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第8話 処刑宣告

 赤毛の少女が気に入っているのは、ミルク多めのラテ。普段は恋人と一緒だが、今日も1人だ。窓側のカウンター席の端に座り、愛用のクリア地のタンブラーを傾ける。

 1人で飲むのはつまらないが、少し生意気なスパダリが地元にいない以上、仕方ない。偶には、それも悪くないのだが。

 しかし、好きな味さえも、少女を落ち着かせるには足りない。早朝の一報が引っ掛かっていたからだ。

 ……本来、アリシアは中国への偵察を指示されていた。しかし、アルスが日本行きを指示されると、一転して拒否した。中国語が苦手だから、と云う表向きの理由だったが、本当の理由はそうではなかった。そして、彼からの連絡を受ける度に、フランスに残っていて正解だったと思う。

 スターダストコーヒーの向かい側は、太陽騎士団の教会。今でもメスィドール家の籍は其処に置かれている。

 元総司祭の訃報を受けて、スーツを着た教団関係者が数人、慌ただしく重い扉を開ける。

「大変ね……」

と呟いたアリシアにとっては他人事だ。血の旅団にとっては全くの無関係だからだ。

 突如、大きな声が響いた。

「レロワの死を説明せよ!」

「クロードは殺人犯!!断罪せよ!!」

その声に、アリシアは反射的に

「何事……!?」

と立ち上がる。

 ……マルティネスの死は、ニュースを目にする限りでは自殺でも事故でもないらしい。焦点は誰が何のために殺したのか、だ。

 元総司祭が死ぬことで、恩恵を受けるのは誰か。何より、聖女交代劇で嗤った一家は何処か。そう、メスィドール家。故にメスィドール家が怪しい。

 それが騒ぎの動機か。そう思ったアリシアは、気になりながらも短期のアルバイトに向かうべく、店のドアを開けた。その瞬間、

 「メスィドール家の陰謀を暴け!」

「聖女は人外だ!悪魔だ!」

と続けて聞こえる。

 ……人外。その言葉に足を止めた少女は、

「……それだわ」

と呟き、スマートフォンを手にした。


 経緯が経緯とは云え、参列はフォーマルウェアが基本。高校生なら制服。美桜が犠牲になったトーキョーアタックの追悼式典だってそうした。

 しかし、着替えのために山梨に戻るには時間が無く、こう云う時に備えて恋人の家に制服を置いてある、なんて事すら無い。

 普段の私服に戻った流雫は、軽く溜め息をつく。それは、不安や迷いを捨てるための儀式。

 日本人3人は渋谷へ向かうと、数時間前に戦場となったハチ公広場で、フランス人3人と遭遇した。セバスはルーンの正体に軽く唖然とした。少女ですらなかったとは。しかし同時に、少年のテネイベールに似た瞳が気になる。

