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第42話 怖くない、君だから

 自宅マンションの鍵を開けて、陽翔を招き入れた。扉を開けた途端、ペンや絵の具の匂いが鼻をくすぐった。自分特有の空間に他人を入れることの緊張が、俺の背筋を伝う。


「わあー! 叶翔の部屋だっ! うれしい!」


 まるで遊園地に来たみたいにはしゃいでいる陽翔を見ると、勇気を出して誘って良かったと思った。外では常に人目があったけれど、ここは二人だけの世界。そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「ちょっと、散らかってるかも……」


 イラストを描くための作業机の上には、描きかけのイラストや絵の具やペンが散乱していた。それが俺という人間のすべてを物語っているようで、妙に恥ずかしくなる。


「これ、見ていい?」


 机の上のスケッチブックを見つけた陽翔が聞いてきた。彼の目は好奇心で輝いていた。


「うん、いいよ。アイデア書き溜めてるだけだから。飲み物入れてくるけど、コーヒーでいい?」


 陽翔はスケッチブックを見ながら「うん」と小さく頷いた。その仕草には、何か特別なものを扱うような丁寧さがあった。


 キッチンからコーヒーを持ってセンターテーブルに置いた。陽翔はスケッチブックを凝視している。ページをめくる音だけが静かな部屋に響く。


「コーヒー、淹れたよ」


 俺が声をかけると、我に返ったようにゆっくりと顔を上げた。その瞳には、何か湿ったような色があった。


「叶翔……」


 陽翔が俺の手の上に手を重ねてきた。彼の手の温もりが俺の体を温かく包む。


「俺のこと、いっぱい描いてくれたんだね」


 陽翔は俺の髪を指ですいて言った。その指先が耳に触れて、ぞくりと体が震えた。


「うん。陽翔のこと、好き、だから」


 俺は自分から顔を近づけて、陽翔に口付けた。最初は啄むように、優しく、触れるだけのキス。自分から求めることが震えるほど怖かったのに、一度だけでは足りないと思ってしまう。


 彼の呼吸が熱く、俺の唇を温める。その温度が、身体の奥まで沁みていくようだった。


 そしてそれは徐々に深いものになっていった。俺が舌で陽翔の下唇をなぞると、彼の喉から小さな声が漏れる。陽翔は俺を受け入れ、すぐに口を薄く開けてくれた。俺は陽翔の口の中に舌を滑り込ませ、陽翔の舌を絡め取った。


「……ん……叶翔……」


 陽翔から艶っぽい声が漏れる。その声が俺の耳の奥から背骨を伝って、下腹部まで響くようだった。陽翔も負けじと舌を伸ばして俺の舌を絡め取っていく。彼の手が、俺の首筋から肩へ、そして背中へと優しく滑っていく。まるで大切な作品に触れるような、そんな仕草だった。


 やがて陽翔の手が、シャツの中に入ってきて、俺の体を撫で回した。温かい。温かすぎて、まるで火傷しそうな錯覚に陥る。


 俺はびっくりして、キスをしている唇を離した。深く息を吸い込むと、陽翔の匂いでいっぱいになった。


 陽翔が俺をギュッと抱きしめる。その腕の中が、世界で一番安全な場所のように思えた。


「叶翔、抱きたい……」


 耳元で囁かれると、背中がゾクゾクとした。その言葉の意味を理解しながらも、自分の体が既にその言葉を望んでいることに驚いた。


 俺は陽翔の首筋に顔を埋めた。汗と石鹸と、かすかな香水の匂いが混ざり合い、陽翔だけの香りを作っていた。


「……うん。……ベッドに行こ」


 “うん”という二つの言葉の間に、一生分の勇気が必要だった。それでも、俺は言い切った。


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