マンドラゴラ。
ふちが波打ったたまご型シルエットの葉っぱの、かわいらしい植物。
その正体は、土に隠れた寸胴な根っこの部分に、短い手と足と悲壮感ただよう顔をもつモンスター。
大昔から、マンドラゴラを引っこ抜いた瞬間に、この世の終わりが訪れると言い伝えられてきた──
「ヒギッ、ギョエ……」
「うるさい。さわぐな」
バチィンッ!
ふかふかの土から引っこ抜かれた植物型モンスターが、断末魔を響かせることなく、稲妻の直撃を受けてしまう。
「……キュウ……」
いい感じに電撃で焦がされ、ぺしゃりと顔面から地面に撃沈するマンドラゴラ。あっという間のことだった。
「まさかの雷魔法……!?」
この世界で、魔法の基本属性は火、風、土、雷、水の5つ。
相性としては、火は風に強く、風は土に強く、土は雷に強く、雷は水に強く、水は火に強くなる。
マンドラゴラは土属性の初心者向けモンスターなので、初級の風魔法で倒すのが一般的。与えるダメージは等倍ながら、火魔法で倒すのが薬術師的な討伐法なんだけど。
「よし、これでリオの耳を守ることができた」
「お、おぉ……!」
杖要らず、魔力おばけのノアくんが、詠唱をぶっ飛ばしてマンドラゴラもぶっ飛ばした。
(いやいやいや……相性不利の雷魔法で一撃って、どんだけ威力高いのよ!)
引っこ抜かれたマンドラゴラの絶叫にびっくりして、大体の人は気絶、運が悪かったら死んじゃうって言われてるくらいだけど……
わたしの鼓膜は、最後まで傷ひとつなく守られたのであった。
「で、こいつら持って帰るんだっけ?」
「へっ、あ、そうそう! マンドラゴラの根っこは、エーテルの材料になるからね!」
「俺が運ぶ」
ノアはそう言って、なすび畑の脇に用意していた麻袋に、ひょいひょいとマンドラゴラを放り込んでいく。
マンドラゴラ33体。推定重量、約50キログラム。
涼しい顔でパンパンの麻袋をかついださまが、プレゼント袋を背負ったサンタさんみたいだなぁなんてトンチンカンなことを考えて、ノアの付き添いクエストは終わりを告げた。
* * *
クエスト完了報告へ向かったノアを待つこと、1時間半。
冒険者ギルドの中庭で、マンドラゴラの処理をしてすごしていた。
マンドラゴラは、まず念入りに高温で熱処理をしないといけない。
でもノアの(初級なのに)高火力雷魔法で充分焦がされていたこともあって、熱処理工程はとばすことにした。
あとは甘皮を剥いで鍋で煮詰めたり、炙られて水分の飛んだパリパリの葉っぱを
じぶんで使う分だけ確保して、余りをポーションやエーテルをあつかうギルド内の魔法薬店で買い取ってもらった。
「……ごめんリオ、待ったよね」
「全然! こっちも終わったよ。今夜は食事つきのお宿に泊まれそう~」
でも、臨時収入があってホクホクなわたしとは正反対に、戻ってきたノアは、どこか浮かない表情だった。
「あれ……ノア、どうかした? 報酬の受け取りで、なにかあった?」
マンドラゴラ退治の報酬は、5千ゴールド。
今回のクエスト受注者はノア名義にしてあるから、5千ゴールドの倍、1万ゴールドが手に入ることになる計算だ。
月に15万ゴールド稼げは生活していけるから、初クエストでこの報酬金額は、自信をもっていいと思うんだけど……
「報酬はちゃんともらった。問題ない。でも……」
「でも?」
「……気持ち悪くて」
「わぁっ、大丈夫!? マンドラゴラの魔力にあてられちゃったかな!」
『
薬術師がマンドラゴラを倒すとき、火魔法を使う理由は、これね。
でもこのときに発生する『酸っぱいにおい』で、気分が悪くなる人も少なくないんだよね。
無水酢酸をあつかってるみたいな感じだ。強烈なお酢のにおい。わたしは平気だけど、ノアには合わなかったのかもしれない。
