「こちらが、『ギルド認定薬術師』ライセンスとなります。紛失の際は、再発行料金が発生いたしますので、ご注意ください」
「はいっ、わかりました。ありがとうございます!」
冒険者ギルド1階フロア、専用窓口で、ハートに翼が生えたデザインのゴールドバッジを受け取る。
これが、ひとびとの命を守る特別な薬術師の証。
糊のきいた真新しいテディブラウンのローブの左胸で、つつましくも凛と輝く光に、背すじが伸びる思いだ。
「では早速、現在『ギルド認定薬術師』向けに募集されている魔法薬販売のご紹介なのですが……リオさま、もしよろしければ、こちらの案件をおねがいできますでしょうか?」
ライセンス発行受付のときに、お仕事の紹介もしてくれないかお願いしていた。
それでピックアップしてくれたんだろうけど、1枚の文書を差し出すギルドスタッフのお姉さんの表情は、どこか煮えきらない。
気になるそのお仕事内容を記載した書面に、さっと目をとおしてみるけど……
「『ブルームの街での魔法薬納品』──ブルームって、ここから北西へ行った街ですよね? たしか、馬車で数日かかる距離だったような」
「馬車や道中の宿泊費用など、諸費用は冒険者ギルドにて負担いたします。実はこちら、至急の募集案件となっておりまして」
「……なにか、起きているんですか?」
「2週間ほど前から、モンスターの侵入が頻発する現象が見受けられるようになりまして。さいわい、一般市民への被害はございませんが、討伐にあたった冒険者を治療するための人員ならびに物資が、不足している状況とのことです」
「なるほど」
お姉さんが渋る理由が、わかった。
つまり、モンスターがうようよいる危ないところに、わたしみたいなひょろひょろ薬術師を送るわけだからね、そりゃ心配にもなるわ。
だからって、怖気づくのは違うでしょ。
「その依頼、お受けします」
だってわたしは、薬術師なんだから。
傷ついているひとがいるのに、見て見ぬふりなんてできない。
「すばらしい! その勇気と深い慈愛に、感動いたしました」
「え……?」
ふいに、背後から聞き慣れない声が。
ふり向くと、わたしより頭ひとつ分は背の高い青年が、たたずんでいた。
ミルキーホワイトの髪は、ふんわりと軽くうねったセンターパート。さらけ出されたおでこがなんともまぶしい、いわゆる美青年だ。
スッと鼻筋が通っていて、どちらかといえば繊細な顔立ちなんだろうけど、軟弱な印象は受けない。
それは、柔和なほほ笑みをわたしに向けてきた彼から、どこか只者ではないようなオーラが感じられたからなのかもしれない。
「……あなたは?」
「これはこれは。レディのお話をお邪魔した上に名乗りもせず、ご無礼を」
そういって、突然あらわれた謎の美青年は、わたしに向かって恭しく頭を垂れてみせる。
「僕はエリオル。エリオル・カーリッドと申します。どうぞお気軽に、エルとお呼びください」
エリオル・カーリッド。知らない名前だ。
でも、ひとつだけわかることがある。
わたしもそうだけど、この世界で、平民の多くは苗字を持たない。つまり。
「貴族の方が、どうしてギルドに……わたしに、どういったご用件でしょう?」
エリオルと名乗った美青年は、わたしの問いに、にっこりと笑みを深めるばかりで。
「モンスターの出没する危険な街へ向かわれるとのこと。ぜひ、僕も同行させていただけませんか? レディをお守りする
「ちょっ……ちょっと待ってください!」
いくらなんでも、話が急すぎやしないか。
「エリオルさんが、見ず知らずのわたしにそこまでしてくださる理由が、わからないのですが……」
「見ず知らず……ね」
そのとき、ほんの一瞬だけど、彼の瞳がまたたいた。
猫のように妖しく光る、蜂蜜色の瞳──って、あれ。
「ふふ、おぼえていないのもしかたないでしょうが、僕たち、会ったことがあるんですよ?」
輝く黄金の瞳を、わたしは、見たことがあるような気がする。
あれはたしか、薄暗い路地裏で──
「ねぇ……『お菓子配りの魔女』さん?」
耳もとに寄せられた唇が、そっとささやく。
その瞬間、はじかれたようによみがえる記憶がある。
「あなた、まさか……っ!」
「思い出してくれましたか? うれしいです」
やわらかい笑みを浮かべた美青年が、蜂蜜色の瞳をまぶしそうに細め、右手で掬ったわたしの髪のひとふさに、キスを落とした。
「ようやく見つけましたよ……僕の女神。あなたをさがしていたんです。『あの日』から、あなたを想わなかった日はありません」
あまいあまい声音が、わたしの思考を溶かすように、熱く染み入ってくる。
「──覚悟してくださいね? 僕を買わなかったこと、後悔させてあげます」
わたしを映した蜂蜜色の瞳は、とろっとろに、蕩けて。
* * *
「──というわけで、明日にはこの街を出て、ブルームへ向かうことになりました」
カフェテリアへ戻り、『ギルド認定薬術師』としての初仕事を受けたいきさつを、ノアに説明する。
「新しい街でお仕事だね。わかった、すぐに準備するよ。それはそうと」
ノアはひとつうなずいてから一変、キッと細めたサファイアの瞳を、わたしの隣へ向けた。
「なんで下の階に行って帰ってくるまでのあいだに、変な虫くっつけてきてるの」
「あ、あはは……これはちょっと、事情がありまして」
ノアのいう『変な虫』というのは、わたしと肩を並べた人影をさした言葉だ。
