ホテルにチェックインした流雫は、シャワーを浴びた後で新しい服に着替えた。
空色のミニスカートとセーラーカラーの服。それが恋人プロデュースのコーディネートだった。
「ルナ!?」
アメニティのコーヒーを淹れたアルスは、思わずスマートフォンを床に落とした。
……ミオとシノは何してるんだ!?そう思いながらも、アルスは流雫に釘付けになる。殊の外似合っているのは、流が元々中性的な顔立ちだからだ。……あの2人が無邪気な微笑を浮かべていたのは、そう云う理由か。
「これが、お前たちの戦略か」
と、唖然としたままのアルスが言うと、流雫は頷いた。
「これしか無いんだ」
……フランスにルーツを持つ流雫の見た目は目立つ。当然、プリィを追っている連中も、その存在は認識しているだろう。
プリィを逃がしつつ、流雫自身も撹乱する。そのためには、流雫がスカートを履くしかないのだ。ただ、流石にスパッツを下に履いている。
「撹乱とは云え、女子と化したお前とカップルになるとはな……」
と言ったアルスに
「形振り構っていられないからね」
と流雫は言い、ベッドに座る。
ミニスカートの裾が少しめくれ、通学でロードバイクに乗っている割には細い太腿が、露わになる。その瞬間、アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳が曇った。
……河月のアウトレットで起きた銃撃で、犯人に足を撃たれた。偶然居合わせた同級生の代わりに人質になった澪のために、銃を捨てた、その瞬間に撃たれた。
激痛に耐えながら反撃に出たから、澪は無事だった。しかし流雫は意識を失い、澪は流雫が死ぬと思い、泣き叫んだ。
その時の弾痕が、右の太腿に残っている。それがミニスカートを履いたことで露出した。澪の前では隠したい。
……僕が撃たれたから、澪が泣き叫んだ。流雫は今でも、全ては自分のミスだと思っている。
「……どうした?」
アルスの言葉に、流雫は
「……何でもない」
とだけ答える。しかし、アルスの目はその理由を逃さなかった。
「お前……それ……」
流雫は手で疵痕を隠した。無意識だった。
「撃たれたのか……?」
その問いから逃れられないと覚悟した流雫は、
「……アルスと出逢う前にね」
と答え、溜め息を吐いて続けた。
「……澪を泣かせた……僕が撃たれたから」
その言葉に、流雫が何を思っているのか……アルスは、何となくだが読める。しかし、
「でも、お前は死ななかった」
と言うのが精一杯だった。
自分が死ぬことが怖いのなら、言葉は悪いがその一言で片付く。だが、流雫は何より澪を遺すことが怖れていた。
少しだけ間を置いて、アルスは
「……だから今、ミオは幸せでいられるんだろ?」
と、言葉を絞り出した。
語弊を怖れず言えば、澪が絡んだ時の流雫はかなりチョロい。それだけ流雫が一途と云う証左なのだが。
「お前が生きてる、ミオはそれだけでいいんだ」
そう続けた言葉に、流雫は何も返さなかった。……或る意味では、間違っていないからだ。
……この疵痕は、澪のために受けた勲章。そう言って笑い飛ばせるのは、未だ先の話か。だが、何時かはそう思うようにならなければ。
未だ、僕は弱い。もっと、強くなりたい。そうやって、無意識に自分自身に重圧を掛けている流雫に、アルスは
「とにかく、今はこいつを片付けるぞ」
と言い、紙袋に入ったファストフードを渡した。
突然の異邦人の来客だが、美雪は何も驚かなかった。娘の恋人も、半分似たようなものだからだ。
夜、澪の部屋でワンピースに着替えたプリィは、思わず頬を紅くした。彼女のシンボル、青と白のカラーリングは変わらないが、装束以外を着ることが滅多に無いだけに、一種の違和感を感じる。
澪と詩応がこの服を選んだのは、追っ手から彼女を保護するためだ。
トラッカーが仕組まれただろうネックレスは、流雫が預かっている。しかし、プリィの装束は目立つ。だから、市中で売っている服に着替えさせれば彼女を隠せるだろうと読んだのだ。
