目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第六章 ツェーリンゲンの狂牛 -6-

 朝食が終わった後、ぼくとアンヴァルは明らかに意気消沈していた。

 何故かって?

 クリングヴァル先生との戦いに敗れたからだよ!

 アンヴァルとの連合軍で攻めかかったのに、一歩も国境線を越えられなかったんだ。

 手を伸ばしても、先生の制空圏に入った瞬間に叩き落とされるんだ。

 身体強化ブーストをしても、全く歯が立たないんだよね。


「じゃあ、行くぞ、アラナン」


 いつの間にか、シュピリ市長とクリングヴァル先生が出掛ける準備を整えていた。

 おや、何処に行くんだろう。


「ぼーっとしているなよ。評議会に行くぞ」


 ああ、シュピリ市長は当然そこに出掛けるよね。

 え、ぼくも行くの?


「ティアナンが、君を評議会に連れて行くように手紙に書いてきたんですよ。わたしは反対なんですがね」

「責任はオニールの爺いに取らせろよ。そのためにいるんだ」


 無責任に笑うクリングヴァル先生とは対照的に、シュピリ市長は青い顔をしている。

 この人は武人ではないから仕方ない気はするが、クリングヴァル先生と比べるのがそもそも間違いか。


 クリングヴァル先生を先頭に、連れ立って連合評議会へと向かう。

 アーレ川に沿って走る大きなミュンツ通りを歩くと、すぐに評議会の白い建物が見えてきた。

 馬車が止まる広場を通り過ぎ、大きな階段を昇ろうとすると、警備の兵が近付いてきた。

 だが、クリングヴァル先生を見ると、ぎょっとしてその場に立ち止まる。


「くっくっく、こいつら飛竜リントブルムの強さを嫌ってほど知っているからな。直系のおれにまで警戒しやがる。おれなんて、こんなに大人しいのによ」

「スヴェンが大人しいなんて、誰も信じませんよ。槍を取れば、ヘルヴェティアでも随一の腕じゃないですか」

「ふん、おれなんてそう大層なもんじゃないさ」


 そう言ったときのクリングヴァル先生は、ちょっと寂しそうだった。

 何か事情があるんだろうか。


 評議会の中に入るときは、装備と魔法の袋マジックバッグを預けさせられた。

 魔法の袋マジックバッグの中身はぼくしか取り出せないから、フラガラッハとタスラムを取られることはないだろう。

 だが、丸腰はちょっと不安である。

 そう思ってクリングヴァル先生を見たが、槍を預けたのにこの人はまるで平気そうであった。

 そういや、この人の師匠は素手で相手を一撃で斃す御方だっけ。

 無手の戦闘だって極めているに違いない。


「議場には、評議員しか入れない。おれたちは、上の傍聴席だ」


 途中でシュピリ市長とはお別れだ。

 市長はそのまま真っ直ぐ進み、ぼくたちは階段を上がる。

 廊下を進み、扉を開けると、傍聴席の中腹の辺りに出た。


「流石に、全員評議員が揃っているわけじゃない。あの派手な司祭服を着ている太っちょフェットが、クウェラの大司教グレゴーリオ・キエーザ。聖修道会ハイリヒ・オルデン・デア・ブルーダーのウルリッヒ・ベルンシュタインの天敵だ。隣の落ち着きのないおっさんがオルテの市長テオドール・ズーター。そして、その隣の脂ぎった中年がベールの市長フロリアン・メルダースだ」


 ふん、こいつらがブライスガウ伯を擁護している連中ね。

 ルウム教会の大司教やベールの市長はわかったけれど、オルテの市長は何でだろう。


「オルテは、昔からベールと親しい間柄だ。あそこもツェーリンゲン家の支配地域だったんだよ。だから、大体いつも意見を合わせるんだ」

「ベールの腰巾着ですか。確かに貫禄のないおっさんですね」

「全くだ。そして、その隣にいる老人が、冒険者ギルドの本部長、黄金級ゴルト最強の男飛竜リントブルムアセナ・イリグだな。おれの師匠マイスターだが、おっかないお人だ。くれぐれも怒らせない方がいい」


 おっと。思わぬところに飛竜リントブルムがいたな。

 冒険者ギルドの本部長なのか。

 確かに、黄金級ゴルトのシピでさえフラテルニア支部長だもんな。

 本部長を勤められる人なんて、この人だけか。


 年輪の入った顔をしているな。

 甘さの全くない、厳しい男の顔だ。

 体の筋肉は落ちているだろうに、鷹のような眼光がそれを感じさせない。

 しかし、あれが基礎魔法ベーシックを極めた男なのか?