 アルスのスマートフォンが鳴った。

「レンヌの教会で騒ぎが起きてる」

通話が始まると同時に、アリシアはそう話を切り出した。

「何!?」

「マルティネスの死はメスィドール家の陰謀。聖女は人外。そう叫んでる」

その言葉に、アルスは反射的に

「人外!?」

と声を上げる。アリシアはそれに続く。

「秘密を握ってるのか、悪魔だと言いたいのかは知らないけど、動機は正義気取りの断罪だと思うわ」

後者であってほしいが、そう思うほど前者が現実、それはアルスも覚悟している。

 「秘密を握っているなら、恐らく儀式の最後に仕掛けてくる」

「止める術は無い?」

「恐らくな。レンヌとダンケルクにとって最大の試練になるぞ……」

とアルスが言うと、アリシアは

「トーキョーも、じゃない?」

と返す。その瞬間、ブルーの瞳に陰りが見えた。

 「……ルナとミオが教会に行く……」

「え?」

「シノが提案したらしい。俺とシノはプリィやセバスの護衛だ」

と言うアルスは、目の前にいるカップルが気になっていた。

 何が起きても、2人なら平気であることに疑いの余地は無い。だが、この不穏な予感は思い過ごしでは済まない……その覚悟を何よりも求められる。

 「……気を付けて。何が起きても不思議じゃないから」

と言ったアリシアに

「ああ」

と答えたアルスは、通話を切ると流雫と澪の名を呼ぶ。

「レンヌでちょっとした騒ぎが起きた。トーキョーでも起きないとは思えない」

と言ったアルスに、全員の顔が向く。詩応は咄嗟に

「やっぱりアタシが……」

と言ったが、声を遮られた。

 「僕は、何も怖くないよ」

「あたしも、力になる」

そう続いた2人の前に立ったアルスは、目を閉じて手を身体にかざす。

「……我が女神ルージェエールよ、2人に絶対なる守護を」

これで2人は護られる。アルスはそう信じて疑わない。

 同時に目を開けた流雫と澪は頷く。その表情に、迷いは微塵も無い。


 エルンストが見つからない。しかし、儀式の時間は迫っている。聖女は一抹の不安を抱えたまま椅子から立ち上がり、タブレットを手にドアを開ける。その後ろからセブも続く。

 ……自分への呪文を何度も唱えて、感情を押し殺してきた。そして今も頭に浮かべ、呟く。信者の前に立ち、無数の目に立ち向かうための、たった一つの呪文を。

「私は聖女」


 大教会は重苦しさに包まれていた。

 ……美桜の葬儀も、こう云うものだったのだろうか。そう思った流雫の手を、澪が軽く引っ張る。最愛の少年が何を思っているか、手に取るように判る。

 無理も無いことだが、今は惑わされないように。そう思った澪の隣で、流雫は頷くだけだった。

 最後に教会に入った2人は、礼拝堂の最後列の端に並ぶ。ブルートゥースイヤフォンをリンクさせると同時に、遠目に見える祭壇に、白いケープをなびかせた聖女が現れる。セバスに酷似した少年は、スーツを着て礼拝堂の端にいる。

 「元総司祭ムッシュ・レロワ・シュルツ・マルティネスは逝去しました。我が教団にとっては大きな損失であり……」

と、滑らかな日本語で言葉を連ねていくアリス。だが、三養基の死の感情を押し殺していることは、参列者では流雫と澪だけが気付いている。

 ……詩応との遣り取りを耳にしただけの時は、その地位を自慢しているように聞こえた。だが今は、その地位に苦しんでいるように思える。いや、最初からそうだった。自慢に聞こえたのは、僕たちが聖女に対して、あまりにも無知だったからだ。

