──インキュバスは少食です。
──私たちとおなじ食事を摂ることもできますが、基本的には人間の精気を主食としているためです。
──精気とは、気力、または精神や魂とも。
──第二次性徴期がはじまり、人間の夢に入り込んで精気を食べることをおぼえたインキュバスは、肉体的に急成長するケースが多くみられます。
ライブラリーで読んだ文献に、そんなことも書いてあったっけ。
わたしより数センチ高いくらい、ちょっと背の高めな女の子くらいの身長だったノアが、いまでは見上げるくらいに。声も、より落ち着いたトーンになった。
黙っていればクールビューティーなお顔の美しさは変わらないままに、少年と青年のはざまにいる美男子の破壊力は、すさまじいものだった。
「ほら、こっちおいで! それちょうだい!」
「やだ!」
黒いてるてる坊主になって、部屋の隅で駄々をこねる『こどもっぽさ』は、相変わらずだったけどね。
「サイズ合わなくなったでしょ? 新しいローブ買わなきゃ!」
「これがいい! リオのにおいがするもん!」
とまぁこのように、わたしのおさがりの黒ローブをからだに巻きつけて、離そうとしません。肩まわりとか、窮屈になってるはずなんだけどな。
「よーし、じゃあこうしよう!」
しばらくの攻防戦の末、わたしはついに、切り札を投入する!
「捨てないから、貸してくれない? そのローブがノアに似合うように、わたしが変身させてあげる!」
「え? 変身?」
年季の入ったマジックバッグから取り出すのは、
伊達に、極貧生活送ってきてないんだからね!
* * *
手ごろな型紙をもとに生地を裁断して、ファスナーとポケットをつけたら、各パーツを縫い合わせる。
あとはバックルにベルトを通せば、あら不思議。ローブがウエストポーチに大変身!
外はシンプルに黒一色。内布はマチをつくった青い生地を縫いつけている。
そこに『空間圧縮』と『重量軽減』の魔法式が組み込まれた
リュックを背負った上からローブを着るのは、不格好だからね。ウエストポーチなら、そんなにシルエットも目立たないと思う。
「じゃじゃーん、余った布でちびノアくんも作りましたよ!」
頭でっかちな黒だるまに、ちっちゃいコウモリの羽根。
ウサギみたいなひし形の耳と、内布とおなじ青い生地で作ったくるみボタンのおめめも、ふたつ。
中に綿をつめて、ふっくらした手乗りマスコットを、ベルトの金具部分に提げてみた。
「これ俺なの? なんかシュール」
ちびノアくんを指先でつっついて、ぷはっと吹き出すノア。
「リオが俺のために作ってくれて……すごく、すごくうれしい、ありがとうっ!」
「わぁっとぉ!?」
感極まったノアにがばっと抱きつかれたら、受けとめきれずによろめいてしまう。
純粋で、寂しがりで、甘えたがりなところは変わらないのにねぇ。
「大きくなったねぇ……ノア」
ちょっとずつ、いろんなことが変わっていく。
ノアは器用で頭もいいから、すぐにわたしを超える魔術師になって活躍するだろう。
ふと、疑問に思う。
そのときも、ノアは変わらず、わたしの前で笑ってくれてるのかなって。
(わたしのことが好きだって言ってくれるけど、こどものときにやさしくしてくれた近所のお姉さんに、あこがれてるみたいな感覚だったら?)
恋に恋をしているのかもしれない。
かん違いは、しちゃだめだよね。
だったら、必要以上のスキンシップはひかえるべきだって突き放さなきゃいけない。
なのに、屈託のない笑顔で抱きつかれたら、つい抱きしめ返してしまう。
……わたしたちの関係って、なんなんだろう?