「似合ってる」
と言った詩応の隣で、澪も微笑を浮かべる。
生来の立場の違いが、人格形成に大きな影響を与える。あの時のプリィの言葉も、全ては彼女が外の世界を知らないからだ。流雫や澪が、プリィがいる教会の世界を知らないのと同じで。
ただ、プリィも同世代の少女なのだ。今目の前の2人に見せている表情が、その現実を突き付けている。
……真相を追うだけじゃなく、少しだけでも日本にいることを楽しんでほしい。澪はそう思っていた。
「……ミオにとって、ルナはどんな人?」
とプリィは問う。流雫は澪を、ソレイエドールより尊いと言った。澪はどう思っているのか。深い思惑は無い。
「……悪魔です」
予想外の答えに、プリィは目を見開きながら首を僅かに傾げる。澪は続けた。
「……あたしの魂が、悪魔の手で地獄へと連れ去られるとしても。その正体がルナなら、あたしは本望ですから」
……ルナもルナだが、ミオもミオ。このカップルはポエマーなのか?プリィはそう思った。しかし、その瞳に冗談は感じられない。そして、詩応はその言い方に頷いている。
「ルナ、いい人に恵まれたわね」
とプリィは言う。その言葉に、澪は笑いながら
「そこに、プリィも入ってるんですよ?」
と返す。
「私も?」
「ルナのことを信じてるでしょう?ルナはあたしと出逢うまで孤独だった、だから今こうしてルナを信じる味方がいることが、どれだけルナにとって幸せか……」
と澪は言った。
……人を信じることは、簡単に見えて難しいもの。そして、何が有っても信じ続けることは、恐らく生きていく上で最も難しいこと。
でも、誰かに信じられることは、何よりも心強いこと。澪はそのことを、流雫と過ごす日々で感じるようになった。流雫から絶対的に信じられている、だから流雫を信じられる。だから、テロにすら屈しない。
「……ミオの正体、ソレイエドールの転生だったりして」
と言ったプリィに、詩応は
「強ち、間違ってないかな」
と答えた。
教会の外のことはほぼ何も知らなかったプリィに、年頃の少女らしさが少しずつ見えてくるのを、日本人2人は感じていた。
そして、この束の間の平和が続いてほしい、と願うばかりだ。
数時間前、4人が服を選んでいる最中。アルスは1人、店の前でフローズンドリンクを飲みながらスマートフォンを耳に当てていた。通話相手は、起きて間もないレンヌの恋人。
……仏日合同のヒトクローンプロジェクトの本部は、レンヌ郊外に置かれている。現在はアリスとセバスチャンの定期的な検査、そしてクローニング技術とデータの管理を行っている。そのトップはメスィドール家の専属医師、サクラ・ミヤキ。日本語で書くと三養基咲楽。
パリの医科大学を首席で卒業したと同時に、太陽騎士団関連病院に勤務することになり、その中でメスィドール家を担当することになった。アリスを培養した当時は、プロジェクトの主要メンバーで唯一20代。
日本で一時期流行った言葉で言うところのリケジョ……理系女子、その筆頭となるドクター・ミヤキが失踪した。2週間前の話だ。
周囲には、日本への長めの帰郷と話していたようだが、その直前にデータを持ち出していることがアクセス履歴から明らかになった。今は連絡がつかない状態だ。
「まさか、プリィはミヤキを追って……」
「そうだとしても、不思議じゃないわ」
とアリシアは言った。
「だとして、何故プリィを日本に行かせたのか」
とアルスは問う。それが何よりの疑問だった。
「何度も言うけど、何が理由でも不思議じゃないわ」
とアリシアは答えた。
……フリュクティドール家の思惑が何も読めない。メスィドール家以上に厄介なのは、パリ中央教会の一家なのか。
アルスから話を一通り聞いた流雫は、頭を抱えた。判らないことが多過ぎる。レモネードソーダの酸味と炭酸の刺激も、流雫を癒すだけの力は無い。