 自分と同世代の少女が、1つの教団の象徴として崇められる。その重圧など想像もできない……。

 流雫がそう思っていると、信者全員がその場で唱え始めた。2人は見様見真似でそれに合わせる。

 鎮魂の祈りを捧げる聖女の声、その反響を切り裂いたのは罵声だった。

「悪には死を!」


 詩応のスマートフォンの通知が鳴った。ニュース速報だ。血相を変え

「アルス!!」

と叫んだボーイッシュな少女は、その端末を突き付けながら続ける。

「アリスの秘密がバレた!!」

その言葉に、プリィとセバスは石化したように硬直する。その隣でアルスは、先刻流雫から少しだけ聞いたことを思い出す。

 「まさか!」

「ルナとミオの読みが当たってた!!」

と詩応は焦燥感に満ちた表情で答える。

 ……警察への供述で、犯人は最初に語った。

「太陽騎士団の聖女はクローン。教団としては禁断の存在が頂点に君臨している」

「三養基を殺せば、クローン技術は衰退し、聖女のような忌まわしき存在は二度と生まれない」

「人間は人間の胎盤で産まれるべきだ」

それがメディアに知られた……。

 この4人で唯一銃を持っているのはアタシ。だからアタシなら2人を助けられる。そう思った詩応は

「アルス!アタシ教会に行く!2人を頼んだ!!」

と言いながら3人から目を逸らし、地面を蹴った。

「シノ!!」

とアルスが叫ぶが、雑踏に掻き消され届かなかった。眉間に皺を寄せつつ

「アリスの秘密がバレた」

とだけアリシアにメッセージを送ったブロンドヘアの少年は、目を曇らせ静かな混乱と戦う2人のフランス人に

「ソレイエドールは必ず、最善の結果をもたらす。お前の女神を信じろ」

としか言えなかった。


 聖女の左肩を覆う白いケープが、赤黒く染まっていく。

「アリス!!」

と叫んだセブが、後ろ向きに崩れるアリスに駆け寄る。

 何かが起きる、しかし唯一想像できなかった事態に、無意識に目を見開いた最後尾の高校生2人は、互いの顔を視界の端に映すと小さく頷く。

 「聖女がクローンだとは!!」

と叫んだ、ネイビーのスーツを着た男に、取り押さえようとした男たちは動きを止める。

「此奴はクローンだ!!専属医師の三養基が生成した!!」

その声に、別の男が反応する。

「聖女アデルを失脚させてのし上がった悪魔だ!!」

それが化学反応を引き起こしたかのように、どよめきと罵声が勃発する。アリスを助けようとする者はセブ以外にいない。

 「悪魔はお前たちじゃないか!!」

「単なる犯罪者じゃない!!」

そう張り上げた声に、参列者の一部は

「誰だ!!」

と顔を向ける。

 華奢な女子高生と、破壊の女神を連想させるオッドアイの男子高生。信者のようには見えない。

「お前もグルか!!」

そう言った男は銃を向ける。誰も止める気は無い。

「全てが敵……」

と呟いた流雫は銃を手にし、澪もそれに続く。

 「悪魔の味方か!?」

「……テネイベールの化身だから」

と戯けた流雫に、別の銃口も向く。

「何が化身だ!!」

と叫んだ男の銃が音を立てた。大口径の銃弾は礼拝堂の壁を抉る。

 「逃げろ!!」

と叫んだ誰かの声に我に返った信者は、一目散に扉へ向かって走る。それに逆らうように、澪がアリスの元に駆け寄り、顔を覗く。

「聖女!!」

「おい!」

と、セブが正体不明の少女を呼ぶが、澪は耳を傾けない。

 小さいながらも胸は動き、弱くも吐息を感じる。生きてはいるが、一刻も早く病院に搬送しなければ。

「暗殺未遂、渋谷大教会」

とだけメッセージを送った澪は、救急車を呼んだと大声で告げる声に少しだけ安堵の表情を浮かべる。

「ソレイエドールは、必ず聖女を助ける……」

とだけ、痛みからか目を開けないアリスに言った澪は、銃を持つ男に目を向ける。殺意すら湛えていそうな瞳に、セブは一瞬怯えた。

 ……私服の参列者もいたが、中でも最後列の2人組はセブの目に止まっていた。特に少年の方はシルバーヘアで、日本人らしくなく浮いていた。

 しかし、それと隣にいた少女が、聖女を撃った連中に立ち向かっている。

 ……あの2人は、一体何者だ……?


 アリスに背を向けて立ち上がった澪と、扉の近くに立つ流雫。その2人に挟まれる形の男は3人。揃って着ているネイビーのスーツは、太陽騎士団の制服のようなものだ。

 アリスがクローンだと知っていたから、撃った。敬虔な信者としての正義が暴走したのか。いや、そこまで高貴なものじゃない。そもそもどうやって、アリスの秘密を手に入れたのか。

 2人のスマートフォンがほぼ同時に鳴った。しかし、通知に目を通すことはできない。それでも、流雫の頭に浮かんだ時系列が、一つの線を象る。

「イヤな予感がする……」

と流雫が呟く。

「まさか……」

と澪が続き、そしてイヤフォンでリンクする2人の声が重なった。

「犯人が秘密を洩らした……」

 ……捜査は澪の父、常願が所属するエムレイドが担当していた。臨海署に拠点を置くテロ専従の捜査課のことだ。

 恐らく、常願や弥陀ヶ原が知らないところでメディアが流したのだろう。父はリークに関与していないと思いたい。だが、リークされたのは事実だ。

 「聖女を庇うならお前もだ!」

グル認定された澪に銃口が向いた。

「澪!!」

流雫が銃を構えるが、別の男2人が流雫に銃口を向ける。

 高校生2人は小口径、大人3人は大口径。その威力では完全に不利。しかも、流雫の残弾は1発だけだ。この慌ただしさで、銃弾を補充する暇が無かった。澪も残り4発。

 だが、流雫は勝機を掴んでいた。澪もそれに気付いている。

 テネイベールの化身と名乗った、生意気な少年を黙らせる……そう決めた2人はわざと1人分外して撃った。正当防衛成立……しかし流雫は反撃に転じない、それどころか1歩後退る。

