「いよいよ明日だね。恵梨香の方の調子はどう?」
「調子は予行演習もあって最高の状態です。達成の最低条件である人形の強度はバッチリ保証できます」
「前流した時も完全な状態で流せたしね。残るは摩耶がどれだけ妨害してくるかだが、摩耶が冬夜の関係者として理事長から睨まれていることを考えると、作った人形を流す段階で除外するとか露骨なのは流石にできないと思うけども」
「秋也、心配しないでください。私がつけこませるようなことをさせないので。これでも生徒会として数々の修羅場を潜ってきましたから」
前回のサッカー部の件は、天政君が絡んでいたため調子を振るわなかったが、恵梨香は生徒会の辣腕として運動部からの当たりの強い予算に対する抗議の仲裁などで評判が高い。
恵梨香がこうまで言うのならば、期待してもいいだろう。
「それとして秋也君、前回麻黒さんのお父さんとお話ししたのでしょう? あれは何だったんですか?」
気になっていたのか、恵梨香は珍しく踏み込んだことを聞いてきた。
バイトの斡旋先として紹介されているので、おそらく羽咲家は麻黒家の派閥の家だが、お金持ちの耳の速さは以上なので、何かの拍子に理事長たちを釣ろうとしていることがバレれば全てのことがおじゃんになってしまう。
ちょっとしたことで全てが終わってしまうことは避けたいのので、恵梨香には申し訳ないが、ことが済むまでは理事長からの依頼の件はうやむやにするしかないだろう。
「あれは麻黒さんの家でもバイトを頼めないかって話だったよ」
「そうなんですか。確かに麻黒家なら必要なスキルが多いですからね」
「いつもはこういう風に踏み込んだことは尋ねてこないのに珍しいね」
「いえ、最近お母様が麻黒家の動向を気にしてるので、私も知れる範囲の情報を集めようと思って」
理事長によって起こされている余波によって、やはり周りの派閥に少なからず影響が来てるようだ。
おそらくまだ本格的なものではないので、動き次第ですぐに派閥を変えようと言うほどではないが、派閥の長が理事長に対してどう動くのか、注目が集まっているというところなのだろう。
「お金持ちの人は他家とか、派閥とかあるからこう言うふうに有事の時は大変だね」
「いつも人を巻き込むようなことをやってるので、人に振り回されるのもしょうがないですよ。それに何かあったとしても秋也がなんとかしてくれそうだから、気が楽ですよ」
「庶民の俺にそこまで期待されても」
「庶民は庶民でも能力が並外れているし、利害関係で雁字搦めにされていない庶民だから動ける側面も多いんですから。期待せざるを得ないですよ」
能力が並外れているについては複数人に肯定されているが俺としては未だにピンとはこないが、確かに繋がっている家といえば麻黒家だけなので他のお金持ちよりは動きやすいかもしれない。
だがそれでも真っ向から理事長たちと張り合うのは厳しいだろう。
これ以上否定してもイタチごっこになりそうだし、実際のところこの騒動を鎮めるために一仕事することが決まっているのだから不誠実だし、話を変えよう。
「期待する理屈はわかったし、あえてもうそのことについては何も言わないけど、明日まで俺に頼り切りじゃ困るよ。正直、明日は恵梨香の人形作りと天政君の感情次第のところが大きいんだから」
「任せてください。人形も抜かりはありませんし、天政君もきっと目が覚めるはずです。彼と私は分かり合ってますからきっと靄が晴れれば大事なものを思い出してくれるはずです」
「いいね。その意気なら明日の雛祭へ憂いなく挑める」
話に区切りて意気込みも聞けたので、雛祭の練習分で消えてしまった家庭教師の仕事の補填分を補うためにも、勉強の指導を再開する。
明日は恵梨香と天政君の関係がうまい具合に収まってくれればいいのだが。
ーーー
「じゃあまた」
秋也が帰っていくとのを恵梨香は見送ると、少し物寂しくなった部屋を見て寂寥感に駆られた。
恵梨香は人が去ってしまう毎にこの寂寥感を味わい、寂しさを紛らしてくれる恋人の顔ーー天政の顔を自然と思い浮かべる癖があるのだが、最近はこの思い浮かべる顔が秋也に変わりつつある。
それと言うのも恋人に裏切られて、弱っていたところに親身に相談に乗ってくれた上に面倒まで見てもらったので、天政が生じさせた心の隙間に秋也が入り込んでしまったからだ。
恵梨香自身が秋也に助力を頼んだせいであるので、元を返せば恵梨香のせいであるのだが、初めての失恋だったこともあり、恵梨香にはこうなることが予測できていなかった。
だから皮肉なことに天政を取り戻すために四苦八苦するごとに、心の隙間に入り込んだ秋也の存在は大きくなっていることに気づきながらもそれをほっといておいてしまった。
途中で事情を話して、距離を置けば、引き返せる可能性もあっただろうが、積み上げてきた天政への情の方が重いはずだと無理に言い聞かせたのがダメだった。
陽菜と付き合ってるのでダメなことだとはわかっているが、一番辛い時に側で支えてくれる人の存在は思いの他に大きい。
「こんな体たらくで本当に天政君との関係を元通りに戻せるんでしょうか……」
雛祭前日だと言うのに、どうにも自分の天政への気持ちが冷めていくのを意識させるを得ず、弱音が出てしまう。
自分のエロかわいいという嗜好に対して、下心だったり、バカにしたりせず、真面目に取り合ってくれた天政は変わりの効かない存在だとわかっているし、これを逃せばそんな存在とは2度と会えることはないかもしれないのに。
「ああ! 秋也には麻黒さんがいますし、こんな不健全なことは考えるのはやめにしましょう」
陽菜を差し置いてそんなことをすれば、あそこまで支援してくれた彼女に対してひどい裏切りだ。
それに彼女も自分と同じように裏切られているのだから、2度同じようなことをするなどあまりにも惨すぎる。
だがそれと同時にタイミングが自分と逆であれば自分にも選択肢が得ることができたので、ちょっとした違いでその選択肢を取れる陽菜に対して狡いと思う気持ちを抱かずにはいられなかった。
「私はどうすればいいでしょうか……」
そうした悶々とした気持ちを抱いたまま、恵梨香は雛祭前の最後の時を過ごした。