 身体強化ブーストを掛けているようにも見えないんだが。


師匠マイスター魔力隠蔽フェアハイムリヒュンクは神業だ。アラナン、お前程度では視えないから、心配するな」


 はいはい。どうせそうだろうと思いましたよ。

 しかし、強くなったと思っても上にはまだまだ強い人がいる。

 本当にこんな人たちを超えられる日が来るのかなあ。

 いやいや、弱気はいけない。

 少なくても、クリングヴァル先生は超えないと!

 おかずの争奪戦で負け続けるわけにもいかないじゃないか。


「その隣が、ルツェーアンの護民官リヒャルト・マティス。ルツェーアンは武人が評議員なんだ。何たって、ヘルヴェティア軍総指揮官だからな。ネフェルスの英雄に物を言えるやつは、そうはいない」


 ネフェルスでヴァイスブルク家を筆頭とするアレマン貴族連合軍を破った英雄には、些かの興味があった。

 そりゃぼくも男の子だからね。

 英雄って言葉の響きには弱いのさ。


 だが、見たところリヒャルト・マティスは、武人というより優しそうなおじさんだった。

 柔和な顔をしており、とても勇敢な将軍には見えない。

 飛竜リントブルムとは印象が正反対だ。


 そして、それに加えてフラテルニア市長であるベルナルド・シュピリがいるというわけか。

 いま評議会に出席しているのは六人なのね。

 何か数が少ないんじゃない?


「ベールが勝手にいちゃもん付けているだけだからな。みんな阿呆らしくて出てこないんだ。ツェーリンゲン家にも、義理はないしな」


 気持ちはわかるなあ。

 自分の街の行政もあるだろうし、こんな案件でベールに長く滞在するわけにもいかないもんねえ。

 でも、ぼくにとってはよくないんだけれど!


「そして、反対側の傍聴席にいる連中。あれが、ツェーリンゲン家だ」


 ん、おお。

 確かに、数人の男女の中に懐かしきユルゲン・コンラート君がいるじゃないですか。

 あ、あっちも気付いたかな。

 こっちを指差して叫んでいるな。


「中央にいるのが、ブライスガウ伯ルドルフ・フォン・ツェーリンゲンだ。アレマン人の名門ツェーリンゲン家の当主として、帝国でもそれなりに力を持つ男だよ。あの意志の強そうな眉と鷲鼻を見ただろう。生半可なことでは引かない男だぞ」

「まさしく、ユルゲン・コンラートの父親って感じですね」

「ああ。息子はバードゼックの代官をしていたんだっけな。だが、あれでも正式な帝国騎士ライヒスリッターだ。多少は身体強化シュテルクングを使えるらしく、ツェーリンゲンの狂牛ツェーリンゲンス・リンダーヴァーンと呼ばれている。そこそこ力が強いみたいだから、身体強化シュテルクングが使えれば雑魚相手には無双だろう。それが、お前にあっさりとやられちまったわけだ。面目も丸潰れらしく、かなりお前らの悪口を評議員に吹き込んでいたぞ。無論、こっちはマルグリット・クレール・ド・ダルブレから、すでに報告を受けているからな。適当な発言は全て反論してやったけれどな」


 憎悪の籠もった視線がぼくに向けられる。

 おいおい、ユルゲン・コンラート君。

 君のそれは逆恨みってもんじゃないですかね。

 仕掛けてきたのは、君の方だ。

 反撃を食らったからって、父親に頼るとか情けない男だな。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?