「クローンのデータを持ち出した理由か……」
とアルスは呟く。流雫は言った。
「……案外、簡単だったりして」
「簡単?何だよ?」
アルスの問いに、流雫は数秒間を置いて答えた。
「……プライド、かな?」
アリスを生成したプロジェクトは快挙だとしても、日の目を見てはいけない理由が有る。しかし、携わった者として功績を認められたいのは、至極当然のこと。
だから、別の個体を生み出すことで快挙を目指した。アリスのプロジェクトに着手した後から、既に独自で何体も着手しているだろう。
快挙を自慢できないことは最初から判っている、それならセブとほぼ同時期に最初の個体を生成していても、何ら不思議は無い。2人の存在を隠しつつ、快挙を発表できるからだ。
しかし、プリィとセバスチャンのデータを持ち出したのは、既存の個体だけでは問題が有ったからだろう。他の個体が既に成功している、とするなら、わざわざ持ち出す必要は無いハズだが。
その方面の知識はほぼ皆無だが、クローンによる世界初の快挙は誰もが手にしたがるだろう。何しろ、命の在り方そのものが次のステージに足を踏み入れようとしているのだから。その先駆者として名を残せる、唯一の機会なのだから。
「プライドか……」
とアルスが口を開いたのは、流雫の言葉が止まって10秒近く経った頃だった。
「有り得ない話じゃない」
そう言った流雫は、思わずストローを噛む。
……もし、そのプライドのために、プリィが危険に曝されているとするなら。聖女候補の少女と旧知の仲と云うプライドを、一気にぶつけるだけだ。
「……タッチの差だろうと、世界初じゃないものは全て二番煎じ。既存の成果を覆す何かが無い限り、名誉は得られない」
「それだけじゃない。日本は何かにつけて厄介な国だ。プライド以外の何かが潜んでいても不思議じゃない」
とアルスは続く。
……トーキョーアタック自体、銃産業の利権のために引き起こされたものだった。
大規模テロから僅か1ヶ月で、銃が解禁された。そのことに疑問を覚えたアルスとの問答の末に、流雫が見つけた答え。
それだけが外れていれば、他の推理は全て当たっていてもいい……そう思ったが、現実はあまりにも残酷だった。
「理由が半分ずつだとして、プライドと……何だ……?」
と流雫が呟く。
プライドと云う個人の感情だけなら、まだ簡単だ。しかし、誰もが堂々巡りに陥る謎が、一連の事件の根底に存在するのなら。
アルスが寝静まった後で、流雫は1人窓際でスマートフォンを握っていた。澪からのメッセージが届いたことが、その発端だった。
「……2人のデータを持ち出した理由……もしかすると……」
「何?」
とだけ返した流雫への返事は、1分後。それは、流雫の脳を襲い始めた眠気を一瞬で駆逐した。
「人口減への対策……」
澪からのメッセージに、思わず
「え?」
と声を上げる流雫。
「2人のデータも活用して、クローンを量産する……?」
「それだけじゃないわ」
と澪は打ち、更に忙しなく画面の上に指を滑らせる。
「……大事なのは、量産した次の段階よ」
「次?」
「人工的生命体を、自然的生命体にする必要が有る。そうすることができる、唯一の手段……」
その言葉に、手に汗が滲み始めた流雫の目が、送られてきたメッセージを捉えた。
「……クローン同士で繁殖させる。その母胎確保のため……」
プリィがシャワーを浴びている時のこと。2人きりの部屋で詩応が切り出した。
「澪は流雫とは、未だキスだけ?」
「へっ!?」
と声を裏返した澪は、3秒経って撃沈した。無意識に出た溜め息が、断末魔の叫びにも聞こえる。
相変わらず弱い……と思う詩応に、澪は
「……その先も……時々妄想はしますけど、未だ早くて……」
と頬を紅くしたまま返す。
……流雫に処女を捧げ、そして2人の子を産む……?未だ想像できないが、何時かはそうなると……。
……子を産む……?