でも、そうじゃないことに、遅れて気づいた。
だってノアは、マンドラゴラがどっさり入った『プレゼント袋』を担いで、ここまで3キロの距離を、涼しい顔で歩いてきたから。
「ねぇ、あの子じゃない?」
「『適性検査』で、測定器を粉々にしたっていう?」
「やだ、可愛い顔したぼうやじゃないの。うちのパーティー、ゴリゴリの野郎ばっかでうんざりしてたし、ちょっと口説いてこようかしら」
ヒソヒソ……と、ささやき声がもれ聞こえる。
ギルドを訪れていた冒険者。それも、若い女性たちの好奇の目が、ノアに集中していた。
ノアはわたしと向かい合ってるけど、サファイアの視線は、わたしの足もとに落とされている。
じっと耐えるような沈黙。強張った肩。こめかみにうっすらと冷や汗をにじませた表情の奥には、じりじりと燻る嫌悪感がかいま見える。
「こっちおいで、ノア」
意識して声を和らげると、ハッとしたようにノアが顔を上げる。
にっこりと笑って手まねきをすれば、ぐ、と唇を噛んだノアが一歩、大股で距離を詰めた。
そんなノアを、いままで着ていた一張羅、黒のローブをばさっとひろげて包み込む。フードもまぶかにかぶらせた。
わたしより数センチ背が高いくらいの華奢なノアだから、ゆったりサイズのローブがちょうどよかった。
「見たくないものは見なくていいし、聞きたくないことは聞かなくていいよ」
ノアへ関心を寄せる彼女たちに、悪気はないだろう。
でも、女性に身体を売ることを強制される娼館で、生傷だらけになるくらい折檻を受けていたノアが、女性に恐怖や嫌悪感を示すのは当たり前のことで。
よくよく考えてみれば、ノアがわたしに気を許してくれてるのは、奇跡みたいなことなんだよね。
「ノアは自由になったんだから、楽しいことを考えて、好きなようにしてね」
「リオ…………う、ん…………うんっ……」
声をふるわせたノアが、ぎゅうっと抱きついてくる。
「……リオなら、いい……リオが、いい……もう、リオしか、いらない……っ」
声を押し殺してすすり泣くノアの丸まった背を、なでさする。
そのうちに、急に泣き出したノアにびっくりしたのか、さすがに空気を読んだのか。
詳しいことはよくわからないけど、いつの間にか人だかりがなくなっていた。
あとには滞りのなく闊歩する冒険者たちのブーツの音が、小気味よく響くだけだった。
* * *
「部屋は、リオとおなじがいい……」
うるうるとそんなおねだりをされて、今夜のお宿は決定した。昨日よりグレードの上がった豪華な食事つきの、広々としたツインのお部屋だ。
年ごろの男の子だし……とはじめこそ遠慮したけど、ノアは独りで眠ることを怖がってるみたいだった。
昨日はわたしの看病をしてくれていたし、寝不足だろう。
ノアが寝入るまで頭をなでてあげて、夜が更けたころに、じぶんのベッドへ入った。
「──んっ……はぁ……」
なんだか、息苦しい。
なんだろう……? 起きようとするけど、鉛みたいにまぶたが重くて、持ち上がらない。
「……リオ、リオ……っ」
仰向けのわたしにのしかかった『影』がゆらめく気配を、まぶたの裏で感じる。
「リオのくちびる……やわらかくて、あまくて、おいしい……ずっと、食べてたい……んっ」
蕩けきった吐息のあとに、ちゅ、ちゅ……と、何度も唇をくすぐられる。
真っ暗闇に突き落とされたおぼろげな意識の中で、ようやく重いまぶたを持ち上げた。
そうして、見上げた先には。
「おれの……リオはぜんぶ、俺のもの……っ!」
闇夜に妖しく輝く、サファイアの瞳。
コウモリが翼を広げたようなかたちをした『影』が、わたしに馬乗りになっている。
霞んだ視界で、ぼんやりと、それだけは目にした気がした。