芽衣が立ち去った後、陽翔は俺の隣にストンと腰掛けた。相変わらず肩が触れるほど近い。横にずれようものなら、追いかけるようにずれてくるだろうから、そのまま動かなかった。
--でも、こんなに近くにいるの、イヤじゃないんだよな……。逆に、嬉しい……。
そう考えている自分に驚いて軽く頭を振った。
いやいやいや、何が嬉しいだなんて思ってるんだ、俺っ!
だって、きっと陽翔には他にいい人がいるだろうから……。
そう考えると、胸がキュッと締め付けられるような感覚に襲われた。
「……あのさ……」
いつもより明らかに低いトーンの陽翔の声が耳に届き、俺はハッと我に返った。
「な、なんですか?」
「さっきの子……、彼女?」
「へ?」
驚きのあまり、思わず陽翔を見上げてしまった。彼は俯いて視線を落としていた。長いまつげが頬に優美な影を落としている。
――さっきの子って芽衣のことだよな?
「すごく、親密そうに見えたから……」
陽翔の声は心なしか震えているように聞こえた。手の甲に血管が浮き出るほど拳を強く握り締めている。いつもの明るい陽翔とは別人のように見えた。
「宮下さん……芽衣は、俺の彼女じゃないです! 学部が一緒で同じ授業が多いから仲良くなって……。それに――」
――俺はゲイなんで。
思わず口から出かけた言葉を慌てて飲み込んだ。喉の奥がカラカラと乾いた。
「……それに?」
陽翔が続きを促すように首を傾げた。彼の真剣な表情に、心臓が早鐘を打った。
「いえ、なんでもないです……」
消え入りそうな小さな声で答えると、陽翔の表情が一変した。暗かった顔が、まるで太陽が雲間から顔を出すように、パッと明るくなった。
「そっか。よかったぁ。でも……」
陽翔はこてんと俺の肩に頭を乗せてきた。
ちょっ、ちょっとっ!! 心臓に悪いんですけどっ!
突然の接触に体が硬直する。柔らかな茶色の髪が頬をくすぐり、シャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「あの子にしてたみたいに、タメ口で笑いながら話しかけて欲しいなぁ……」
「……っ!」
肩に頭を乗せたまま上目遣いで見つめられて、恥ずかしさに目を逸らした。頬が熱い。耳も熱い。顔中が火照っているのが自分でもわかる。
「わ、わかりました……」
「ほらぁ、もうっ! 敬語じゃん!」
ぷうっと頬を膨らませて抗議する表情が、不思議と愛らしく感じられた。バンドのボーカルというより、甘えん坊の弟のようだ。
「わ、わかった……」
「うん! じゃあ、一緒にお昼食べよっ!」
陽翔は機嫌良さそうにガサゴソと紙袋からお弁当箱を二つ取り出した。
「はい、これ、叶翔くんの分。作ってきたよ」
誇らしげに弁当箱を一つ俺の前に差し出した。割り箸も丁寧に添えられている。
「えっ? もし会えなかったら、ど、どうしたん……の?」
敬語になりそうなのをタメ口になんとか切り替えた。今までほとんど陽翔へ話しかけたことがないから、自然な言葉遣いが難しい。
「あ、そうだね。ずっと連絡先交換しようと思ってて忘れてた。今、連絡先交換しよ?」
陽翔はポケットからスマートフォンを取り出した。画面を開いた彼の顔は、どこか嬉しそうに輝いていた。
連絡先を交換し終えると、陽翔はスマートフォンをギュッと胸に抱き締め小さく「……うれしい」と呟いた。
「え?」
俺の聞き間違いかと思って聞き返すと、頬を赤らめて、ぱあっと明るい笑顔を俺に向けた。
「やっと叶翔くんの連絡先もらえて、うれしいって言ったの」
――なんか、陽翔さん、乙女みたいでかわいい……。
いや、何思ってるの、俺!
思ったことをストレートに口にする陽翔といると、どんどん自分の心の扉が開かれていくのがわかる。本当は固く閉ざさないといけないのに、それができない。
お弁当は相変わらず色とりどりで栄養満点の内容だった。これを朝から作っている陽翔の姿を想像する。エプロンをつけて、鼻歌を歌いながら楽しそうに調理している姿が目に浮かび、思わず顔がほころんだ。
「プリンも作ってきたよ。食べる?」
食後、おもむろにプリンを差し出してきた。容器の表面はひんやりと冷たい。保冷剤でしっかり冷やされている。
スプーンですくって口に含むと、程よい甘さが口の中に広がった。思わず頬が緩む。
「……おいしい……」
「ホント? よかったぁ」
俺はコクコクと頷いて、ひとくち、またひとくちと口に運んだ。喉を通るプリンの滑らかさと甘さに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
陽翔は目を細めて微笑みながら、俺が食べるのを見ていた。その視線は愛情に満ちていて、まるで子供を見守る母親のようだった。
お弁当といい、プリンといい、手間暇かけて作ったのが伝わってくる。
なんで俺なんかにこんなことしてくれるんだろう?
「嫌いなものとか、苦手なものとかない?」
「俺、好き嫌いないんで……」
「そっか! じゃあ、明日もまたお弁当作ってくるね!」
ウキウキと楽しそうに言う陽翔に俺は思わず尋ねた。
「なんでそんなことしてくれるの?」
「え?」
陽翔が一瞬言葉に詰まった。彼の瞳に一瞬、戸惑いの色が浮かんだ。
「……好きだからだよ?」
あっけらかんとした言葉で告げられ、俺は息が詰まりそうになった。心臓が胸を突き破りそうなほど激しく鼓動した。