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第45話 言わなくても、伝わるように

 夏の始まりを告げる強い日差しが注ぐ六月十二日。俺は鏡の前から動けずにいた。


 ――前髪、上げるの、恥ずかしい……。


 何度か手で前髪をかき上げてみるが、目元が露わになるのが怖い。高校のゲイバレ事件から、人と目を合わせるのが苦手で、自然と前髪で目を隠すようになっていた。それが今では癖になっていて、習慣的に目元を隠している。


 でも今日は、陽翔の誕生日。


 一度だけ、「前髪を上げた叶翔が見たい」と言われたことを思い出す。あの時は断ってしまったけれど、今日は特別な日。だから、思い切って前髪を上げてセットした。


 キャンパス内を一限目の授業へ向かって歩く。目元を隠していないことで視界は広がったが、なぜか恥ずかしさと不安で足取りが早くなる。


 教室に着くと、いつもの定位置である一番後ろの窓際に座り、頬杖をついた。窓の外を見ると、木々の緑は一層濃くなり、夏の到来を感じさせた。


「かーなとっ!」


 振り返ると、陽翔が駆け寄ってきた。彼の表情が一瞬で驚きに変わる。


「え? 前髪、上げてくれたの? うれしい!」


 ギュッと抱きついてキスをしようとする陽翔を、慌てて押し返す。


「ここ、学校だってば!」


「えー、いいじゃん。うれしいんだもん」


 しゅんと眉を下げて残念そうにする陽翔を見て、小さくため息をついた。バンドマンで女の子に囲まれる陽翔が、こんな子どもっぽい表情をするなんて。そのギャップに、心がくすぐられる。


 ――喜んでくれるのはうれしいけど……。


 何度注意しても、陽翔のスキンシップに時と場所の区別はない。「これならいいでしょ?」と言いながら、肩を引き寄せられ、耳元で囁かれる。


「叶翔、かっこいい」


 その声に、耳まで真っ赤になってしまう。


「もう、そんなこと言うなって!」


 そんな言い合いをしていると、後ろから明るい声が降ってきた。


「おやおや、お二人さん。ここ、学校なんですけどー」


 振り向くと、芽衣がニヤニヤしながら立っていた。


「まぁ、でも、お二人さんはすっかり学内公認カップルだし、許されるか」


「そんな……」


 恥ずかしくて俯く俺の肩を抱き寄せ、陽翔は堂々と宣言する。


「俺、公開告白したからね!」


「だねー。あたしの推しカプだから!」


 芽衣も同意して、二人で楽しそうに笑い合う。


 ――俺も、堂々と陽翔の横を歩かないとな。


 陽翔と芽衣の姿を見て、自分を奮い立たせた。


 授業が終わり、キャンパス内を手を繋いで並んで歩く。最初は恥ずかしくて仕方なかったが、陽翔の手の温もりが安心感を与えてくれる。もう少し堂々と歩きたい。そう思っても、やはり視線が気になって俯きがちになる。


「おぉ、あの二人が噂の……」


「隠す気ゼロなの、清々しいよね」


 キャンパスを歩いていると、ひそひそと話す声が耳に届く。芽衣の言う通り、俺たちはすっかり学内の公認カップルとなっていた。


 その時、後ろで大きなため息が聞こえた。


「おい、そこのバカップル!」


 振り返ると、晴臣が呆れた表情で立っていた。


「なんだよ、晴臣。バカップルって……」


「ったく。俺の気持ちも知らないで、人前でベタベタするな」


 晴臣は細められた目で陽翔を睨む。その言葉に陽翔は反発するように、俺の肩をさらに抱き寄せた。


「いいじゃん。叶翔のこと、大好きなんだから」


 口を尖らせて言う陽翔を見ていると、本当にこの人が人気バンドのボーカルなのかと疑いたくなる。そんな二人を見て、晴臣はまたため息をついた。


「それにしても、綾瀬くん。今日はめちゃくちゃかっこいいじゃん! その髪型、似合ってるよ」


 親指を立てて褒めてくれる晴臣に、嬉しさと恥ずかしさが入り混じる。


「あ、ありがとうございます……」


「やっぱり綾瀬くんはイケメンだよね。ずっとその髪型にしなよ」


 晴臣の言葉に陽翔がすかさず反応する。


「でしょ! 叶翔、絶対髪の毛上げた方が似合ってる!」


 一般的に「イケメン」と言われるような二人から褒められると、なんだかその気になってしまう。


「気が向いたら……また、やってみます」


 晴臣は満足そうに頷き、「あんまりベタベタしすぎるなよ」と言って去っていった。


 こうして陽翔の横を歩き、みんなから「公認カップル」だの「かっこいい」だの言われるのは照れくさい。でも、それも悪くないと思える自分が、確かにここにいた。


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