「……あ……」
と小さい声を上げたボブカットの少女は、一瞬で普段の、否、刑事の娘らしい表情に戻る。
「澪?」
「……クローンが産んだ子は、自然な人間なの……?」
そう呟く澪に、詩応は
「……クローンとは云え、母胎から産まれるなら、自然な人間だろうね……」
と言葉を返した。その瞬間、散らばっていたパズルのピースが動き始め、瞬く間に合わさっていく。
「……クローンを増やして交配させ、出産させる……。それが増えていけば……」
「あ……!」
詩応が声を上げる。
思い出すのは、ディナー後のリビングで流れていたニュースの話題。少子化の歯止めが掛からない問題を特集していた。
「行き着く先は、外国人の移住定着に依存しない少子化対策。そのための母胎のデータが必要だった……。母胎のバリエーションを増やすために」
澪は言った。
当然、可能性の一つでしかない。しかし、可能性として有り得る以上、排除できない限りは疑うしかないのだ。そしてこれが、今の澪にとって、最も現実味が有る理由だった。
「……妄想。そう言えればいいのに」
と詩応は言った。しかし、彼女も知っている。その願いは、どれだけ女神に祈っても叶わないと。
脳に痺れが走った流雫は、画面から目を逸らすことができなかった。
……可能性は限りなく低いし、恋人の妄想だと思いたい。しかし、もしこれが真実なら。プリィのDNAが、見知らぬ人を助ける医療技術の進歩に貢献するのではなく、人口を増やすための母胎として扱われるのならば。これほどに、命を軽視される残酷なことは無い。
画面が滲んだ流雫は、思わずスマートフォンを耳に当てる。
「流雫?」
と声が聞こえた瞬間、目を閉じた流雫は
「澪……」
とだけ、小さな声を絞り出す。
「泣いていいよ……。あたしが、ついててあげるから」
と、澪は囁くように言った。
……名を呼ぶ声の微かな違いだけで、最愛の少年が今何を思っているのか、何となく判る。そして今は、怒りと悲しみが混ざって、苦しんでいる。それだけ、見捨てられない人のために必死になっている証左だ。
「サン……キュ……、……澪……」
流雫はその言葉しか出ない。声を殺して泣いていた。……スピーカー越しでも、最愛の少女の存在を感じられるななら、それだけで救われる。
澪は何も言わない。
……今は一頻り泣いていい。余計な言葉は要らない、ただあたしが全て受け止める。
泣いた後で、流雫はその足で立ち上がれる。流雫が泣くのは、立ち上がるために邪念を洗い流すため。迷いを混ぜた溜め息を吐き捨てるのと同じだった。
……そのことを、あたしは誰より知っているから。
翌朝、ホテルのモーニングを部屋で平らげた2人は、出発の準備を始めた。
アルスは、夜中に流雫が泣いているのに気付いていた。詰まらせた声で恋人の名を呼んでいたのも知っている。
しかし、アルスは何も言わなかった。何がきっかけかは知らないが、ルナが抱える悲しみをベストな形で受け止めてやれるのは、ミオだけだからだ。
しかし、その少年が少しヘアスタイルに手を付け、女子になっている。違和感が拭えないアルスの隣で、
「僕はルーン……」
と呟く流雫。
月はフランス語でルーン。ルナも元々月の意味で付けられただけに、これが最も自然だった。
因みに名字はクラージュ。母アスタナの名字で、かつての流雫のミドルネームでもある。日本では使えないから封印しているが、今でも大好きな名前だ。
パリからのボーイッシュな女子高生、ルーン・クラージュ。それが今の宇奈月流雫だった。
少し早めにチェックアウトを済ませる2人。しかし、建物を時間差で出た。
先に出た流雫は、少し歩くと既に背後に気配を感じる。少し高そうなグレーのスーツを着る男。眼鏡を掛けているが、未だ20代ほどに見える。
その相手は少なからず困惑しているだろうか。もし昨日までの容姿が目印だとされているなら、ターゲットは全くの別人だ。あれは本当にプリィなのか?しかしトラッカーは反応している。まさか、トラッカーを盗まれたのか?
