の矢ティグラー・エ・アフスーン、いや、アルビオンでは魔法の矢マジックアローだったか。わたしが使えば、初等科の魔法ソーサリーも、こうなる!」


 息を切らせて駆け付けると、ハーフェズの周囲に無数の魔法の矢マジックアローが浮かんでいた。

 いやいや、あれはないわ。

 余裕で百個くらいあるだろ。

 同時展開にも程がある。

 ぼくが魔術エレメンタルを使って風刃グィーを限界まで出したとしても、二十から三十がいいところじゃないか?

 本当にあれを全部制御できるの?


 ハーフェズが手を振り下ろすと、次々と小鬼オルクに向かって魔法の矢マジックアローが飛んで行く。


「アラナン君、何止まっているんだ……」


 追い付いてきたハンス・ギルベルトが、目の前に展開する光景を見て絶句した。


 初等科の生徒で魔法の矢マジックアローを使えるのはまだ数人。

 その中で一番巧いのは何を隠そうぼくだ。

 魔力を放出する感覚はすでにお手のものだし、身体強化ブーストみたいに戸惑う要素もない。


 だが、そのぼくの放つ魔法の矢マジックアローでも、一撃で小鬼オルクを倒すのは難しい。

 そこまでの威力はないのだ。

 よほど急所に当てない限り、三、四発は当てないと倒せない。


 だが、ハーフェズの魔法の矢マジックアローは、その威力も桁外れだった。


 魔法ソーサリーが当たったところが、まるで爆散したかのように吹き飛んでいる。

 大抵一撃、悪くても二撃で小鬼オルクは沈んでいった。

 三十以上いた小鬼オルクを片付けるのに、要した時間は僅か五秒くらいか。


「何だ、これは……どういうことだ」


 流石のハンスも状況を受け入れられないらしい。

 お陰でぼくは冷静になれた。

 追い付いてきたマリーも唖然としているが、ファリニシュは当然のような顔をしていた。

 あの狼、結構前からハーフェズの実力を見抜いてやがったな!


「これ……全部ハーフェズがやったの?」

「ああ、魔法の矢マジックアローの同時展開で一瞬のうちに仕留めていた」

わらわ繊手せんしゅも長じれば岩をも貫きなんす。あれなら主様のよき遊び相手になりんしょう」


 ぼくの遊び相手ねえ。

 本気を出さなきゃ、無理そうなんですけれど。

 学長が許可をくれるはずないしなあ。


 ハーフェズが、息を乱しもせずにこちらに近付いてくる。

 天使のような笑みを浮かべると、ぼくの肩を叩いてきた。

 そして、耳にささやく。


 次は君の番だよ、アラナン、と……。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?