空がオレンジから濃紺のグラデーションに染まる頃、俺は、ライブを終えた陽翔に自分の気持ちを伝えようと、正門前で震える足で立っていた。キャンパス内には模擬店の片付けをふざけ合いながらしているような楽しい笑い声が響き渡り、その自然な幸せが俺にはまだ遠い世界のように感じられた。
観客の前であのような公開告白をしたのだから、きっとメジャーデビュー前の汚点になるだろう。大勢に囲まれてどうしてあんなことをしたのだと詰め寄られてはいないかと、陽翔のことを心配した。熱くなると周りが見えなくなる天然な彼のことだ。芸能人予備軍として、ああいう行動は制限されているはずなのに。
目線を靴先に落とし、どうやって自分の気持ちを伝えようかと思案しているところに、俺に近づく足音が聞こえた。心臓が早鐘を打ち、息を潜めて足音の主を待った。
目を上げると、そこには陽翔ではなくBLUE MOONのメンバー、ドラムの
俺はなぜ晴臣がここにいるのかと両眉を跳ね上げ、思わず一歩後ずさった。
「綾瀬くん、ちょっと話できるかな?」
いつもクールな声は、一段と低く心地よく耳に届いた。その表情は借り物のような貼り付けた笑顔ではなく、初めて見る素の表情だった。
「……はい」
きっと陽翔のことに違いない。メンバーとして俺を牽制しに来たのかもしれないと身を固くした。人気バンドのボーカルが大学の後輩に公開告白なんて、メンバーが黙っているはずがない。
何を言われるのだろうか……。メジャーデビューのために、身を引いてくれと言われるのか? それとも、もう、陽翔に関わるなと罵られるのか……。もしかしたら、ボコボコに殴られるかも――。
拳をぎゅっと握って、半歩前を行く晴臣について行った。陽翔の気持ちに向き合うと決めたのに、心の中はまた不安でいっぱいになり、喉が乾き足取りは重い。
人気のないキャンパスのベンチに着くと、晴臣はこちらを向いてガバッと頭を下げた。
「綾瀬くん、ごめん! 俺、君に意地悪してた!」
予想していたことと全く違う展開に、俺は思わず口をポカンと開けてしまった。心の中で反芻する。
――え? BLUE MOONのイケメンドラマーが、俺に、謝罪?
「……あのー、一体どういう……」
何が起こっているのか全く理解できずに、首を傾げて晴臣に聞いた。両手をもぞもぞと動かし、心の中の混乱を必死に抑える。
「俺、実は、ずっと陽翔に片想いしてて……。いつになくアイツが本気だったから、嫉妬して、君にちょっかい出してた……」
普段なら冷たさが滲み出ているようなクールな顔なのに、眉を下げ、困った犬のような表情をした晴臣は、本当に申し訳なさそうに呟いた。彼の目は潤んでいて、その真摯さに胸が痛んだ。
「えぇっと……。あまり、そんなことされた覚えないんですけど……」
「あっ! あのさ、熱しやすく冷めやすいってアイツのこと言っただろ? あれ、君に諦めて欲しくて言って……」
なんだ、そういうことだったのか!
こんなにかっこいい人でも、好きな人に振り向いてもらうために必死だったんだと思うと、なんだか可愛く思えてきた。俺を脅しに来たわけじゃないんだ。少し体の力が抜ける。
「あれ、そうだったんですか……。でも俺、陽翔さんが自分から人を好きになったことないって前に聞いたことあって。だから、晴臣さんがそのことを俺に言ってきた時、『長く一緒にいるのに、陽翔さんのこと誤解してる』って思ってたんですよ」
俺の言葉に、晴臣の顔は一気に赤さが増した。髪の間から覗く耳まで真っ赤になっている。
「ホント、ごめん! なんか、大人気ないよな……」
「でも晴臣さんは、それだけ陽翔さんのこと、本気だったんでしょ? 気持ち伝えればよかったのに」
晴臣は大きくため息をついて俯いた。その肩が少し震えている。
「そりゃ、気持ち伝えたら、付き合えたのは分かってる。でも、付き合ってもアイツが俺のこと本気で好きになることはないだろ? それで別れたら、バンドもうまくいかないかもしれないし。そう考えたら、伝えること、できなかった……」
晴臣にとってはバンドも陽翔もどちらも大切な存在なのだろう。どちらも壊してしまう行動は躊躇するのは分かる気がした。俺も高校時代、大切な友情と恋を天秤にかけた結果、全てを失った経験がある。
「そう……だったんですね。辛かったですね」
晴臣は力無く俯いたまま、ボソボソと話を続けた。彼の細い指先が震えている。
「アイツ、今まで自分から人に興味を持ったことなかったのに、君にだけはすごく興味持ってさ、人生で初めて好きな人ができたって嬉しそうに言うんだよ。それが悔しくて……、ホント、ごめん……」
気持ちを伝えたいのに伝えられなくて、きっと心の中がぐちゃぐちゃになっていたんだろう。それが俺に向けてぶつけられていたなんて。なんとなく、理解できたような気がした。
「晴臣さん、俺、別に怒ってないし、大丈夫ですよ」
そっと晴臣の肩口に触れると、安心したように彼は俺を見つめ返してきた。その目には感謝の色が浮かんでいる。俺に向かって小さく頷くと、彼は微かに笑みをこぼした。
「でもさ、ライブで公開告白するって言い出した時は、こりゃ本気だって、俺も諦めたけどね」
ふふっと笑っているが、目は少し寂しそうだった。晴臣自身もきっと切ない思いを抱えているのだろう。
「……そう……だったんですか……」
「君も、自分の気持ちに正直になって! あ、そうだ。君のイラスト、俺たちみんなファンなんだよ。早くアカウント再開してよ」
急に創作アカウントの話をされて思わずビクッと肩を揺らした。心臓が止まりそうになる。
「な、なんで、それ……」
「だって、前に陽翔の絵を図書館で描いてただろ? あれ、アップされてたから、君が人気絵師だって分かっちゃった」
人好きのする笑顔で言われると、諦めるしかない。鼓動が激しくなり、息が詰まりそうになる。
「それに、ほら、ちょっと前に俺らのファンだった子が荒らしてただろ? あれでもう、確定だよね」
その言葉を聞くと、冷や汗が止まらなかった。首筋を冷たい汗が伝う感覚。
「あの……、もしかして、アカウントのこと、陽翔さんも……」
「もちろん、知ってるよ!」
あっけらかんと言われ、愕然とした。もう、俺のアカウント、大勢に知られてしまっている。高校の時のトラウマが蘇る。でも、今回は違う。誰も俺を責めていない。ただただ、応援してくれている。もうこれは、開き直るしかないのかもしれない。
「君の絵、本当に絵に込められた気持ちがダイレクトに伝わるんだよな。早く新しいイラストアップしてよ。俺でよかったら、いつでもモデルになるからさ」
バチンとウインクする晴臣は、めちゃくちゃカッコよかった。俺は自分の気持ちを素直に表す晴臣を見て、くすりと笑った。不思議と彼と話していると、緊張が解けてくるのが分かった。