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記憶を継ぐ者たち

「……戻った!」


 MofMofの歓声が響くと同時に、こたつの艦内に重力が戻った。俺の姿が、格納庫中央の転送パッドにゆっくりと現れる。


「……時間、どれだけ経った?」


「34秒だよ。けど、あの空間……どう見ても別位相の時間流だよ。何があったの?」


 俺は、いつになく長く黙った。だがやがて、重い口を開いた。


「“記録された地球”……そう名乗った存在に、出会った」


 ブリーフィングルームに、15匹の猫たちが揃う。地球から来た猫たち――それぞれ毛並みも性格も違うが、今は静かに耳を傾けていた。


「……そこには、かつての地球の風景があった。草の匂い、風の音、陽の光。生きてるようで、生きていない。だが確かに、俺たちの故郷だった」


「夢じゃないのか?」と、灰色の老猫“ジイ”が小さく呟いた。


「……じゃない。あれは、宇宙に漂っていた“何か”が、地球の最期を見て、それを保存していたんだ。生態系、環境、そして猫たちの記憶も」


「その“何か”って、生き物なの?」と、三毛猫のミーコが問う。


「たぶん、違う。けど……俺たちの言葉が通じた。“帰りたいか”と聞かれた」


 船内に、沈黙が満ちる。


 “帰りたい”という言葉の意味は、ただの懐古ではなかった。


 彼らはもう、地球に戻れない。だから――


「それを、俺たちのコロニーに移すこともできる。“あの場所”を再現できる」


 MofMofが補足するように、ホログラムを開いた。そこには、草原と廃墟、そして猫たちが生きていた仮想空間のイメージが浮かぶ。


「外部接続すれば、AI制御で空間を現実的に再現できる。生活環境としては十分。ただし、代償もある」


「代償……?」


「データを移植するには、今あるメインルームを潰して、全電力の65%を使うことになる。通信、索敵、外界との連絡……全部、最小限まで制限される。要するに、“引きこもる”ことになる」


「戦えなくなるってことか」と、黒猫のクロが言った。


 それは、つまり“選ぶ”ということだった。


 敵に備えるか、故郷に帰るか。現実を見続けるか、記憶に生きるか。


 そして、もうひとつ。


「あるいは……この記録ごと、消去するという選択肢もある」


「そんな!」とミーコが立ち上がる。「それじゃ、あたしたちの……全部、なかったことになるの?」


「だが、生きるためには、現実にしがみつくしかない」とクロが反論する。


 猫たちの間に、静かな緊張が走った。


 俺は、あえて言葉を挟まなかった。


 選ばせたかった。かつて“人間”がそうしていたように。自由意志という名の贈り物を、仲間たちにも――。





 3時間後。


「決まったよ」と、MofMofが言った。「投票、15匹中12匹が“移植”を希望した。反対は2、保留が1。過半数だよ」


 ノラは軽くうなずいた。


「了解。……なら、やるか」





 コロニー中枢部。メインルームの中に設置された新たな記憶核が起動する。白く柔らかな光が広がり、天井に空が映る。草の匂いが漂い、木漏れ日が壁に揺れた。


「ようこそ、“ふるさと”へ」と、MofMofの声が言った。


 俺は、外部モニターを一つだけ残した。敵が来るとしたら、そこから見える。


 だが今は、地球の風景を取り戻した仲間たちが、ゆったりと尻尾を揺らしながら草の上を歩いていた。


 それは、奇跡のような光景だった。


 俺は一人、丘の上に登り、宇宙を見上げた。


「帰れないとしても――帰る場所が、あるってことは……」


 風が、耳を撫でた。静かに目を閉じる。


「……悪くない」


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