ただ、犯人がどう思っても、流雫にとっては襲われれば戦うだけだ。
地下鉄の改札を通るが、追跡の気配は消えない。此処までは予想通り。
どんなに形振り構わないとしても、密室で犯行に及ぶほどバカじゃない。アルスに
「秋葉原で」
とだけメッセージを入れた流雫は、無意識に手首のブレスレットにキスをした。……意図的に遠回りを選び、後に出たアルスを先回りさせる。
合流地点は秋葉原。交通の要所で、どのルートでも比較的行きやすいのが、選んだ理由の一つ。列車で近寄られることは無かったが、随時監視されている感は否めない。
列車を降りた流雫が駅前広場に立つ。通り掛かる人が、突然現れたセーラー服の美少女を見ながら通り過ぎる。
午前中だが、既に駅前は人が多い。だが、空港でもアフロディーテキャッスルでもプリィを狙った連中だ。何時また狙ってくるか判らない。
「どう出てくる……?」
と流雫は呟く。その瞬間、流雫のオッドアイはブロンドヘアの少年を捉えた。
「フレンチカフェがこの辺りに有るらしいが、場所知ってるか?」
「あ、ボクも探してたんだ」
と言葉を返した流雫に、男は
「一緒に行くか。どうせだし、見たところ同郷っぽいし」
と言い、隣に立つ。
その一部始終、ブルーの瞳はスーツの男を視界の端に捉えていた。近寄ろうとして、ナンパと云う邪魔者が入った……苛立ちを感じているだろうか。しかし、違和感が有る。
予定通りの合流だったが、あのアドリブは流石に無い、そう流雫は思った。
「こう云うナンパ、有るのかよ……」
と流雫が言った隣で、
「ルナ」
と名を呼んだブロンドヘアの男……アルスは言う。
「あの男……気になる」
「ホテルから追ってきてる。やはり、ネックレスは正しかった……」
と答える流雫。しかし、同時に自分たちの方が有利だと思っていた。
ネックレスは、プリィの居場所を示していない。流雫をプリィだと誤認しているなら話は早いが、もしそうでないとすれば、敵にとっては謎が絶えない。プリィの捜索は困難になる一方で、何故流雫がネックレスを持っているのか……。
「ルナ、どうする?」
「……行ける所まで行って、死ぬべき場所で死ね」
と流雫は答えた。精一杯やれ、と云う意味のフランスの言事だ。流雫が覚悟を決める時の口癖でもある。
「……正しくは」
「でも死ぬべき場所は此処じゃない」
そう言った流雫は微かに笑い、アルスも口角を上げた。
一通り着替えた3人は、リビングで少し話すことにした。
「ルナのところには、私とセブ2人揃って寄宿舎にいる、と言っていたようだけど、実際は教会にいたの。どうして家族がそう言ったのかは判らないわ。私は教団と教会の未来のためにと、その方針に従うだけだった」
「セブもその意味では同じだった。でも、2週間前に日本へ旅立った。表向きは、かつて教団が標的になった一連の事件の影響を確かめるため。……本来は大聖堂が直接すべきなのに、中央教会に任された。その理由は、私にも判らない」
と言ったプリィは、アルスの言葉を思い出していた。
「お前の教団の中枢で、何が起きてる?」
何が起きているか、それは私が知りたい。そう思っていたプリィに、詩応は
「メスィドール家の秘密を知っていた……?」
と続く。
「まさか……」
とプリィは言った。クローンに対して否定的な立場の太陽騎士団のことだ、アリスがクローンだと知っていれば、聖女に選出するハズが無い。それどころか、教団から追放されているだろう。
「……日本でセブの足取りは掴めていないわ。メッセンジャーアプリも通話もできない。単なる影響の調査なのに、連絡が付かないなんて……」
そう言ったプリィは、ふと最悪の事態を思い浮かべる。曇るフランス人の表情に
「セブは生きています」
と言ったのは澪だった。
「姉が信じてあげなくて、誰が彼を信じるんですか?」
「ミオ?」
