午前中はFランクのモンスター討伐クエストで、ノアの魔法のレッスン。午後はポーション作り。
それが毎日のルーティンになって、早くも10日がたった。
「50本か。たくさん作ったなぁ。そろそろ買い取りしてもらいに行かないと……ふわぁ」
宿の客室にある簡易的なキッチンで、一晩寝かせたポーションの瓶詰めとラベリングをしながら、あくびが止まらない。
魔力をごっそり持ってかれるので、1日の最後にポーションへ仕上げの治癒魔法をかけ、そのまま寝落ちする流れで、うまいことやってきたつもりだ。
でも最近、やけに眠いんだよね。油断してたら日中もウトウトしちゃうし。ハッ、わたし、夜中に呼吸止まってたりしない!?
「なぁんて、あはは。眠いだけで具合が悪いところはないし、眠りが浅いだけかな? なんか毎日夢を見てる気がするけど……思い出せぬ、うぅむ……」
とかなんとかひとりごとを言っているうちに、ふわぁあ……とまたあくびが。
「いかん、めっちゃ眠い、たるんどるぞ……起きんか、リオ!」
ばちんっ!
ビンタした両ほほが、じん……と熱を持つ。我ながら痛い。
「もっかい顔洗ってくるかぁ…………うわぁっと!?」
バスルームへ向かおうとすると、ドアノブに手を伸ばしたところで、ものすごい勢いで内開きのドアがあけられた。
飛びのくわたし。危機一髪だった。
ちなみに犯人といえば、おなじ部屋に宿泊してる子はひとりしかいない。
「ビビッた! 朝っぱらからめちゃくちゃビビらせるじゃんかよ、ノアくんよう……!」
ドアを開け放った姿勢で沈黙していたノア。
そのサファイアの瞳が、すっかり腰を抜かして床にへたり込んだビビリを映した。
「今朝もおねぼうさんでしたね。おはよ……へっ?」
それからは、一瞬のことで。
気づいたら、ぎゅうううっと苦しいくらいにハグされていた。
「……どこか、行っちゃったかと……」
「キッチンには来ましたが……?」
「起きたらいないんだもん! 俺の知らないとこに、行っちゃったのかと……捨てられたのかと、思って、俺っ……」
ノアは朝に弱い。起こすのも悪いからって、先に起き出して身支度をすませるのは、なにも今日に始まったことじゃないんだけど。
「ねぇノア、嫌な夢でも見た?」
小刻みにふるえる肩に手を起き、そっと視線を合わせてみる。
サファイアの瞳から、ボロボロと大粒の雫がこぼれ出した。
「……ううん。うれしい、夢。しあわせすぎて……怖くなって」
ノアがこうして泣き出すのは、はじめてじゃない。
この宿をとったはじめのころ、夜中にちょっとのどが渇いてベッドを抜け出しただけで、いかないで、すてないでって、泣きじゃくられたほどだ。
ささいなことで不安でたまらなくなるくらい、深い傷を、こころに刻まれてるんだと思う。
これまでノアがどうやって生きてきたか、過去になにがあったのか、わたしは知らない。
無遠慮に踏み込むべき領域じゃないから、ノアが話してくれるまで待つ。
「うれしいことなら、よかったね。怖がらなくていいんだよ」
腕を回して、背をさすっているうちに、落ち着いてきたのかな。
「……うん……でも、夢より、こっちのほうがいい……あったかくて、リオのにおいがする……」
わたしの首すじに顔をうずめたノアが、すぅ……と息を吸い込んで、ホッとしたようにまぶたを下ろした。
よかった。肩のふるえもおさまったみたい。
「ごめん……いきなり、泣きついたりして。情緒不安定すぎるよね」
「こーら。謝ったりしないの。悪いことなんかしてないんだから」
「……ん」
すこしからだを離して、ばつが悪そうに視線を伏せていたノアも、手足の強ばりを完全にほどいて、こくりとうなずいた。
「ね……リオは、俺のこと、嫌いにならない?」
「ならないよ。ノアを置いてどこかに行ったりもしない」
「そう……そっか」
噛みしめるようにつぶやいたノアが、くしゃっと笑って、まぶしそうな笑顔をわたしに向けてくる。