「怖いのか?口だけか?」

その挑発に、更に1歩、1歩と下がる流雫。彼の位置からは、礼拝堂全体が見渡せる。それは澪も同じだ。そして、微かに頷く。

 武器の差だけでは一見不利に見えるが、澪以外誰も知らない。今の礼拝堂こそ、戦場としては流雫が最も得意な環境だと。

 半分だけ開いたままの扉に背中が触れる。……怖じ気付いたフリは終わりだ。

「イキってんじゃねえぞ、悪魔が!」

と男が叫んだ瞬間、

「流雫」

と呟いた澪の声を合図に、流雫は左足を後ろに突き出す。大きな音と同時に、扉の角に靴底が当たった。

 角を蹴飛ばされた扉は、音を立てて閉まる。片側だけだが、それで十分。外から援軍が来たとしても、外から直接撃たれるリスクは多少なり減るハズだ。

「何がしたい?」

男の問いと同時に、オッドアイの持ち主はノーハンドで、長椅子の背もたれの縁に跳び乗った。

 「何!?」

1人が慌てて照準を合わせようとするが、ウサギ跳びの要領で両足を揃え、高さを稼ぎながら縁伝いに跳んでいく流雫に定めることはできない。上下左右に動く標的ほど厄介なものは無い。そして、男はその動きに完全に飲まれている。

「落ち着け!」

もう1人が怒鳴るが、苛立ちは募る一方だ。

 2人が同時に引き金を引く。だが、合わせて10発の銃弾は標的に掠りもしない。

「くそ……!!」

男の怒りに満ちた声が響くだけだ。

 音だけで、背後の手下が手子摺っていることが判るリーダー格の男は、澪に向けて引き金を引く。祭壇の金属製の装飾が3回、鋭い音を立てて砕ける。それが反撃の合図……。

「っ!!」

肩丈のボブカットが僅かに揺れる。小さな銃声はリズミカルに2発。

「くっ!」

男の顔が歪み、股関節の上から手を押さえ付ける。だが、前屈みながら耐えている。

「正義が……屈すると思うか!!」

男は痛みと闘いながら叫ぶ。

 カップル2人の残弾は合わせて5発。1発も外すワケにはいかない。そして、セブと瀕死のアリスは丸腰。下手に動けば撃たれる。2人を護るためにも、澪はこの場所から動けない。

 流雫の撹乱で生まれた隙を突くしかない……。


 ……犯人の供述より早く、この連中はアリスの秘密を知っていた。だとすると、双方を裏で操る黒幕がいる。この連中はその支配下か……。

 昼間の犯人との関連性が、頭に浮かぶ流雫。それでも身体は、礼拝堂に機械的な放物線を描く。

「目障りな……!!」

爆発寸前の苛立ちは、その口調で判る。

 流雫は縁を踏んだ足を右に突き出し、身体を捻る。そして通路の真ん中に着地する……と同時に、正対する男の懐に向かって地面を蹴った。

「!?」

男の頭に疑問符が浮かんだ、その一瞬が明暗を分けた。

「たぁぁっ!!」

流雫は強く握った銃身を、ノーガードの腹部に叩き付ける。

「ぐほっ!!」

目を見開いた、やや大柄の身体は前屈みになる。そして流雫は、一旦離れながら銃が握られた手を蹴飛ばす。

「ぐぉっ!!」

男は、醜い声と同時に大口径の黒い銃を手放した。その脇にスライディングしながら拾い上げた生意気な少年は、銃を構えた2人目の男に向かって、そのまま投げ付けた。

「がっ!!」

銃は額を捉え、その場に落下して小さく跳ねる。男は思わず額を押さえたが、粘着質の触感が掌を支配する。

 手を赤黒く染める痩せ型の男は、額から血を流している事実に、震えながら殺意を露わにした。

「悪魔……殺す!!」

痛みと怒りに叫ぶが、既に標的は足下で銃口を足に向けている。至近距離、外れるワケがない。

 男の顔に僅かに絶望が滲んだ瞬間、流雫は引き金を引いた。火薬が爆ぜる小さな音が、礼拝堂に反響する。

「ああああっ……!!」

太い声を絞り出す男の顔を、オッドアイの瞳で睨み続ける流雫。

 自分でも無慈悲なのは判っている。だが、生き延びるならこうするしか無い。

「悪魔……くそ……」

男はそう言い残し、膝を床に打ち付ける。苦し紛れに引き金を引いたが、流雫の隣の長椅子に銃弾を刺すだけだった。やがて倒れる男、その寸前に後退りして下敷きを免れた流雫は、身体を捻りながら立ち上がる。