「愛することは、どんな時だって信じること。あたしはそう思って、何時だってルナを信じてます。ルナを孤独にさせたりしない……」
そう言って澪は、昨日引っ叩いたプリィの頬に、掌を軽く押し当てる。
「それと同じ。今のプリィには、あたしもシノもついています。だから、プリィはセブを信じていて……」
そう言った澪は慈悲に溢れていて、しかし悲しそうな目をしていた。
プリィは気付いていた。人を信じることそのものが、澪の拠り所になっていることに。逢った時から、信じると云う言葉を頻りに使っているからだ。
セブの無事を信じる、それがミオを信じることに直結する。彼女の偽り無き思いを受け止める、セブだけでなく、私を信じる全ての人のために。プリィはそう決めた。
「……信じるわ、ミオ」
とだけ答えたプリィは、凜々しくも優しい表情を見せる。それに目を奪われた澪は言った。
「ありがと、プリィ」
周囲から見れば、イケメンと美少女の外国人カップル。アリシアが何も知らず目撃すれば、数秒後には全力の平手打ちがアルスの頬に炸裂するだろう。ただ大きく違うのは、少女は日本人だし男だ。そして、2人はデートしているワケでもない。
……男は未だついてくる。人通りが有る場所を伝うとしても、振り切れるとは微塵も思わない。
「……アルス、一旦分かれよう。僕はこのまま真っ直ぐ行く。アルスは右に曲がって、その先で左……」
と言った流雫に、アルスは
「……上手くやれよ」
と返す。それが合図だった。
「やっぱり気が変わった。ボクは行かない!じゃ!」
と流雫は一方的に声を上げ、少しだけ歩速を上げる。舌打ちしたアルスは、首に手を当てて空振りに終わった表情を浮かべながら、目の前の角を右に曲がる。
男は流雫と同じ方向に歩いていく。……ここまでは想定通り。
背後に誰もいないことを確認したアルスは、地面を蹴った。後は流雫を追う男の背後に、自然な形で回るだけだ。
流雫は人通りが少なくなった場所まで進むと、立ち止まる。
「……ネックレスにトラッカー……正解だったか」
と呟いた流雫の耳に、英語で問う声が聞こえた。
「何故ネックレスを持ってる?」
「……誰?」
「答えろ。何故持ってる!?」
「……奪った」
と、男に背を向けたままの流雫は答える。それが最も手っ取り早い。
「それは、お前のような下々の人間が触るものじゃない!」
その言葉に、流雫は振り返った。
「知ってる。太陽騎士団の聖女の証……そのレプリカ」
その声に、男の表情が険しくなる。ネックレスのことを知っている謎の少女、しかも瞳の色はテネイベールと同じ……。
「お前は……!?」
と目を見開く男の顔に、流雫は眉間に皺を寄せ、目蓋を震わせる。しかし、あくまで冷静に問う。
「何故ボクが、ネックレスを持ってると?」
それが、男の苛立ちを加速させる。
「……とにかく、大人しくネックレスを渡せ。それは我々にとって大事なものだ」
と言って前に出る男に、流雫はバッグからネックレスを出し、フランス語で問う。
「トラッカーを仕掛け、少女に持たせて……。……セブ、何が目的だ?」
自分とセブは瓜二つ。プリィ自身、そう言っていた。そして、確かにその通りだ。姉譲りのブロンドヘアの持ち主は
「俺の名を……!?」
と呟く。その瞬間、
「ルーン!」
と声が聞こえた。セブの背後から駆け寄ってくるのはアルス。
「どうした?絡まれたのか?」
と問うたフランス人は、流雫ではなく男を睨む。先刻の遣り取りが確かに聞こえていた。その目に、2人に挟まれた男は
「お前は……プリュヴィオーズ家の……!」
と声を上げる。先刻のナンパはやや遠目だったから、顔をよく見ていなかった。
「太陽騎士団の幹部に名を覚えられてるとは、俺も有名になったもんだ」
と返したアルスは問う。
「……セバスチャン、フリュクティドールか?メスィドールか?どっちだ?」
