ベールに着いたのは、まだ陽が高いうちであった。
本当に五時間足らずで六十マイル(約百キロメートル)を走破したよ、全く。
流石に
まだ体が揺れている気がするし。
シュピリ市長とクリングヴァル先生の宿泊している宿の名前は聞いている。
アンヴァルを人間の姿に変えさせると、ぼくたちはその宿へと向かった。
ベールは、アーレ川の西に広がる小高い丘に作られた城市だ。
ヘルヴェティア自由都市連合の中核となる街で、連合評議会と冒険者ギルドの本部がある。
政治的な中心地であるが、魔法と宗教の中心であるフラテルニアに人が流れているのは否めない。
必然的に人口の多いフラテルニアは商業でも中心となり、ベールはやや地味な立場に追いやられている。
市街の中央には大きな時計塔があった。
正午になると機械仕掛けの踊る熊が現れるんだって。
ちょっと見たかったが、今日はもう終わってしまっているな。
残念に思いながら宿に向かおうとしたとき、ふと時計塔の隣の小さな庭に槍を構えて動かない小男がいるのに気付いた。
ぼくの視線に気付いたアンヴァルが同じ方向を見る。
すると、その表情がみるみる苦々しいものに変わった。
「いやがりましたですよ」
「え、ひょっとしてクリングヴァル先生?」
「そうですよ。あれが例の
へえ、あれが
でも、一体何をやっているんだろう。
「槍の鍛練ですよ。いつもやってますよあいつは。
ああ、なるほど。ぼくも
余りの速さに止まっているように見えたが、手首が素早く動いている。
「もうひとつ、それに突きを混ぜているですよ。
突きだって?
突いている様子なんて全くないじゃないか。
まさか、ぼくの強化した目でも捉えられない速度で突いているのか?
「本当にあれの生徒になるですか? 地獄に行く方がましっていう気がするですよ?」
「うん。もう決めたから」
見ただけで凄い人なのはわかった。
これだけ強い人ならば、間違いなくぼくを強くしてくれるだろう。
「見学を許した記憶はないぞ、
こちらを見もせずに、クリングヴァル先生が口を開く。
アンヴァルは歯を剥き出してお返しをした。
「仮にも神馬たるアンヴァルに
「教職にある者に
唐突にクリングヴァル先生は槍の構えを解くと、ぼくの方に向き直った。
思わず一礼すると、ぼくは
「中等科に進級したアラナン・ドゥリスコルです。
「ああ?
「これは学長からの手紙です。お渡しするようにと」
手紙を無造作に受け取ったクリングヴァル先生は、封を切って中を見た。
すると、その顔色が次第に赤くなっていく。
「
小さい肩をいからせながら、クリングヴァル先生は叫んだ。
「おれに子守をやらせるつもりか! ふん、そうはいくか。おい、アラナン・ドゥリスコル、こっちに来い!」
おっと、いけない。
慌てて小走りでクリングヴァル先生の前に行く。
先生はぼくの足の辺りをちらりと見て、肩をすくめていた。
「あー、初等科から進級したばかりだったよな。初等科は誰が受け持っているんだ……ああ、クロエの嬢ちゃんか。まあ、初等科のお客さんを教えるには、あいつ程度がいいんだろうなあ」
確かに、ドゥカキス先生はそんなに
それは、本国に帰る生徒はそこまで強力に育てる気がない、ということなのか?
そうだとしたら、学長も
「基本のままごとみたいな
クリングヴァル先生は、ぼくの体を凝視しながら寸評する。
正直全部見抜かれているようで怖いな。
小柄な体なのに、何倍も大きく見える。
「だが、おれの弟子になるなら、最低限できなきゃならんことがある。いいか、見てろよ」
クリングヴァル先生が傍らの岩に手を当てた。
あんな接近した状態で何をするつもりなんだろう。
と思った瞬間、岩に無数のひびが入り、粉々に砕け散った。
えっ、全く力を入れたように見えなかったのに、どうやって破壊したんだ。
「
「言っておくが、やたらと魔力を費やすのは駄目だぞ。ある程度は上がるが、一定以上魔力を込めても無駄になるだけだ。そんなことでは岩は壊れない」
むう。
じゃあ、どうすりゃいいんだ。
見たところ、クリングヴァル先生の動きに激しさはなかった。
打撃の強さで砕いたわけじゃない。
だが、何か特別なことをしたようにも見えなかったんだよね。
ぼくの持ち技で岩を砕くことができるのはあるかな?
そもそも、強化したとはいえ、素手で岩なんて砕けるものなのか?
色々ぐるぐる考えが頭を巡っていたが、不意に思いついたことがあった。
そういえば、
あれを打撃に応用すれば、岩を砕けるんじゃないか?
しっかり手を
掌の中では魔力を凝縮しておく。
掌打を打ち出す瞬間、凝縮した魔力を解放し、爆発に変えた。
爆発の規模を抑えた分、岩は半壊しただけにとどまった。
飛び散る瓦礫に当たりもせず、悠然とクリングヴァル先生が近付いてくる。
「誰が
鋭い目で見上げられ、肝を冷やす。
そ、そうか。
あれも
「……だが、
いきなりクリングヴァル先生が笑った。
いたずらっ子がおもちゃを見つけたような笑みに、何故か嫌な予感がした。