 今のが最後の銃弾だった。正当防衛だとしても、犯人の銃を使ってはいけない。それならば、流雫の戦略は一つだけ。


 破壊の女神テネイベール、その化身だとオッドアイの少年は言い放った。しかし、強ち間違っていない……リーダー格の男は、足の痛みと戦いながらそう思った。

 目の前の少女から目を離すワケにはいかないが、背後の音だけで部下が苦戦しているのが判る。否、最早様相はワンサイドゲーム。こうなるハズではなかった。

 「何をやってる……!!」

背後の2人に目を向けないまま、男が怒鳴る。しかし虚しく響くだけだ。怒りに任せて銃を撃つが、澪の足下で跳ねるだけだった。

「あたしが居合わせたのが、誤算だったわね!」

と声を張り上げた澪の銃は火薬を燃やし、小さくも規則的な2発の銃声が、少女の鼓膜を揺らす。

 「ぐぅっ……!」

男は新たな激痛に顔を歪ませ、遂にその場に崩れる。殺意に満ちた目で睨むが、少女に抗うだけの体力は残されていない。

 ……2体の青い悪魔さえ、いなければ……。男は太腿の痛みに意識を奪われながら、最大の誤算を嘆いた。

 ……残るは1人。そう思った刑事の娘は、遠目に半分だけ開いた扉が閉まるのが見えた。その音に流雫も、犯人の動きに気を向けつつも怪訝な表情を浮かべる。

 突如、礼拝堂にけたたましい電子音が響く。

 ……二酸化炭素消火開始。その自動音声は処刑宣告のように聞こえる。

「な!?」

「流雫!?」

2人の高校生は目を見開く。次の瞬間、澪はアリスとセブに近寄り、英語で

「逃げて!あたしも助けるわ!」

と言い、聖女の背を手で支える。

 流雫は扉へ走る。だが、外から自動ロックが掛かった扉が動く様子は無い。

 「犯人ごと……聖女を殺す気だ……!」

流雫は言った。

 礼拝堂の消火設備は、二酸化炭素を放出するスプリンクラー。密閉された部屋に放出して酸素を遮断、火元を窒息させて消火する方式だ。

 主に水を使用できない場所で有効的だが、まさかこの用途で……。

「流雫!!」

澪は叫び、銃を恋人に投げる。流雫は走って銃を手にする。

「澪!?」

「撃って!!」

澪の声が、イヤフォン越しとダイレクト、双方から同時に伝わる。

「撃たないと死ぬわ!!」

 ……生き死にの瀬戸際、他人の銃など言っている場合じゃない。2発だけしか無いが、文字通り風穴を開けることができれば。

 流雫と澪の銃、違いは色と側面の小さなロゴだけ。自分のものであることを記したものだ。流雫はLunaを丸文字で、澪はMioの最後をハートで遇ったもの。使い勝手は変わらない。

 扉の前へと踵を返し、ロックに向ける流雫。……壊れろ、そう願って引き金を引く。

 最後の2発は綺麗に命中したが、破壊するには至らない。そして、スライドが動かなくなる。

「ダメだ……」

流雫は唇を噛む。澪は

「犯人の銃もダメ……」

と無情な一言を突き付けた。

「使い切ってる……」

 敵は3人、銃弾は合わせて18発。合法に持てる銃は6発しか装填できず、弾倉にはホログラムの封印が貼られてある。それこそが、合法を保証する印。それは全員の銃に貼られている。違法に銃弾を持っていることは有り得ない。

 そして、アリスが撃たれた瞬間から数えて、聞こえた銃声は18。つまりこの部屋に、銃弾は残っていない。

 ……助けを求めないと。そう思いながら互いのリンクを解除する2人。その瞬間、澪のスマートフォンが鳴る。

「澪!!」

その声に、

「詩応さん!?」

「教会に向かってる!」

その声に澪は、最後の希望を見た。

 「礼拝堂……閉じ込められた……!」

その声に、鼓動が大きくなるのを感じながら、

「もう着く!待ってな!!」

とだけ返した詩応は、通話を切る。

 ……詩応がやって来る。助かる。そう確信した澪の視界は、唯一撃たれていない男を捉えた。流雫に近付く光景が映る。


 少しずつ息苦しさを感じる流雫は、先に仕留めればよかったと、自分のミスに苛立っていた。銃を投げ付けた時点で、2人目の男は頭を怪我していたのだから、銃を撃てなくてもどうにかできたハズだ。