「何故答える必要が有る?」
「どっちでもいいがな」
とアルスは言い、話を切り出した。
「命の在り方と宗教的倫理に大きく関わる秘密を、俺は知ってる。此処でバラされてもいいのか?」
「脅す気か?相変わらず卑怯な教団だ……」
「何とでも言え。目的のためなら、手段は問わん」
とアルスは言った。セバスチャンにとって、バラされては困る秘密が有る以上、有利に立つのはアルスだ。
「聖女の正体は人工的生命体。太陽騎士団の倫理には悖るが、本来生きているハズだったアリス・メスィドールの代わりとして、教団に尽力している。その弟セバスチャンもな。だが、そのことがバレては大変なことになる」
「……今し方、脅す気か?と言ったな。ああ、俺はお前を脅す」
と続けたアルスに、セブは問う。
「目的は何だ?」
アルスは答えた。セブの目をブルーの瞳で捉えながら。
「我らがフランスと、大事なフレンドがいる日本の平和だ。今、件の舞台は日本に移っているからな」
と言ってアルスは、一瞬だけ流雫に顔を向ける。大事なフレンドの筆頭だ。そして彼は続けた。
「お前が知っていることを全て教えろ。セバスチャン・メスィドール」
その名に、アルスの隣の流雫は
「え……!?」
と小さく声を上げた。
このセブは、聖女の……!?ならば、プリィの弟は何処だ……?
「断る」
とセブは言った。
「邪教の脅迫に屈すると思うか?」
その言葉に、口を開いたのは流雫だった。
「……ネックレスの持ち主の居場所を特定し、襲撃した。空港で、そして台場で。何故オリジナルを……プリィを狙う?」
「何を言ってる?」
「誰がプリィを狙ってる?何のために?」
流雫の口調には、怒りが宿っている。プリィを殺されかけたのだから、当然のことだった。
「まさか、我々の仕業だと思っているのか?」
「疑問が払拭できない以上は、教団幹部だとしても疑うしか無い」
と流雫は言った。
……ルージェエールを信仰する男と、テネイベールに似た目を持つ女。一体何を知っているのか。それ以前に、ナンパに成功したと思いきや、突然別れたハズの2人が、コンビの如く自分に対峙している。
男の正体は知っている。邪教の、それも目障りな男だ。しかし、ルーンと呼ばれている女は一体何者だ……?
「お前、何者だ……?」
「テネイベールの転生……なんてね」
その言葉に、セブは
「お前……邪教のグルか……!」
と怒りに満ちた声を上げる。プリィからどうやってネックレスを奪ったかは知らないが、邪教ならやりそうなことだ。
「ネックレスは返す。でも、トラッカーが無いのにプリィの居場所は判らない」
と流雫は言った。
「プリィの居場所は何処だ!?」
「知ってる。ネックレスも借りただけ。でもプリィを狙うなら教えない」
「ふざけるな!」
「僕は約束した、プリィを助けると」
「助けるだと?ならば居場所を教えろ、そして引き渡せ。それがプリィのためになる」
「ならば質問に答えろ。お前の教団の中枢で、何が起きてる?」
とアルスが言葉を被せる。
……どっちかが折れなければ先には進まない。しかし、そのために妥協しても構わないポイントが見当たらない。ましてやセブは、血の旅団相手に妥協することは有り得ない。聖女の弟と云う立場が認めない。
人通りが無い場所で、厳密には1人違うのだが3人の外国人の男女が対峙している。異様な緊張感に包まれる秋葉原の片隅で、事が動いた。近くに停まった黒いセダンから、2人の男が出て来たからだ。
ワイシャツの上にはスーツの代わりに、白衣を着ている。
「ようやく見つけたぞ、それも2人揃って」
その声にセブは振り返り
「誰だ!?」
と問う。2人のうち1人が
「お前ら2人に用が有る」
と、セブと流雫を指しながら答える。
……ルーンもとい流雫が、プリィと間違えられているようだ。しかし、疑問が一つ生まれる。
