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第三章 目をそらす理由

第9話 見ないでって、願ってた

 高校一年生のときのことを思い出すだけで、今も胸がきしむように痛む。


 淡い期待を抱いて入学したあの高校での生活は、初めこそ順調だった。クラスにもうまく溶け込み、特にクラスの中心的存在だった彼と親しくなるのに、それほど時間はかからなかった。


 行きも帰りも一緒で、休み時間にはたわいない会話を繰り返し、昼食を並んで食べる。体育祭を経てさらに距離が縮まり、その関係は周りから見ても「仲の良い親友」と言えるものだった。いつの間にか彼の笑顔が、自分の中で特別な意味を帯びるようになっていた。


 俺が男を好きだと自覚したのは、中学の頃。


 同級生数人でエロ動画を見ていたときのことだ。友人たちは映像に映る豊満な女性の身体に興奮していたが、俺の視線は真逆の場所へ向かっていた。


 引き締まった体躯や厚い胸板、割れた腹筋、男らしさを象徴する無骨な指先。それらに不可解なほど惹かれ、「こんなふうに抱かれてみたい」とさえ思ってしまった――その瞬間、自分が「男を好きになる」という事実をはっきりと知ったのだ。


 高校に入り、彼と過ごすうちに高鳴っていく気持ちを抑えられなくなったのは、一年の三学期頃だった。親友として当たり前に接している日常が、恋心の芽をひそやかに育てていったのだろう。いつしか“好き”という言葉が喉の奥までこみ上げ、とうとう告白せずにはいられなくなった。


 決心を固め、部活終わりの夕方に呼び出した彼を待つ教室は、冬の夕暮れが早くに落ちていて、蛍光灯の冷たい光が教室の隅々を浮かび上がらせていた。廊下から聞こえる遠い笑い声とは対照的に、二人きりの教室は張りつめた静寂に包まれていた。


「……好き、なんだ。お前のことが……」


 声が震え、心臓も壊れそうなほど鳴っていた。けれど、その言葉がどういう結末を招くのかは、まるで想像できなかった。


 彼は目を見開き、言葉もなく硬直していた。驚きと戸惑いがない交ぜになった表情。その奥に見えたのは“嫌悪”だった。徐々に顔色が青くなり、吐き気を催したように唇を歪めると、何も言わないまま走り去っていった。


 俺は机に突っ伏してそのまましばらく動けなかった。


 次の朝――いつも一緒に登校していたはずの彼から「先に行く」とだけ連絡がきた。胸に嫌な予感を覚えながら教室に入ると、机の中には一通の手紙が入れられていた。


 そこには下品な罵倒と、ゲイを揶揄するような言葉が並んでいた。告白を目撃していた誰かが、面白半分でこんな手紙を仕込んだのか。それとも、もう彼本人が誰かに“相談”してしまったのか――。思考は混乱を極め、心臓がどんどん冷たく固まっていくのがわかった。


 翌日からは、SNSで俺の実名が晒され、「ゲイ」「キモい」という書き込みがタイムラインを埋め尽くす。クラスメイトだけでなく学年全体、そしていつの間にか学外にまで広がったその侮蔑と中傷の嵐は、俺に生きている心地を奪った。


 ――好きになったのはただの“人”であって、性別が男だったというだけなのに……。


 しかし世間は、それを“気持ち悪い”と糾弾する。


 朝が来るたびに恐怖で吐き気を催し、学校へ行けなくなった。結局、心を壊す寸前になり、転校を余儀なくされることになった。


 そして、新しい学校では、もう誰とも深く関わりたくないと思った。SNSを見られたらまた同じことが繰り返されるかもしれない――そう思うと、すべてが怖かった。


 母は「ゲイでも何でも、あなたは私の大切な子」と言ってくれたが、その言葉を聞いても、俺の傷ついた心はすぐには癒えなかった。自分の身を守るために、誰の目も気にせず生きていきたい。その思いが何より強かったから。


 ――それから俺は、どんな場所でも“目を合わさず、声を出さず、気配を消す”ことに必死で生きてきたのだ。


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