暗礁宙域・第六帯――そこは宇宙のはずれ、どの航路にも記録されていない、地図からも消された場所だった。
「重力波、さらに上昇。局所的な空間歪みが発生してる。お兄ちゃん、これは……」
「人工物か?」
「判断不能。でも、自然発生ではないって、シミュレーションが言ってる。中心に、動く“何か”がいる」
MofMofの言葉に、俺のしっぽがぴんと張る。警戒――これが猫の戦闘本能。
こたつを小惑星帯の陰に静かに隠す。俺は外装ハッチを開き、船体から跳躍した。
宙域は静寂そのものだった。空気も音もなく、ただただ漆黒と星の点滅だけが存在を主張する。
視界の先、漂う破片群の中心に、それはいた。一輪の花のようだった。
金属のようで、しかし柔らかい。触れたらひらくようで、けれど閉じている。無重力にふわりと漂うその構造体は、明らかに生きていた。
「MofMof、映像記録と生体スキャン。これ、何かに見覚えは?」
「……一致なし。銀河規格、旧地球データ、連邦アーカイブ、全部照会しても該当なし。完全な未登録体だよ、お兄ちゃん」
それはゆっくりと、俺の方へ動いた。
意思がある。少なくとも、何かしらの興味か意図を持って、俺を“見て”いる。
俺は構えを取った。ステルス解除、戦闘形態“NEK-03”。だが、それでも一歩も動けなかった。いや、動けなかったのではない。動く必要がないと、本能が告げていた。
その瞬間――花が、開いた。
光ではない。情報だ。言葉でもない。匂いでもない。だが確かに、俺の中に“何か”が流れ込んできた。
(……オマエ、ノラ……)
聞こえた。脳内に直接、響く声。
(……イノチ、アズケル……)
「誰だ……何なんだ、お前は」
(……チキュウ、カエリタイ……)
一瞬、心臓が止まりかけた。地球。俺たちの原郷。失われたはずの星。もう戻れない場所。
「……どうして、お前がその名前を知ってる?」
返答はなかった。だが、構造体はさらに開き、中心から光の球を吐き出した。直径50センチほど。ふわりと、俺の眼前に浮かぶ。
「これは……」
「ノラ兄ちゃん!」
通信が割り込んだ。MofMofの声だった。
「空間に異常! 加速度的に重力波が拡大してる! それ、開いちゃダメ、すぐ離れて!」
だがもう遅かった。光の球に、俺の体が引き寄せられ──
──吸い込まれた。
* * *
次に目を開けたとき、俺は“どこか”に立っていた。
地面がある。空がある。風が、吹いている。重力も、匂いもある。だが、これは宇宙の中のどこでもない。
「おい……ここは……」
視界の先に、廃墟の街が見える。朽ち果てたビル、草に覆われた道路、そして……
猫たち。
数十、いや、数百……かつて地球にいた種にそっくりな猫たちが、そこにいた。誰もが、こちらを見ていた。
「おかえり、ノラ」
背後から声がする。振り返ると、そこには一匹の猫が立っていた。
白銀の毛並み。透き通る瞳。だが、どこか人間のような気配を持つ、異質な存在。
「お前は……何者だ?」
「“エコー”と呼ばれている。この場所に残された、最後の“記憶”だ」
記憶?
「これは“記録された地球”。滅びる直前に、この生命体が保存した最後の環境だ。君に、選んでもらいたいんだ」
「選ぶ?」
「この記録を、君たちのコロニーに移植するか。それとも――」
エコーが目を伏せる。
「この記録ごと、永久に沈めるか」
俺のしっぽが揺れる。「迷い」と「決意」の間。何が正解かはわからない。だが、答えを出さなければならない。
「……少し、考えさせてくれ」
風が吹いた。草原に揺れる猫たちの毛並みが、まるで地球そのもののように、温かかった。