「……此奴らをどうする気だ?」
と、アルスは2人の前に出る。
「ダイバの時のように、始末する気か?」
「何故狙う?」
と、今度は流雫が続く。
「お前らの存在が問題だからだ」
と言い、男は銃を取り出す。流雫のそれと同じで口径は小さい。しかし、距離によっては人を殺せるだけの力が有る。
「結果、正解だったな」
とアルスは流雫に言う。小さいフランス語はセブにも聞こえていた。
「……アルスはセブとあっちに逃げて。僕は戦う」
「正気か?」
「それしか無いんだ」
と言った流雫は、バッグから銃を取り出す。
澪や詩応には頼れない。2人はプリィといるからだ。そしてセブはアルスに任せる。1対2だろうと、仕留めるのは流雫の役目だ。流雫は
「セブ!」
と呼んだ相手の腕を掴み、アルスに向けて投げる。
「アルスと逃げて!」
「おい!!」
突然のことに困惑するセブの腕を掴んだアルスは
「とにかく来い!!」
と言い、走り出す。セブは引っ張られるままに走る。血の旅団信者に腕を掴まれたことは一種の屈辱だが、そうも言っていられない。
「一体何なんだよ!?」
とセブは怒りに満ちた声で問いながら、アルスの手を振り解く。
「……彼奴は俺のフレンドだ。ネックレスはプリィから預かった」
「奪ったんだろ!?やはりお前とグルだったか」
「奪ったと言う方が手っ取り早かった。プリィに問うてみろ」
とアルスは言った。
「プリィの身を案じて、自分が身代わりになると言ったんだ」
「信じられると思うか?卑怯者が!!」
「信じられないなら、それでもいい。だがな……」
と言ったアルスは立ち止まり、セブの喉を掴んで階段に叩き付ける。
「ごほっ!!」
「俺のフレンドをバカにするな。アリスとお前の秘密、世界中にバラすぞ」
とアルスは言った。
自分が悪役に回ってでも、幼馴染みを助けたい。だから流雫は、自分の過去も美桜の死もバカにしたプリィを助けると言った。その思いを、セブにグルや卑怯者と云う言葉でバカにされた。看過できなかった。
「だから教会は檻なんだよ」
とアルスは言い、セブから離れた。
2人が走る先は、急な階段が有る。其処を駆け上がって少し進めば大きな通りに出られる。流雫は2人が逃げ切れることを願いつつ、言った。
「メスィドール家にとって不都合だからか?」
「どう不都合だ?」
「ボクより詳しいんじゃない?」
と答える流雫。少し乱雑なショートヘアの少女に、男は苛立ちを見せる。
……そもそも、聖女やその候補が銃を持っていると云う情報は無い。しかし、トラッカーは目の前の少女に反応している。
流雫は深めの呼吸を一度だけすると、一気に地面を蹴った。
「待て!!」
男は銃を構えるが、それに流雫は乗らない。
銃を取り出したが、撃つのは最終手段。このまま逃げ切れるとは思っていない。ならば、自分が戦いやすい環境に持っていくだけだ。
秋葉原駅まで戻った流雫の目の前に、黒いセダンが映った。ロータリーの縁石に乗り上げて止まると、男2人が出てくる。
「露骨だ……」
と流雫は呟いた。しかし、男としては形振り構っていられないのだろう。
「逃げられると思うか?」
その問いに、流雫は
「当然」
とだけ答える。テネイベールを連想させるオッドアイがこの瞬間の環境を捉え、脳は動線をシミュレートする。全ては無意識下での出来事。
「ボクがネックレスを持っている、だから狙う気なのか……」
「大人しくすれば、穏便に済ませてやる」
「穏便ね……」
と流雫は言った。
二度もプリィを殺そうとして、それでいて穏便とは。言いたいことは有るが、今はとにかく男を仕留めなければ。
「一つだけ教えたい。ボクの名はルーン……プリィでもアリスでもない」
その言葉に、2人の目は見開かれる。
「何!?」
重なった声を合図に、ネイビーのセーラー服の少年は踵を返した。