虫っていうより背後に薔薇とか咲かせてそうな、麗しいご尊顔の美青年なんですけどね。
「おや。いつの間にこんなぼうやまで手懐けたんです?」
ミルキーホワイトの髪に蜂蜜色の瞳と、甘い色合いをまとった美青年が、わたしに向かってきょとん、と首をかしげてみせた。
「なんかそれ、語弊がありますよ、エリオルさん……」
「またそんな他人行儀に。エル、でしょう?」
「めっちゃグイグイきますね、エル……」
「ふふっ、あなたと再会できてうれしいんですよ、リオ」
「だから、あんただれだよ! 気安くリオを呼ぶなっ! あっち行けっ!」
胸ぐらにつかみかかる勢いで詰め寄ってきたノアが、威嚇する。シャーッ! と全身の毛を逆立てた、黒猫みたいだ。
でも威嚇されたエルは、あわてずさわがない。
「それは無理なおねがいですね。今回のご依頼、僕も冒険者ギルドから協力要請を受けての同行になりますから」
「は? なに言ってんの。意味わかんない」
「リオの話をきいていませんでしたか? モンスターが出没するブルームに、冒険者ギルドは
「まて。それじゃあんた、もしかして」
ここまで説明されれば、ノアも理解したらしい。エルが、何者なのか。
「えぇ、わがカーリッド家は赤レンガ会──商団ギルドの、ちょっとしたえらいひとたちなんですよ。よくわかりましたね、ぼうや?」
「あのさぁ……こども扱いしないでくれる?」
エルがほほ笑むほどに、ノアの眉間のしわが深くなっていく。
……これは、たいへんなことになりそうだ。
* * *
エリオル・カーリッド。通称エル。
年はわたしのひとつ上で、19歳だそう。
やわらかい乳白色の髪に、黄金の瞳。
優雅な仕草のひとつひとつに目が惹かれる、甘い顔立ちの美青年だ。
……娼館街の薄暗い路地裏で出会い、『キャンディ』をあげたあの日から、1ヶ月。
どこか冷めたまなざしをしていた彼に、この短いあいだで、一体なにが起こったんだろう。
「おむかえに上がりました。お手をどうぞ、レディ」
「はい、リオ。足もと気をつけてね」
冒険者ギルドでエルと再会した翌日、長らく滞在していた街を出る。
馬車に乗るとき、エル、ノアのふたりに手をさし出されたときは、どうしようかと思ったけど。
すみません、リオさん、ひとりで乗れます。
おむかえに来てくれた馬車は乗り心地最高なんだけど、居心地が悪くてしかたない。
なんていうか、いたるところに導火線が張り巡らされてるっていうか。
向かい合わせになったボックスシート。
わたしの隣には、エルを睨みつけているノア。
向かいには、終始にこやかでまったく動じていないエル。
イケメンふたりが、なぜかバチバチと争っている。
なんでこんなことに?
内心泣きそうな心境に耐えているうちに、おひさまがお空の高いところまでのぼっていた。
「うぇ……」
「リオ、つらそう……あのヘラヘラ男とおなじ空気吸ってたからだよね? 大丈夫?」
「いや、ちょっと酔っただけ……酔い止めもってるから、大丈夫だよ……」
天使みたいな悪魔のノアくんが、馬車を下りてうずくまるわたしの背を、心配そうにさすってくれる。
何気に辛辣な言葉を吐きますね。だれにとは言いませんが。
これが3日間続くんだってさ。わたし大丈夫? 耐えられる?
「馬車を止めてしまって、ごめんなさい……」
急いでブルームの街に向かわなきゃいけないのに、怪我人を治療するための薬術師がダウンとか、笑えない。これじゃあお荷物だ。
「気にしないで。慣れない馬車の旅なら、無理もないことです。休める場所をご用意しましょうね」
だけどエルは怒らない。それどころか、同行していた商団ギルドの部下さんたちにおねがいして、風通しのいい木陰近くに天幕を用意してくれたほどだ。
「ちょうどお昼どきです。馬たちもひと息つきたいでしょうから、ゆっくり休憩してくださいね」
ここまでしてくれたんだもん、断るのも失礼だよね。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
スープとパンで軽く昼食をとり、自作の酔い止めを飲んだあとは、天幕におじゃまして横になる。
1時間くらいは休んだかな。目が覚めると、ネイビーのローブにすっぽり包まれていた。
ぎゅっとハグするみたいに、ノアに添い寝されてたんだ。これには笑っちゃったよ。
「んん……リオ、元気になった……? よかったぁ」
ふにゃあ、とねぼすけスマイルの癒やし効果といったら。なんて有能な抱きまくらでしょう。
酔い止めがきいたのか、頭もすっきりだ。これなら、午後は大丈夫そう!
ぐぐ~っとのびをして、はりきって立ち上がろうとしたそのとき、ちょうど天幕の入り口を開けていたエルと目が合う。
「様子を見にきました。起きていたみたいですね。お加減はどうですか?」
「おかげさまでよくなりました! ご心配をおかけしちゃって……」
「いえいえ。休息も必要ですよ。これからまた出発しますが、その前に提案があります」
「は、はい、なんでしょう!」
思わずかまえてしまったわたしをよそに、にっこりと、そりゃあもうまぶしい笑顔を浮かべるエル。
「僕と馬に乗りましょうか、リオ」
「ふぇっ? なんでまた……」
「乗りましょうね、リオ」
「へい」
なんだろう。言葉遣いはすごくやさしいのに、有無を言わさぬ圧を、エルから感じた気がするのは。
答えは、はいかイエスしか許されていなかった。