ベルンと地上に向かって戻っていた途中、壁の一部がくずれているのに気がついた。ひんやりとした風が、どこからか吹き付けてくる。その風が、壁の奥から甘く、誘うような、しかしどこか懐かしい匂いを運んできたような気がした。
「あれ? なんかこの壁……奥に部屋があるみたいだ……ほら、ベルン! ここ、ここ!」
興奮したように、崩れた壁の向こうを指差した。冒険心がくすぐられる。
「もしかして隠し部屋かな? なにかアイテムが残っているかも! 今回のクエストは残ったアイテム回収が目的だし、ちょっと見てみようか……」
「うーん、でもアリサ弱いし、また魔物が出てきたら……。まだ足も完治してないだろ?」
ベルンが心配そうな顔で眉をひそめる。
「大丈夫でしょ。ベルン強いし! ねえ、入ってみようよ!」
私の瞳は、隠し部屋への好奇心で輝いていた。ベルンは、やれやれといった風にため息をつく。
「しょうがないなぁ……」
部屋の中は、予想以上に広かった。まるで広大な洞窟か、忘れ去られた神殿のようだった。通常の明かりとしてのステッキの光では、奥の方まで全く届かない。詠唱無しでも、暗いところでは弱い光を灯す便利なアイテムだが、これほど広い空間では弱い。
「あ、あっちの方……なんか祭壇のようなものがあるね? ほら!」
私の声が、薄暗闇に響いた。祭壇の方向を指差しながら、隅々まで見たいという抑えきれない衝動に駆られた。
「ちょっと近づいてみよう……」
そう言いながら私が近づいていくと、祭壇の上に、見慣れぬ箱が一つ置かれていた。宝箱、いや、アイテムボックス? まるで宝石のようになめらかな表面で、光を反射してピカピカと輝いている。どこか既視感を覚える光沢。大きさとしては人間の赤ちゃんくらい……。
「なんだろう? なんか箱に文字? えっと……グレイフェンタール伯爵? は?」
脳裏に、遠い昔の記憶が、霧のようにぼんやりと浮かび上がる。何かが、繋がりそうで繋がらない。そして、次の言葉が、その霧を晴らした。
「よいこのおともだち! 大人気! クマのぬいぐるみ」
「……!」
私の胸の奥が、激しくざわめいた。忘れかけていた、いやすっかり忘れていた、あの記憶が、まるで津波のように押し寄せてくる。
「……? ぬいぐるみ? く、クマの……?」
震える声で呟きながら、私はあたりを見回した。祭壇のような場所を中心に、まるで何かの儀式のように、大量の同じぬいぐるみと箱が積み重なるように散乱している。それは、奇妙で、どこか不気味な光景だった。
「ああっ、これはもしかして!」
その光景に、私はたまらず詠唱を始めた。
「聖なる光よ……、すべてのものに光あれ! ホーリーライトニングッ!!」
迷わず杖を天にかざし、全身の魔力を込めるように唱えた。
今度は、ただの明かりではない。この場所の真実を暴くかのように、強く、強く。純粋な光が爆ぜ、部屋の全体が白く輝いた。
すると、入口付近以外、床一面にクマのぬいぐるみと、その箱が散乱しているのがはっきりと見えた。
その中で、ひときわ異彩を放つ、ボロボロの個体が1つ。
あの、特徴的なほつれた耳。
何度も抱きしめすぎて擦り切れた毛並み。
間違いない、忘れようもない。
この、今にも取れそうなボロボロの腕、くすんだプラスチックの目。
幾度となく私と一緒に眠り、一緒に遊んだ、唯一無二の存在。
……あたしのクマたん。
「いやぁぁぁぁん、こんなところでクマたんに会えるなんて!」
嗚咽が漏れた。壊れ物を扱うように、そっとボロボロのクマたんを抱きしめた。温かい涙が、くすんだ毛並みに染み込んでいく。会いたかった。ずっと会いたかった。ごめんね、こんなになるまで放っておいて。
「クマたん! クマたん!」
「……やぁ、かおりちゃん、久しぶりだね」
背後から聞こえた声に、私は息を呑んだ。普段のベルンとは違う、どこか懐かしく、優しい声。そして、その表情は、もうベルンではない。
「なんであんたがその名前を……」
私の頭は混乱で真っ白になった。ベルンが、なぜ私の転生前の名前を知っている? まさか……。
「思い出したんだ、君が光を放った瞬間、頭の中に、全てが溢れ込んできたんだ。あの時の海、女神さまの声、そして……君の全てが」
ベルン……いや、クマたん? あの時、飛行機事故で海に投げ出され、手を離してしまった、私の大切なクマたん。
「そう、あの飛行機事故の後、女神さまのところに呼ばれて、ボクは君をずっと探していたんだ。ただ、かおりちゃんが心配で心配で……だから、もし、かおりちゃんが女神さまのとこに来たら、ボクと同じ異世界に転生させてほしいとお願いしていたんだ」
信じられない事実が、次々と明らかになる。
「ええっ? そうなの? 女神さまはそんな事ひとっことも言ってなかった!」
女神さまは、私にそんな大切なことを、なぜ話してくれなかったの? 私の頭は、女神への不満と、クマたん……ベルンとの再会の奇跡で、ぐちゃぐちゃになっていた。
―― 第12話へ つづく ――