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第四章 ルンデンヴィックの黒犬 -9-

 立て続けにマリーが襲撃されたので、ジャンの護衛に学院の許可が下りた。

 仕方ないよね。

 だって、マジャガリーのアールバード・イグナーツが平気な顔で登校してきているんだ。

 ジャンにしてみれば、気が気でないはずだ。


 マリーの背後で怖い顔で仁王立ちするジャンに、初等科の級友たちも若干引き気味である。

 ジャンを知る三人組ですら近付きにくいらしい。

 自然、マリーの鬱憤が溜まっていっているようだ。

 金色の双眸が次第に細められていっている。


 あれは、大爆発する前に小さく爆発させた方がいいのか。

 それとも、今すぐ逃げた方がいいのか。

 エアル島の祭司サケルドスたちも教えてくれなかった難問だ。

 此処に、ぼくの心の師匠のレオンさんがいたらどんなに心強いか!


 流石に教室の空気が悪くなったので、ドゥカキス先生がジャンに廊下で待機するように指示した。

 若干涙目になってはいたが、その勇気に教室はどよめいた。

 ぼくも先生の意外な勇敢さに心から敬服した。

 ごめんなさい、ドゥカキス先生。

 ぼくは今まで先生を見誤っていたかもしれない!


 ジャンは渋々廊下に退避し、教室には平和が戻った。

 ジャンにはちょっと可哀想だったな。

 後で差し入れでも持っていくかなあ。


 その日の講義は、魔法の矢マジックアローの複数化についてだった。

 この辺りは、ぼくやハーフェズには意味がない講義だ。

 もうすでにできるわけだからな。

 だが、魔力を体から切り離すのに苦労している初等科生徒にとっては、この複数の魔法ソーサリーを制御することはかなり難易度が高いようだ。

 魔法の矢マジックアローを使える生徒ですら、二本目を出すと制御を失って暴走した。


 ぼくはその光景を見ながら、魔力障壁マジックバリアの予習を考えていた。

 身体強化ブーストを覚えた者は、ある程度誰でも体に魔力障壁マジックバリアを纏っている。

 微弱なものだが、それで模擬戦でも怪我をしにくくなるのだ。


 当然、いまの段階では大した強度ではないが、意識をすれば強化をすることはできる。

 勇敢な戦士ケオン身体強化ブーストを同時発動したときのぼくは、大抵の攻撃を弾き返す魔力障壁マジックバリアを纏っている。

 それを、魔術エレメンタルを使わなくても強化できないかなと思っているのだ。

 無論、ぼくの魔力には限りがあるから、常時そんなことをするわけにはいかないのだが。


 そんな風に講義からやや離れた思索に耽っていたところ、ドゥカキス先生から目を付けられたらしい。

 複数の魔法の矢マジックアローを操るときのコツについて答えなさいと質問されてしまった。

 さて、どうするかな。


 ちなみに、ぼくの前にはハーフェズが指されていて、何となくできると答えて先生を絶句させていた。

 あいつは理論じゃなくて感性なんだ。

 天才に説明を求めてはいけない。


「うーん、個別の矢に意識を注ぎすぎないことです」


 とりあえず、ぼくも何となくやっていることを言語化しなくてはならない。


「全体を見るようにして、事象のひとつひとつにこだわらない。個に集中すると、他の制御が甘くなります」

「そうですね。では、どうしたら個の事象に拘らなくなれるかしら」

「月並みですが、修練あるのみですね。剣が得意な者は、この全体を見る目を持っている者は多いはず。魔力を自分の体から切り離すことに慣れれば、魔法の矢マジックアローの習熟も上がるはずです」


