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第35話 やっぱり、好きだ

 春フェスも終わり、普段の大学生活が戻ってきた。キャンパスに植えられたツツジが白やピンクの花を咲かせて、まだまだ春は続くと訴えているようだ。その花びらの一つ一つが鮮やかで、以前より色彩豊かに見える。


 フェスで人気バンドのボーカルが公開告白をしたと言うことは、学内に知れ渡っている。きっとなんであの人が、とか、全然釣り合わないとか言われるに違いない……。もしかしたら、嫌がらせのひとつやふたつ……。高校の時のように、また孤立するのではないかという恐怖が俺を包み込む。


 誰にも見られないように、前髪で目を隠して、俯きながら教室へ向かっていると女子学生数人の声が耳に入った。


「ほら、あの人! ハルトの」


「え? どれどれ? えっ! めっちゃイケメンじゃん!」


「お似合いだよねー」


 ――え? イケメン? お似合い?


 俺のことじゃないよな、と声のした方に顔を向けると「きゃあ!」と黄色い悲鳴が聞こえた。暖かい春の日差しが顔に当たる。


「やっぱ、めっちゃイケメン!」


「えっ?」


 ――俺のこと?


 きゃあきゃあ楽しそうに俺に向けて視線を注ぎながら、頬を赤らめてその場を去っていった。いつも俯いて人と顔をわせないように歩いていたので、顔を上げて初めて気づく。嫌悪の表情をしている人は、ほとんど、いない。むしろ、憧れのような目で見られている。


 ――もしかして、認められて、いる?


 高校の時のトラウマが少しずつ解けていくのを感じた。クラス全員からの冷たい目。ヒソヒソと囁き合う心無い言葉。ゲイ、キモい、同じ空気吸いたくない。あの時の恐怖が徐々に薄れていく。ここはそんなことはないのだ。


 ここでは本当の自分でいて、いいのかもしれない。そう思うと、心が弾んだ。足取りが軽くなる。


 昼休みに、陽翔に会えるかもしれないという、淡い期待を胸に久しぶりに中庭に行ってみた。カラフルな花々が咲き誇る中庭に、一人でランチを食べる人もいれば、友達と輪になって談笑する人もいる。でも、陽翔の姿はなかった。


 それもそうだろう。あれだけずっと避け続けていたのだから……。俺が彼を拒絶し続けていたのだから。


 俺はバッグからパンを取り出して、食べようとしたところに、人の気配を感じた。顔を上げると、そこには息を切らして駆けつけたような陽翔がいた。少し汗ばんだ額に、春の柔らかな日差しが反射している。


「よかった! 叶翔くん、今日は来てくれたっ!」


 まるでご主人様を見つけた大型犬のように小走りで駆け寄ってきた。汗で少し湿った前髪が風になびき、ステージ上ではめちゃくちゃカッコよかったのに、今目の前にいる陽翔は、ちょっと可愛い。輝く瞳と子犬のような笑顔。


 そんな姿を見てると、今まで自分が取っていた行動があまりにも子供染みていて、反省した。こんなにも一途に俺を想ってくれていたのに、無下にしてしまっていた。


「……陽翔さん……。ずっと避けてて……ごめんなさい」


「いいよいいよ、気にしないで。さ、お弁当食べよ」


 がさごそと紙袋から弁当箱をふたつ取り出した。その仕草には余裕があり、ずっと通い続けた成果なのか、堂に入っている。


「まさか、あれから毎日?」


 さも当然と言わんばかりに陽翔は大きく頷いた。その純粋さに胸が締め付けられる。


「うん。約束したからね。俺、ずっと叶翔くんとお昼食べたかったよ」


 陽翔は目を伏せて寂しそうな顔をした。長いまつ毛が頬に陰を落とす。その表情に胸が痛んだ。俺のせいで、彼にこんな顔をさせてしまったのだ。


「……ごめん……なさい……」


「うん、全然気にしないで! 今日はね、めちゃくちゃ気合い入れてお弁当作ったよ。この前、みんなの前で告白しちゃったからね」


 陽翔は口角を上げてニヤッと笑う。俺はその時のことを思い出して、頭のてっぺんまで真っ赤になった。あの時の彼の姿が鮮明に蘇る。ステージの上で、俺だけを見つめ、歌い上げる彼の姿。「大切な人へ」と囁いた時の、あの表情。


「……」


 陽翔が手渡してきた弁当箱の蓋を開けると、中にはぎっしり、色とりどりのおかずが詰められていた。気合を入れて作ったのか、ミニハンバーグやタコさんウインナーが入っていた。ハンバーグはどう見ても市販のものではなく、手作りだ。そしてタコさんウィンナーの上にハートの旗が刺してあり、俺は思わず、ぷはっと笑ってしまった。


「陽翔さん、ありがとう」


 くくくっと肩を揺らしながら笑っていると、陽翔がぷくっと頬を膨らませて俺を睨んだ。その表情が愛らしくて、さらに笑みがこぼれる。


「一生懸命、叶翔くんのこと想いながら作ったんだよ?」


 ――あぁ、陽翔さん、可愛い。好きだ。


 こんな表情、誰にも見せたくないな、と思っている自分に驚いてしまった。自分のものにしたいと感じているのだ。俺の中にこんな独占欲があったなんて。この気持ち、今日こそ伝えないと……。


「陽翔さん、あのさ……」


 俺が気持ちを伝えようとしたその時、陽翔があっと小さく声を上げた。


「ヤバい! 俺、次の授業の課題まだ途中だった!」


 流し込むようにお弁当を食べ、立ち上がった。その姿に焦りが滲んでいる。


「せっかく一緒にゆっくりしたかったのに、ごめんね」


 俺は立ち去ろうとする陽翔の腕を咄嗟にぎゅっと掴んだ。自分でも驚くほど大胆な行動だった。肌の触れ合いにドキリとする。


「今日、一緒に帰れる?」


 振り向いた陽翔は、まるで春の日差しのような暖かい微笑みだった。その笑顔だけで、俺の中の不安が溶けていく。


「うん。帰る時間、メッセージ入れてくれる?」


 目の前で魅せられた陽翔の柔らかい笑顔に、俺は心奪われた。頬に熱が集まるのが分かる。


「うん、後でメッセージ入れる」


 陽翔は頷いて手を振りながら「じゃあ後でね」と教室に急いで向かって行った。その背中には余裕がなく、本当に授業に遅刻しそうで焦っている様子だった。


 ――やっぱり、陽翔さんが、好きだ。


 俺は陽翔手作りの愛情たっぷり詰まったお弁当を噛み締めながら、自分の気持ちに改めて向き合った。もう、逃げるのはやめよう。


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