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第30話 意外と、大丈夫かも?

 次の日、芽衣と待ち合わせをしている正門に向かうと、おびただしい数の人が門を潜っていた。人の波が次々と流れ込んでいく様子に、一瞬たじろいだ。


「おいおいおい、なんだよ、この人混み……。うちの大学って、こんなに学生、いたんだ……」


 いくつかの食べ物系のサークルが模擬店を出していて、開店準備をしている。焼きそばの香ばしさ、たこ焼きの甘い醤油の香り、綿菓子の甘い匂い。様々な香りが鼻腔をくすぐる。


 芽衣を待っている間、多くの人が俺の横を過ぎ去っていく。肩がぶつかるたびに体が硬直する。目を合わせないように、前髪をおろし、目を隠して誰とも顔を合わせないように俯いた。心臓がドクドクと早鐘を打つ。


 その時、元気よく手を振りながら芽衣が現れた。細身のブラックジーンズに、編み上げブーツ。黒いシャツを着て、首には銀の大ぶりなネックレス。耳には銀色のロングピアスがゆらゆら揺れていた。まるでロックバンドのボーカルのようなスタイルに身を包んでいる。


「お待たせー。待った?」


 彼女の声には人混みを切り裂く力があった。まるで太陽の光のように明るい。


「うん。ちょっと。でも大丈夫」


 俺は小さな声で答えた。これだけの人混みの中でも、彼女の姿を見つけられたことに安堵する。


「じゃあ、行こうか!」


 芽衣のブーツのカツカツという足音が響き渡る。凛と伸びた後ろ姿がとてもかっこいい。芽衣の背中を追いながら、俺は人混みの中で彼女を見失わないように必死だった。


「ステージパフォーマンスは午後からだから、それまでいろいろ堪能しようよ!」


 イケメンな芽衣に手を引かれるような形で学内を見て回った。彼女の手は温かく、安心感を与えてくれる。


 春フェスは小規模な学祭のようだった。文化系サークルに所属している人たちが、サークルの紹介も兼ねて行っているフェスティバルだ。


 写真の展示や映画やアニメの上映などもある。素人集団のはずなのに、どれも真剣に取り組んでいるのが分かった。写真サークルの展示には、夕暮れの校舎や満開の桜、笑顔の学生たちの姿が収められている。どの写真からも、撮影者の愛情が伝わってくる。


「みんな、サークルって楽しんでるんだな」


 周りの学生がキラキラ輝いて見えて、俺はボソッと呟いた。俺は一人で地味にイラストを描いているだけだ。彼らの輝きと比べると、自分が影のように感じる。


「えー、叶翔もイラスト描いてるじゃん。しかもフォロワー多いし。あ、あのアカウント早く復活してよー。叶翔のイラスト不足で元気出ないんですけど」


 芽衣が少し茶化して明るい声で俺に言ってきた。彼女の言葉には、いつも俺を勇気づける力があった。周りの楽しげな雰囲気と芽衣の明るさのおかげで、ゴールデンウィーク前に塞ぎ込んでいた気持ちも徐々に上向きになってきた。肩の力が少しずつ抜けていくのを感じる。


「……うん。考えとく」


 少し微笑みながら言うと、芽衣がほっとしたような表情をした。その瞳には安心の色が浮かんでいた。もしかしたら、俺を元気づけようと、明るく振る舞ってくれていたのだろうか。もしそうだとしたら、いつまでも落ち込んでもいられない。


 そう思っていたら、急に模擬店の呼び込みの学生に囲まれた。


「よかったら、焼きそば食べませんかー?」


「カフェラテありますー」


 やいやいと大勢に囲まれて、俺は一人オロオロしてしまった。誰とも目を合わせたくなくて俯き、自然と猫背になってしまう。息が詰まりそうになり、冷や汗が背中を伝う。


「叶翔、なんなのよ、その猫背! むしろ狙われに行ってるんですけど?」


 芽衣からばちんと背中をたたかれて「ひっ!」と変な声が出た。自然と背筋が伸びる。打たれた場所がじんと熱くなる。


 周りの学生は「君、面白いね」とニコニコして笑っていた。その表情には悪意はなく、ただ純粋に楽しそうだった。


 その顔を見ると、恐れていたことが起こっていないと言うことに気づく。高校の時のように、全員が冷たい目を俺に向けてくると思っていたのだが、そう言う人はいなかった。笑っている顔、楽しそうな顔、好奇心に満ちた顔。全てが、温かかった。


 ――もしかして、そんなに怖がること、なかったのかも?


 芽衣に目を向けると、ニヤリと口角をあげて笑っていた。まるで「ほら、見たでしょ?」と言わんばかりの表情だ。


「さ、せっかくきたんだから、焼きそば! いや、たこ焼き買って行こ」


 芽衣は俺の手を引っ張って、たこ焼きの模擬店へと向かった。


 俺は、あまりの人の多さにクラクラきながらも、芽衣の優しさに感謝した。彼女がいなければ、こんな場所に一歩も踏み出せなかっただろう。


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