 ドゥカキス先生は、この答えに満足してくれたらしい。

 魔法の矢マジックアローの苦手なハンスと、得意なマリーを前に呼んで、実演を交えながら魔力を飛ばすコツについても説明していく。


 その間に、ぼくは魔力障壁マジックバリアを一点に集中して魔法の盾マジックシールドを作ることについて考えていた。

 魔力消費量的には、こっちの方が優しいはずだ。

 ハーフェズのような矢の雨を降らすような相手には使いにくいが、剣を主体とするハンスみたいな相手には有効ではないだろうか。


 講義が終わると、ぼくはハーフェズと一緒に帰途についた。

 さぼり魔を返上し、初等科ランキングトップを走るハーフェズは、以前にも増して女性徒の人気が凄まじい。

 通り過ぎるだけで黄色い歓声が飛んでくる。

 さぼり魔をやめたハーフェズは、割りとそんな声にも愛想よく返すので、人気は上昇する一方だ。

 反比例して、男性の支持は急降下している。

 ハーフェズとよく一緒にいるぼくにも風当たりが強い。


 ハンスたち三人組はそんなことないんだけれどね。

 サルバトーレが、嫉妬心の強い連中を束ねてのさばり出しているのが面倒だ。


 ギルドに寄ると、ちょうどぼくたちの前でイグナーツが報告をしていた。

 ぼくが入ってきたのを見ると、その瞳に憎悪と恐怖を宿らせる。

 そりゃ、君の騎竜を真っ二つにしたのはぼくだがね。

 あれは君が悪いんじゃないかと、そう思うわけですよ。


 どうやら、イグナーツは飛竜ワイヴァーンを失ったせいで仕送りが止められているようであった。

 魔物を狩って、生活の糧にしているらしい。

 竜騎兵ドラグーンの武術を隠していたイグナーツは、竜騎銃ドラグーン・マスケットでそこらの魔物は一蹴できる。

 今後、初等科ランキングで本気を出すのかは見ものだな。


 穏やかでない表情ではあるが何とかイグナーツが去ったので、ようやくぼくも魔獣の精算を受付の女の子に頼むことができた。

 ルンデンヴィックの黒犬は、過去の事件が原因で莫大な懸賞金が懸けられていた。

 その額、実に金貨マルクで二千枚を数える。

 おおう、予想より大分高額だった。


 ハーフェズと山分けしようと言ったが、金持ちのハーフェズは自分は要らないと固持してきた。

 自分で倒したわけではないから、貰うわけにはいかないそうだ。


 この間から大分懐も温まったし、今度買い物でもしたいなあ。


 ぼくの場合、武器はフラガラッハと楢の木ロブルの棒があるからいいけれど、防具や装身具はもう少し何か見繕ってもいいよね。


 ただ、今日のところは買い物で時間を潰すわけにもいかない。

 ハーフェズもいるしね。

 連れ立って、アルトシュテッテンの北斗七星グローセ・ベーア亭に向かう。

 この時間は、サーイェが見張っているはずだ。


「アンサー・ブランは動くと思うかい?」


 ぼくの問いに、ハーフェズは首を振った。


「今更動く理由はないだろう。今回の計画は失敗したんだ。イリヤ・マカロワの力を見誤っていたのが誤算だったな。マルグリットを狙うなら、まずあれを引き離さないといけなかっただろうに」

「そのつもりでいたのかもしれないけれどね。その前にぼくらに会ってしまったのが失敗だね」


 リマト川沿いにアルトシュテッテン地区を目指して進む。

 川の向こうにはケーファーベルクの丘が見える。

 あそこには、学院が管理する初級迷宮があるはずだ。

 次の野外実習は、あれの攻略になる予定と聞く。

 迷宮攻略は初めてだし、何かわくわくするよね。


 そんなことを考えながらアルトシュテッテン地区に入る。

 そこでぼくらを待っていたのは、路地に響き渡る怒号と喧騒だった。

 何事かと周囲を見回してみる。

 殺気だった男たちが、武器を構えて走り回っている。

 人相の悪い連中だ。

 冒険者などではない。

 裏家業の連中だろう。

 何を追い掛け回しているのだろうか。


 嫌な予感がした。

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