「……寝汗かいちゃったから、着替えてくる」
気恥ずかしそうなその表情のほうがまぶしいんですけど、なんて憎たらしいことを思ったのは、内緒ね。
──そんな鈍感なわたしが、ノアが不安がっていた理由を思い知ることになるのは、そのすぐ後のお話。
* * *
「きゃーっ! 雨だ! 走れ走れーっ!」
悲鳴を上げながら、灰色の空の下を爆走する。
冒険者ギルドでポーション50本と引き換えに1万ゴールドを手に入れて、今日のランチは奮発してステーキでも食べようかと思ってた矢先にだよ。
「うぅ……まさかすぎる……雑巾か、雑巾コントができるぞ……」
ひぃひぃ言いながら避難した路地裏の軒下で、しくしく泣きながらワンピースの裾を絞る。
「降りはじめたと思ったら、あっという間だったな……」
ノアも並んで壁にもたれて、ため息をついた。
人目が気になるノアに、おさがりで黒ローブをあげたんだけど、フードを脱いで濡れた前髪を掻き上げる仕草が、なんともサマになっている。
これぞ、水もしたたるいいイケメン。
おなじ人間のはずなのに、わたしとはえらい違いだ。なんかちょっとくやしい。
「ちょいと。そこのお嬢さんや」
「はい?」
まったく予想外の方向から呼ばれたのは、そんなときだ。
よくよく目をこらせば、薄暗い路地裏の奥でパラソルをさし、広げた絨毯の上に座り込んだ、いかにも『魔女』っていでたちのおばあちゃんがいた。
「おまえさん、ツイてるよ。アタシみたいな凄腕占い師のお目にかかれたんだからね」
「それは、光栄です……?」
「雨宿りの暇つぶしがてら、占ってやろうじゃないか。たったの2,000ゴールドぽっちだよ」
「胡散くさいな……ただのぼったくりじゃないか?」
「しっ……! 思ってても声に出さないの!」
あからさまに怪訝な顔をするノアのお口をチャックする。
大丈夫。わたしもそういう危機察知能力はちゃんとしてるから。壺とか買わされそうになったら丁重にお断り申し上げるから。
「おや、信じてないのかい? いいさ、そんなら、そっちのぼうやはタダで見てあげようじゃないかね。はっ……きぇぇいッ!」
おひざにのせた水晶玉へ両手をかざし、くわっ! と目をかっ開くおばあちゃん。
「むむ……んむむぅ……みえる、視えるよ……ぼうや、女を心底嫌ってるね」
「……だったらなんだよ」
「興味深い、興味深いねぇ……女嫌いのぼうやが、なんでまたこっちのお嬢さんにどっぷりと入れ込んでるのか」
「あの、おばあちゃん、もういいですから」
これはまずいな、と直感した。
お代をわたしたら、満足してもらえるだろう。
でも、ふところに手を入れたときには、もう遅くて。
「あぁ、そうか……そうなのかい。ぼうや──おまえさん、
「……ッ!」
「え……?」
「必死に人間のフリをしてるみたいだけど……翼が、黒い翼が視えるよ……人を惑わす、悪魔のたぐいだね。ふむ……それも、はぐれ悪魔か……」
「うるさい……黙れ黙れ黙れッ!」
「ノアっ!?」
ガッと壁を殴りつけたノアが、雨空のもとへ飛び出していく。
「ノアっ……待ってノア、ねぇっ!」
お世辞にも運動神経がいいとはいえないわたしの足じゃ、男の子のノアには追いつけない。距離はひらくばかりだ。
だけど遠ざかる背を完全に見失ったら、取り返しのつかないことになる。
そんな気がしてならなくて、もう夢中だった。
「風よ、わたしの背を押して──『エリアル』」
これは、わたしが唯一使える中級風魔法。
身体能力を一時的に高める、補助魔法だ。
ヒュオウッ……
吹き抜けた風に後押しされ、
たちまちに縮む距離。
「……つかまえたっ!」
ぱしりと、伸ばした右手は、届いた。
サァ──……
霧雨に打たれながら、しばらく立ちつくす。
もやがかかった世界には、わたしたちしかいないみたいな感覚になった。
「…………リ、オ」
「かえろう」
か細くふるえる声をさえぎる。
なにも言わなくていいから。
「帰ろう、ノア」