 僅かながら感覚が曖昧になる。脳に酸素が回っていない。一度で仕留めなければ。

 再度長椅子に跳び乗った流雫は、一気に方向を変えて通路に飛び下りる。男は、生意気な少年を捕まえようと身体を伸ばした。しかし、着地と同時に前のめりになり、

「ほっ!」

と声を上げながら突いた両手を軸にすると、同時に両足を後ろに突き出した。カンガルーキックの応用だ。

「くっ!!」

男はガードが間に合わず、足の裏全体が下腹部に突き刺さる。

「ぶぼっ……!!」

男は前屈みになり、腹部を押さえながら倒れる。

「はぁ……っ……」

四つん這いになる流雫は、朦朧とし始めた意識で、最愛の少女に近寄ろうとする。

 澪だけは……助け……。


 澪は、セブと彼に抱き抱えられたアリスが心配だった。弱い吐息が何より気になる。

 「聖女……!」

澪は咄嗟に、半開きのアリスの唇に唇を重ねた。僅かだとしても、強制的に酸素を肺に入れられれば少しは違うハズ……。

「っはぁっ……」

息苦しくなり、唇を離した澪は頬を紅潮させる。

「お、おい……」

セブには目を向けず、澪はもう一度試みる。

「助かるわ……!」

と言った澪の、濡れる瞳には焦燥感が漂っている。しかし、彼女は諦めない。

 ……アリスは聖女。ソレイエドールは必ず彼女を助ける。助けないワケがない。

 しかし、澪の意識も朦朧としてくる。霞んでくる視界が捉えたのは、力尽きる瞬間の恋人だった。


 「る……な……!?」

そう口にした澪の頬が濡れ、絶望と焦燥感が少女を支配する。

 やだ……!

