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第32話 陽翔の本気の告白

 気づくと、ライブパフォーマンスは終わって、BLUE MOONのメンバーは手を振りながら舞台裏に下がって行った。陽翔の姿が見えなくなると、何か大切なものを失ったような気持ちになった。


 会場内では「すごかったね」とか「感動した」などと言った言葉が飛び交い、ざわめいていた。興奮した表情の学生たちが、口々に感想を述べ合っている。


「叶翔、どうだった?」


 芽衣は俺の顔を覗き込みながら聞いてきた。彼女の目には、期待の色が浮かんでいる。


「……うん」


 俺は喉から言葉が出て来ずに、それしか言うことができなかった。心の中は感情が渦巻いていたが、言葉にできない。


「なによー、もっとなんかないの?」


 肘でウリウリと突かれる。その感触で現実に引き戻された気がした。


「……陽翔さん、かっこよかった。そして、遠い人に感じた……。俺が近づいたらいけない人、みたいだ」


 胸の奥底から絞り出すように言葉を紡いだ。言葉にした途端、その気持ちがより鮮明になる。


「……っ!」


 芽衣が息を呑むのが分かった。その表情には驚きと何か、言いようのない感情が混ざっている。


 俺だってそう思いたくないが、あのライブを見たら、そう思わざるを得ないほど、陽翔は俺の手の届かない人だと分かった。輝きに満ちた彼と、影のような自分。その差は埋められないほど大きかった。


「そんなことないから! ほら、アンコールあるから、聴くよ!」


 芽衣が俺の腕を取って、ずるずると引っ張っていく。俺はその場に踏ん張って止まろうとしたが、芽衣は見かけによらず力が強い。紐をつけられた犬のように引っ張られて行った。


 ステージから十列目ぐらいの場所まで連れて行かれて、仕方なくその場に佇んだ。周りはBLUE MOONのファンで埋め尽くされていて、芽衣は周りから声をかけられて楽しそうに喋っている。


 アンコール、アンコールという声が徐々に大きくなって言った。会場全体が大きく拍手とアンコールという声で溢れたその時、メンバーが手を振りながら再びステージに戻ってきた。


 汗に濡れた衣装を変えて、さっぱりした表情だが、陽翔ひとり、少し緊張した面持ちだった。その表情に何か違和感を覚える。いつもの自信に満ちた表情ではなく、どこか不安そうに見えた。


「……最後に、俺の大切な人に届けたい曲です」


 今までざわついていた会場が、一気にしんと静まり返った。まるで時間が止まったかのように。


 演奏が始まる。その曲は明るく切ないラブソングだった。優しいメロディに、俺の胸は締め付けられるような気持ちになる。


 陽翔は歌い始めると、会場を何かを探すように目を動かしていた。彼が誰かを探している。そう気づいた瞬間、陽翔の視線が俺をとらえた。まるで人混みの中にいる俺だけが見えるかのように、真っ直ぐに見つめてくる。


 その時、陽翔の歌声が、わずかに震えた。それでも彼は懸命に最後まで歌いきった。その声には、言葉では表せない感情が込められていた。


『君の瞳に恋をした。

 目が合ったその瞬間から。

 キラキラひかるその瞳には俺が映っていた。

 俺はもう戻れない。

 守るよ、その笑顔を。

 君を誰にも渡したくない。

 愛してる』


 涙が滲み、視界が揺れる。終盤、陽翔の喉がわずかに震えた。それでも最後まで歌い切り、息を吐くようにマイクから少し離れた。


 陽翔の歌うラブソングに感動しているファンは、涙を流しながら鼻をすすっている。俺の隣でも何人かの女子が「素敵……」と呟きながら目を潤ませていた。


 俺は、陽翔の全てを目に焼き付けたくて、彼の瞳を見た。今まで目を合わすのが怖かった、陽翔の瞳を。彼の目には、今まで見たことのない真剣さと、温かい感情が溢れていた。


 こんなにたくさんの人がいるのに、陽翔が見ているのは、俺だった。あの輝く世界の中心にいる彼が、自分だけを見つめている。その事実に、胸が熱くなった。


 歌い終わった陽翔は、スタンドからマイクを外して、手に握った。汗で濡れた前髪が額に張り付き、その下から覗く瞳が真剣に俺を捉えている。そして大きく息を吸い込んで叫んだ。


「俺が好きなのは――、綾瀬叶翔です! 叶翔、好きだ! 俺と付き合ってくれ!」


 会場が陽翔の公開告白に騒然とする。空気が一瞬凍りつき、次の瞬間、嵐のような歓声と悲鳴が巻き起こった。ファンのキャー! という黄色い声援と共に、陽翔にガチ恋していた人からは、ぎゃーという落胆の声が響いた。


 耳が痛くなるほどの声に包まれながら、俺は陽翔の姿だけを見ていた。彼の顔には、今まで見たことのない決意の色が浮かんでいる。あの時のように、真顔で「好きだ」と言う陽翔の姿に、心が震えた。


 隣では芽衣が「やったー!」と叫びながらガッツポーズをしている。彼女の表情には、純粋な喜びが溢れていた。


 陽翔の公開告白を聞いて気落ちしたガチ恋勢はよろよろとその場から離れて行った。その数の多さを見ると、本当に陽翔はモテるのだと改めて実感した。彼を追いかける人の多さに、少し胸が苦しくなる。でも、彼は大勢の中から俺を選んだ。その事実が、心の奥で輝いていた。


 残ったファンからは「ハルト、かっこいい!」「素敵!」「頑張って!」という温かい声がかけられている。それを聞いた俺は、BLUE MOONのファンの人たちは、メンバーの幸せを一番に考えている人ばかりなのだと思った。その優しさに、胸が熱くなる。


 ステージの上の陽翔は、ずっと俺を見つめ続けていた。その眼差しには不安と期待が混ざっている。そして、徐にマイクを口元から離した。


 ――カ・ナ・ト・ア・イ・シ・テ・ル。


 口パクで届いた、たった八文字。いつもの笑顔をした陽翔の口の動きを見た俺の目からは涙が溢れ出た。頬を伝い落ちる涙を拭うこともできず、ただ見つめ返すだけだった。


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