ハーフェズが唐突に駆け始めた。
慌てて、ぼくもその後を追う。
ハーフェズも、ぼくと同じ焦燥感を覚えたのだ。
やつらが向かっているのは、
そこに、漠とした不安を感じる。
駆け付けた
店の外の路地で、サーイェが群衆に囲まれていた。
彼らはどう見ても堅気とは思えない連中で、手にナイフなどの武器を持っている。
十数人はいるだろうか。
だが、囲まれたサーイェの方は、何も持たず不自然なほど自然に佇んでいた。
よく見ると、すでにサーイェの周囲には五人ほど男が失神して転がっていた。
状況から察するに、サーイェに倒されたのだろう。
囲む男たちが殺気立つはずである。
「お前ら、うちの使用人に何の用だ」
地獄のように低い声が聞こえてきた。
え、いまのはハーフェズか。
いつもの余裕のある口調ではない。
本気で怒っている迫力が感じられる。
「てめえが親玉かあ。ギルドに断りなく、この辺りで商売できると思うなよ!」
「女やガキだからって、舐めた真似しくさりやがったら、落とし前着けてもらわないとなあ!」
ドスの効いた声で男たちが叫ぶ。
なんだろう、こいつらは。
サーイェが何でこいつらに絡まれているかわからないので、何とも言いようがない。
「使用人に文句があるなら、わたしが聞こう。このイスタフルのハーフェズ・テペ・ヒッサールがな」
ハーフェズの怒りは沸騰しているようだが、まだ爆発はしていなかった。
ぎりぎりで暴発を抑えたらしい。
とりあえず、話し合いの提案をするくらいの冷静さは残っていた。
「へっ、じゃあ金を払ってもらおうか。本当なら、てめえらを叩き売りたいところだが、フラテルニアでは人身売買はご法度だ。慰謝料
意外と真面目な裏稼業の連中だ。
奴隷商売がフラテルニアでは禁止されているのは確かだが、こういう連中がそれを守っているとはね。
「わかった。払おう」
あっさりとハーフェズは連中の要求を受け入れた。
「貴様らの面子は立ててやる。その金を受け取ってとっとと失せろ。それでも文句を言うようなら、イスタフル帝国と魔法学院が相手になるぞ」
学院の関係者だと知ると、連中に動揺が走った。
フラテルニアでは、
ヴァイスブルク家を筆頭とするアレマン貴族を、ヘルヴェティアから追い出したティアナン・オニールだ。
彼の怒りほど恐ろしいものはない。
「ちっ」
虚勢を張りながら
ぞろぞろと連れ立ちながら、ハーフェズの隣を過ぎ、ぼくの横を歩いていく。
(アラナン・ドゥリスコル。覚えたぞ、その顔)
囁くような声が、ぼくの耳を打った。
思わず横を歩く男を睨むが、不思議そうな顔をするだけで立ち去っていく。
(次は本気で掛かる。そのときまで、その首は預けておくぞ)
きょろきょろと周囲を見回すぼくに、ハーフェズも首を傾げる。
これは、ぼくの耳にしか届いていないのか。
「アンサー・ブランか!」
(ふふふ、それも仮の名。貴様如きにはおれの影も掴めまい。おれの従魔を屠った礼は、この次に必ず果たす。それまで、眠れぬ夜でも過ごすんだな)
男たちが通り過ぎていく。
慌てて顔を確かめるが、
あの女受けしそうな甘い顔立ちのサビル人はいなかった。
「どうしたんだ、アラナン」
ハーフェズですら、気付いていなかった。
ぼくは肩をすくめて、大きく息を吐いた。
「いまの男たちの中に、アンサー・ブランがいたんだ。いや、名前も顔も変わっていたかもしれない。そもそも、サビル人ですらないかもしれない。やつめ、思ったよりずっと危険な男だぞ。いまの騒動も、やつが企てたものに違いない」
ハーフェズとサーイェは、ぼくが何を言っているんだという顔をしていた。
だから、ぼくは
だが、鍵を開ける必要はなかった。
掛かっていなかったのだ。
部屋の中は空っぽだった。
アンサー・ブランの気配もなかった。
「まんまと逃げられた。やはり、あの中の誰かがアンサー・ブランだったんだ」
ぼくの呟きを聞いたサーイェは、肩を落として落ち込んでいた。
言葉に出さなくても、サーイェがハーフェズとダンバーさんのために張り切っていたのはわかっていた。
だから、危険な囮役も進んで買って出たのだ。
それなのに、自分が絡まれていたために犯人に逃げられたとあっては、責任を感じてしまうのだろう。
「なに、そんなに気にするでない。おぬしたちはよくやった。むしろ、深入りせんでよかったの」
いつの間にか、部屋の中に
シピが神出鬼没なのはいつものことだが、今日はオニール学長まで一緒である。
「容易ならぬ気配を感じ取ったのでな。まさか、
イフターハ・アティード?
聞いたことのない名前だけれど、何者なんですかね。
「
ちょっと!
そんなにやばい相手とか聞いてないですよ!
ぼくはやつにしっかり目を付けられたみたいなんですが、どうしたらいいですかね。
「なに、彼奴より強くなればいいだけじゃ。最低でもフラガラッハを使いこなし、更には残りの四つの神器を手に入れることじゃの。わしらに関わってこなかった
「初等科の講義しか受けてないですけれど、それでそのイフターハ・アティードってやつに対抗できるんですかね!」
「なに、フラテルニアにはわしもおれば、シピやキアランもおる。イリヤもおるじゃろ。警戒はしておくから、心配はせんでいい」
そこの黒猫がその
爪立てて手を引っ掻くのは禁止だよ!
シピが
しかし、そういやイフターハは、シピの
ま、エアル島のセルト人は常に戦いに身を置いて生きてきたんだ。
今更敵の一人や二人増えたからって大したことじゃない。
ことじゃないよね、シピ・シャノワール。
目を逸らさないで!