この関係を終わらせることも、名前をつけてしまうこともこわい、臆病なわたしが、ここにいる。
「ねぇリオ、おでかけしよう。俺もリオにプレゼントしたい」
ひとり悶々とするわたしの手を引いて、きらきらとしたサファイアの瞳で、ノアは笑った。
* * *
この街で黒いレンガ造りの建物を目にするのも、慣れたものになってきた。
専用窓口で『ギルド認定薬術師』のライセンス発行手続きをして、処理が終わるまでは自由時間。
「おまたせ!」
小一時間ほどたったころかな。ノアが、待ち合わせにしていた2階フロアのカフェテリアにやってきた。
パタパタと足取り軽く駆け寄ってくるその両手には、紙袋を提げている。
「すごい大荷物だね」
「リオにプレゼント。はいっ、どうぞ!」
ノアはわたしの向かいの席に腰かけると、みっつある紙袋のうち、ふたつをさし出してきた。
「こんなにもらっていいの? ……わっ、かわいいローブだ!」
ひとつには、魔術師系の冒険者が好んで着るローブが入っていた。
クマのぬいぐるみみたいなテディブラウンカラーのフードつきロング丈ローブで、裏地がストロベリーピンク。胸もとで、ピンクゴールドのサテンリボンを結ぶデザインだ。
「ローブは、俺とおそろいにしてみた」
ノアがもっていた紙袋から取り出したローブはネイビーで、裏地がサファイアブルー。リボンの代わりに、シルバーグレーのクロスタイになっていた。
デザインはほとんどいっしょで、色違いのペアルックって感じ。
おそろいがよかったのか。ふふっ、なんかかわいい。
「それで、こっちが本命」
ノアに指さされて、もうひとつの紙袋を開けてみる。そこには、ショルダーバッグが。
フェイクレザーでできたふっくらとしたシルエットで、ちょっとしたおでかけによさそうな小ぶりサイズ。
これもストロベリーピンクで、留め具がリボン型のピンクゴールドになっている、かわいらしいデザインのショルダーバッグだった。
「これ、マジックバッグなんだよ。リオがいま使ってるのより、たくさん入ると思う」
「えっ、こんなにちいさいのに!?」
「調薬の道具とか、いろんな薬草とか、もっといっぱい入るようにってね。俺からのお祝いだよ。認定ライセンス取得おめでとう、リオ」
「ノア……」
安物じゃないって、ひと目でわかる。ノアがこれまで貯めたクエスト報酬で、一生懸命えらんでくれたんだろう。
「ちょっと、わたしにはかわいすぎないかな?」
「ぴったりだよ。リオの瞳とおんなじ、ピンク色だ。絶対似合う、絶対かわいい」
断言するノアに、ポカンとする。
そうだ……そうだったっけ。
黒髪に黒目の日本人じゃなくて、いまのわたしは、クルッとしたマロンの髪に、ストロベリーピンクの瞳の、リオなんだった。
ゆっくり鏡を見ておしゃれをする余裕もないくらい、がむしゃらに働いてきて……わたし自身ですら気にかけられなかったわたしを、かわいいって、ノアはほめてくれる。
独りで死んで、独りで生きてきたわたしを、やっと見つけてもらえたような、そんな気持ちになった。
「こんな素敵なプレゼントもらったの、はじめて……ほんとうにありがとう……うれしい」
「んッ……」
変な声をもらして、口をおさえるノア。
すぐにガタッと音を立てて椅子から立ち上がったと思えば、ばさり。プレゼントしてくれたばかりのローブを羽織らせてくる。
フードをまぶかにかぶらせて、サテンリボンもしっかり結んでくれる、いたれりつくせり待遇。
ノアの突然な行動のわけに、はてなを浮かべるしかない。
「もぉー、そういう顔、俺以外に見せちゃだめだよ?」
「えっ? どういう顔?」
「食べちゃいたいくらい、かわいい顔」
「えぇえっ!?」
「外じゃなかったら、もう食べてるのになぁ……」
「いやいやいや!」
「あっこら、またそんな真っ赤にかわいくなって!」
「だれかっ、だれかノアくんを止めてぇーっ!」
口をひらけば、かわいい、かわいいって。
お砂糖を煮つめても敵わないような甘い口説き文句を、サラッと口にするんだもんなぁ、この子は!
ジリリリリ!
そこへ、救世主とも呼べる音色が鳴りひびく。
わたしの懐からきこえるベルは、懐中時計にセットしていたアラームの音だ。
「あっ、時間みたい! そろそろライセンスの発行手続きが終わってるだろうから、ささっと受け取りに行ってくるねっ! ノアはさきにランチ食べてて!」
「ちょっと、リオっ!?」
呼びとめる声はきこえなかったふりで、あわてて駆け出す。
……顔が火照ってしかたないのは、ダッシュしたからだ。きっとそう。