アリサはボロボロのクマたんぬいぐるみを、壊れてしまった大事なものを抱きしめるように、しかし以前にも増して力をこめて腕に抱えていた。
その前には、剣を構えながら周囲を警戒している、頼もしいクマたん……いや、ベルンが進んでいた。彼の背中は、もう二度とアリサを危険な目には遭わせない、と誓っているかのようだった。
多くを語らずとも、互いの存在が、何よりも大きな安心を与えてくれる。ダンジョンの薄暗い通路を、二つの魂が寄り添うように進んでいく。
途中、何度か魔物に遭遇するも、出会う魔物は、もはやベルンの敵ではなかった。彼は迷いなく剣を振るい、その動きは光の舞踏のように美しく、正確だった。
気がつけば、いつの間にかカバンはずっしりと重くなっていた。これだけの魔石があれば、今回のクエストの目標は達成どころか、お釣りがくるだろう。
ベルンの実力には、改めて驚かされるばかりだった。
――重く湿っていたダンジョンの空気が、少しずつ軽くなり、乾いた、爽やかなものへと変わっていく。
土の匂い。
そして遠くにかすかに聞こえる風の音。
外だ! ようやく、地上に戻れるのだと、全身の力が抜けていくような安堵に包まれた。
出口の先に、温かい光と、見慣れた人影が見えた。
ギルドの受付のお姉さんだ! 彼女は、私を見つけるなり、まるで弾かれたように駆け寄ってきた。
空は茜色に染まり、地平線には最後の光が細く伸びていた。
薄暗くなっていたが、それはどこか優しく、疲れた目に染み入るようだった。
「アリサちゃん!」
他にも馴染みの冒険者やおじさんたちも集まってきていた。
その顔には、安堵と、そして深い心配が入り混じっている。
「く、くるしいよ、お姉さん……」
お姉さんの腕が、私の身体を力強く抱きしめた。骨がきしむほどだったが、その温かさに、私は全ての緊張から解放された。
「ごめんね、ごめんね! 私がダンジョンクエストなんか勧めちゃったから……」
お姉さんの声が震えている。私を心配してくれていたのだ。彼女の温かさに、胸がいっぱいになった。
そんなことないよ。大丈夫だよ。そう伝えたかったけれど、言葉は出なかった。ただ、優しい抱擁に身を委ねた。
◯ 帰還
その日の夜、私たちはギルドの裏庭で話をしていた。夜風が心地よく頬を撫でる。日中の喧騒が嘘のように静かで、虫の音が遠くで聞こえる。
「……かおりちゃんは、これからどうするんだ?」
クマたん(ベルン)の問いかけに、私は迷いなく答えた。
あのダンジョンでの絶望と、クマたん(ベルン)が救ってくれた奇跡。そして、自分の魔法の可能性も少しだけ見えた。
だからこそ、今度は自分の力で、この世界をもっと深く知りたい、と強く願った。
「うん。あたし、魔法使いとして、もっと強くなりたい! 最強の魔法使いになって……そして、この世界を、もっと知りたい!」
聖女ではない、私が選んだ道。その道を、もっと極めたい。
「そっか……。それなら、ボクも一緒に付き合うよ」
クマたんは、私の言葉に満足そうに頷いた。その瞳には、私への深い愛情と、変わらぬ決意が宿っていた。
「本当!? ありがとうクマたん!」
私は嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。
「あ、かおりちゃん……いや、アリサ! ボクの名前はベルンだよ。キミのクマたんだけど、今はもうベルンだ」
「あはは、そうだね、ベルン!」
彼の言葉に、二人の間に新しい絆が生まれたことを実感する。
「……そういえばさ、女神さまは、ベルンを『ボクと同じ異世界に転生させてほしいとお願いしていた』って言ってたけど、なんであたしには言ってくれなかったのかな……」
ふと、疑問が口をついて出た。どこか呆れたような、不思議そうな口調だったかもしれない。
「そうだな。まあ、今度聞いてみたらいいんじゃないか?」
ベルンは肩をすくめて笑った。
「そうだね……って、あの女神さまって死なないと会えないじゃない?うふふ」
「あははは、そうだったね」
「ねえ! 見て……月がとってもキレイ……」
「うん……」
王都の夜空には、満月が煌々と輝いていた。その光は、まるで私たちを祝福しているかのように、優しく降り注いでいた。
私は、胸の奥で温かく鼓動するボロボロのクマたんぬいぐるみを、二度と手放さないと誓うように、ぎゅっと抱きしめた。
もう、どこにも行かない。
君も、私も。
◯ 転生ガイドルーム
「ほっほっほ、まさかクマのぬいぐるみに宿った魂がこれほどになるとはのぅ」
「あら? 昔から日本にはこういう例がたくさんあるのよ? 神様ったらすっとぼけちゃって」
「あのぬいぐるみ、『グレイフェンタール伯爵』って商品名で、かおりちゃんが小さい頃に、日本で大流行していたぬいぐるみなのよ。当時の女の子はみんな持っていたんだけど、かおりちゃんのように、ずっといっしょだったのは稀で、『クマたん』だけに魂が宿ったのだけれど、
本来は、姫(
「しかし、グレイフェンタール伯爵だなんて、そのままズバリな転生後の名前とはねえ。日本で親に買い与えられた時に、『くまさんのぬいぐるみよ』なんて渡されてたら伯爵とか言われても気が付かないか」
「あの祭壇にあった大量のグレイフェンタール伯爵は一体なんだったのかしら?」女神山田は困惑していた。
――今回かおりちゃんに付与されたスキルの本来の効果は……
《聖なる光、ホーリライトニング「人の想いの残滓の|収斂《しゅうれん》」》
「大量の『
「あいかわらず最初の説明が雑なんだから、最初から教えてよねっ!」
―― クマたん編 おわり ――