「流雫……!」

最愛の少年の名を呼びながら近付く澪。その身体を抱え、唇を重ねる。この身体に残る全ての酸素を送りたい。

「……っ……!」

今人工呼吸しても、何の役にも立たないことぐらい判っている。しかし、何が何でも流雫を救いたい。その唇と絡めた指に残るほのかな熱に、一縷の希望を託して。


 大教会の前は騒然としていた。聖女が撃たれたことへの戦慄、その聖女がクローンだったことへの怒りが交錯している。

「退け!!」

と叫びながら、群衆を押し退ける詩応は、銃を取り出しながら教会に入って行く。

 礼拝堂の扉はロックが掛かっている。制御装置は見当たらない。内側は流雫が撃ったがダメだった。

「……待ってろ……澪……流雫……」

焦燥感を露わにする詩応は、扉のロックに向け、震える腕を押さえながら引き金を引く。6発の中口径の銃弾は半分だけロックを破壊したが、後は指を入れれば回せる。

「くっ!!」

詩応は指を入れ、左に回す。小さな金属音が鳴った。

「ぐっ……っ!!」

扉を開けた詩応は、静まり返った礼拝堂の真ん中に倒れる2人に目が止まる。流雫を抱えたまま倒れる澪。

「澪……!!流雫……!!」

2人の頬を叩く詩応、しかし反応は無い。その奥には、聖女とセブもいる。しかし、2人の容体を気にすることはできない。それほど、追い詰められている。

 背後から救急隊員が駆け付けた。担架に乗せられる高校生2人に目を向ける詩応は、同行者として救急車に乗る。

「澪……流雫……」

と名を呼ぶだけだ。そして先刻連絡先を交換したばかりのアルスと通話を始める。

「ミオとルナが病院に運ばれる」

「は!?何が有った!?」

「アタシも知らない。ただ、礼拝堂に閉じ込められたと」

と言った後で、詩応は隊員から告げられた病院を合流場所に指定し、通話を切る。

 ……2人は何を見たのか。まさか、聖女アリスが狙われたのか。そして、助けようとしたのか。

「……女神よ……2人を救い給え……」

と詩応は呟く。ルージェエールとソレイエドール、双方の守護を受けているのだから、死ぬワケがない。そうであってほしい。

 平静を装う詩応は目を閉じる。しかし、床に落ちて砕ける小さな雫を止めることはできなかった。


 「ミオとルナが病院に運ばれる」

その一言にアルスは、驚きと苛立ちを隠さない。通話が切れた後で、アルスは詩応が告げた病院に行くよう指示する。

「お前は?」

とセバスに問われたアルスは、

「教会に行く。後で駆け付ける」

とだけ答え、地面を蹴った。

 ……何が起きたか、想像に難くない。流雫と澪が気になるが、紅き戦女神の守護によって、必ず生き延びると信じている。

 2人のことは詩応に任せる。今は教会で何が起きているのか、探るだけだ。

 全力で走ったアルスは、教会の前の騒ぎに苛立ちながら、英語で

「退け!!」

と叫びながら、先刻の詩応よろしく強引に押し退けて中に入る。

 ……複数の血痕が、礼拝堂の床を汚している。祭壇のすぐ近くにも点在している。

「まさか……」

とアルスが呟く、その後ろから

「何が起きた!?」

と大きな声が響いた。弥陀ヶ原だ。何度も聞いたから、その日本語だけは覚えた。アルスは振り向きながら

 「ルナとミオが病院に運ばれた、とは聞いている」

と英語で答え、近寄った。

「洩れた供述より前に、アリスの秘密を知っていた奴がいる。狙ったのは、恐らくそのグルだ」

「目的は?」

「総司祭の失脚。そのためにアリスを亡き者にしようとしたんだろう」

とアルスは答える。

「だが、シノから聞いた。ミオが礼拝堂に閉じ込められたと。犯人の口封じも兼ねて、ルナごと一網打尽にする気だったんだろう……」

と言ったアルスの目には、怒りが漂っている。

 「……犯人への報復で殺しても、無罪にならないのか?」

と言った少年の目に、生意気な少年の面影は無い。流雫と澪を殺されかけて、黙っていられるワケが無い。

 冗談っぽさが微塵も無い言葉に、弥陀ヶ原は

「言いたいことは判るがな」

とだけ答える。

 アルスは

「……俺は病院に行く。ルナとミオが気になる」

とだけ言い残し、何時しか張られた規制線の外へ出た。

 教会前にいる連中は、相変わらず騒がしい。しかし、礼拝堂で発砲事件が起きたことに対する怒りより、聖女がクローンだったことに対する怒りが、圧倒的に強い。日本語で捲し立てる罵声の意味は判らないが、時系列で容易に想像がつく。

 ……日本は、悪者を社会的に再起不能になるまで叩くと云う風潮が有る。罪人だから当然の報い、そのロジックで武装した自称正義の味方が排除するのだ。謂わば集団私刑。ただ、アリスは教団にとって禁断の存在と云うだけで、何か犯罪を起こしたワケではない。

 ……腐ってやがる。アルスはそう思いながら、地面を蹴ると同時にスマートフォンを耳に当てた。


 「はい!?」

と声を上げた少女はアイスティーをテーブルに置くと、PCの画面を見ながら

「フランスでも速報が出てるわ……」

と小さめの声で言う。

 怖れていたことが起きた。恐らく先刻見た教会の騒ぎは、これから大きくなるだろう。そして当然、ダンケルクも対応に追われるハズだ。

 ……ダンケルクと言えば。赤毛の少女は、思い出したかのように言った。

「……一つ、気になる名前が有るの。ルートヴィヒ・ヴァイスヴォルフ」

「……ドイツ人か?」

とアルスは問う。個人的に、ドイツ人は何となく苦手だ。

 「そう。現地だとバロン・フォン・ヴァイスヴォルフと呼ばれてる。ドイツ側の教会にいた後、マルティネス家に移ってる。でも、不思議なことが有って」

「何だよ?」

「フランスに移ったのを機に、名前を変えてる。エルンスト・ギョームに」

「対外的に偽名を使ってるのか?」

「ただ、偽名よりも厄介なことが有るの」

とアリシアは言い、アイスティーを啜って続けた。

 「マルティネス家失脚の後、メスィドール家に仕えてる。つまり、今でもダンケルクにいるのよ」 

「ダンケルクにいる……?」

「そう。マルティネス家を離れたの。今の立場は知らないけど」

 アリシアの言葉は、アルスに新たな謎を呼び起こす。

 ドイツをルーツとするなら、東部教会サイドにいた方がメリットは大きいハズだ。無論、総本部にいるメリットを選んだからだと云うのも判る。ただ、それだけの理由ではないハズだ。

