灰域――それは地図にも記録にも残されない、星々の墓場。機能を停止した衛星、破損した宇宙船、そして名前の消えたスペースデブリが無数に漂う死の空間。だが、猫はそこにも潜む。
「座標Z-3まで、あと0.12天文単位。航路に衝突物あり……回避ルート、13パターン計算完了」
「最短距離で行こう。時間をかけたくない」
俺は操縦席にちょこんと座り、モニター越しに散らばる宇宙の瓦礫を睨んだ。MofMofが示した猫語の発信源は、この灰域のさらに奥。だが、そこには連邦すら立ち入らない理由がある。
「MofMof、温度センサーで熱源を探せ。残骸の中に発熱反応があれば、何かがいるはずだ」
「……あった。三つ。うち二つは旧型原子炉、もう一つは……不明。生体反応に近いけど、金属混じり。NEKユニットの可能性……あるかも」
その言葉に、俺のしっぽがぴくりと動いた。
「突入する」
「了解。シールド最大展開、ステルスモード起動……」
こたつが宇宙を滑るように進み、目標の残骸群へと入っていく。そこはまるで、猫の隠れ家のような空間だった。古びたステーションの破片、ねじ曲がったハンガードア、そして――
「見つけた」
モニターの中央に、一体の猫型機体が浮かんでいた。だが、異様だった。全身がボロボロに損傷し、片目は潰れ、尾の先には何かのアンテナらしきものが埋め込まれている。
「NEK-02……? そんな型番、残ってるはずが……」
「お、お兄ちゃん、通信入ってる。猫語じゃない。もっと古い……初期型電磁パルス通信。」
「つなげ」
次の瞬間、こたつのスピーカーからかすれた声が漏れた。
《……こちら、ユニット・ノア。NEK-02プロトタイプ……汎宇宙猫族管理計画……任務継続中……》
俺は息を呑んだ。
“ノア”――それは、NEKシリーズの開発初期、たった一度だけ記録に現れた幻の名。
「……生きてたのか。こんな場所で、ずっと」
《……データ損傷率87%。質問、保護猫の状況。地球猫、何匹……生存……?》
「15匹保護中。お前は?」
《……記録、収容猫124体。現在、生存個体数――1。私のみ……》
灰域の奥深くで、たった一匹、古びた猫型ユニットが任務を続けていた。誰にも知られず、誰にも助けられず。
「ノア、こっちへ来い。こたつに収容する。整備できれば修復も――」
《否。移送……不可。足部ユニット断裂。動力系統、崩壊……。だが、記録は送信できる。猫の歴史を……託す》
こたつのコンソールに、古びた記録が流れ込む。手書きのような古いデータログ。宇宙に放たれた最初の猫型生体、開発者たちの苦悩、地球の猫たちが宇宙に適応するまでの数百年……。
その中に、ある記録が目を引いた。
《“NEKプロトコル外猫適応計画”。適応個体数:1。コードネーム……ノラ》
「……俺だ」
胸の奥で、何かが震えた。俺は誰かに作られたわけじゃない。ただ、宇宙に残された孤独な猫。それでも、誰かがその存在を見て、名前を与えてくれていた。
ノアが言った。
《私たちの同胞は、君たちのように、機械の体を持たなくても宇宙に適応できる可能性がある。15匹の保護猫たちも、きっと……》
「ああ。奴らは今も生きてる。ちゃんと飯を食って、日向ぼっこしてる。宇宙の片隅で……猫として、ちゃんと」
《……良かった……》
その言葉を最後に、ノアの発信は止まった。宇宙の静寂が、艦内に満ちた。
「……帰ろう、MofMof」
「うん。ノアのデータ、ぜんぶ保存した。こたつの中に、猫の歴史が詰まってるよ」
俺たちは静かに灰域を抜けた。背後に漂う残骸の中で、一匹の古い戦士が、ようやく眠りについた。
そして、俺の中に宿った名前――ノラ――は、その意志を受け継ぐ新たな爪となる。