「……総司祭一家に仕えるメリットは何だ……?」

とアルスは呟く。その声を拾った赤毛の恋人は答えた。

「教団の中枢に近い場所にいられる」

 その答えは、アルスも最初から想像していた。そして、それが大凡正しいことを確信した。

「裏で牛耳る気か?」

「ヴァイスヴォルフ家は処世術に長けた一家だから、十分有り得るわね」

とアリシアは言った。その瞬間、アルスは自分の言葉に疑問を感じた。

 ……裏で牛耳る?メスィドール家を?何のために?自分の利益のためにか?

「待てよ……」

「どうしたの?」

「……後で連絡する」

と言って通話を切ったアルスの脳は、バックグラウンドで一つの可能性を組み始めていた。


 救急病院の待合室は、何処か慌ただしい。その端で俯いたままの3人は、処置室にいる4人が気懸かりだった。

「容体はどうだ?」

と問いながら近付くアルスに、最初に顔を上げたのは詩応だった。

「未だ誰も出てきていない……」

と答えると同時に、処置室のドアが開いた。その奥から出てきたブロンドヘアの男は

「……お前ら……」

と声を上げる。

 「セブ!!」

プリィはベンチから立ち上がり、愛しい弟に駆け寄る。

「プリィ……俺は無事だ……」

と言ったセブは、セバスに顔を向け

「無事そうだな」

と答える。

 その光景にアルスは安堵しながらも、しかし出てこない3人が気懸かりだった。

「……アリスはICUだ。肩を撃たれてる」

セブのフランス語に、プリィとセバスは目を見開く。その後ろでアルスは

「やはりな……」

と呟いた。祭壇前の血痕はやはりアリスのものか。

 妙に冷静なアルスに、詩応は些か不気味ささえ感じる。しかし、それは先刻浮かんだ可能性に意識を向けていたからだった。


 ヴァイスヴォルフ自身の利益のために、メスィドール家を牛耳る。

 セバスが、セブの代わりに渡日すると云うのも、総司祭から伝えられていたとすれば。フリュクティドール家に渡されたネックレスのトラッカーも、ヴァイスヴォルフが準備したとするなら。トラッカー情報を共有して追跡できる、だから何度もピンポイントで狙うことができた。

 そして、自身も日本に同行するとして総司祭を説得すれば、アリスを直接監視できる。聖女とそのオリジナルを同時に監視し、最大の秘密を手に入れる。

 目的は、その秘密で脅迫した末の巨額の現金か、次期総司祭の座か。現総司祭が指名すれば、聖女は変わらず総司祭だけ交代することが可能だからだ。

 しかし、それほど簡単な話だとは思わない。想定外の真実を突きつけるのが現実だからだ。

 アルスは溜め息をつき、無意識に呟いた。

「……鍵を握るのは……奴か……」


 アルスとの通話を終えたアリシアは、スマートフォンを机に置き、ランチを口にする。

「恋人から?」

と問うたのは雇い主だった。ブロンドヘアを三つ編みにした淑女に

「ええ。日本、何か色々大変なようで」

と言った少女に、淑女は

「でも、心配無いわよ。私のルナが一緒だもの」

と言った。

 流雫の実家が、アリシアのバイト先。オッドアイの持ち主が紹介して、アスタナがその場で採用を決めたのだ。

 小さなオフィスの一角でPCに向かうアリシアの働きぶりは、夫妻揃って評価している。

「離れていても、我が子を常に想うのが親の愛と云うものよ。それが無いようじゃ、私はルナの母を名乗ってはいけないと思うの」

と言ったアスタナを見ながら、微笑むアリシア。

 ……あの芯の強さは、この親の遺伝。納得だわ。そう思ったアリシアの脳は、しかし淑女の言葉をリフレインさせ始めた。

 ……母性的な愛を知らず、ただ教団や一家にとっての道具として扱われてきた存在。それはアリスだけじゃない。

 アリシアはサンドイッチを咥えたまま、キーボードを叩く。アドレスバーには、こう文字列が並んでいた。

 マルガレーテ・ヴァイスヴォルフ。

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