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*31* 想いの断片

「へっ、あっ! ヴァネ…………ヴァンさん!」


 危ない危ない、ヴァネッサさんはいま、男装してるんだった。本名を呼びそうになって焦った。


「ははっ、気軽にヴァンでいいからね~」

「うぅ……そうですね、わかりました」


 ボロが出ないように、お言葉に甘えてこれからは常時ヴァンさんと呼ばせてもらうことにしよう。で。


「あの、ヴァンさん……わたし、いろいろと質問があるんですけど」

「お? なにかななにかな? エルのスリーサイズ?」

「ではなくて」

「違ったかー!」


 テーブルに頬杖をついたヴァンさんが、楽しげにとんでもないものを公表する寸前までいった。えっと、個人情報です、それ。


 話が脱線した。気を取り直して、疑問に感じていたことをたずねてみることにする。そうだな……まずは。


「ヴァンさんはなんで、男装してるんですか?」

「んー、このほうが動きやすいから」

「動きやすい?」

「女ひとり旅だとナメられるけど、男のふりしてりゃ、エル以外には小言を言われなくて楽だよ」


 ヴァンさんは貴族。高貴な血筋の女性だ。


 でも快活で親しみやすいヴァンさんの人柄は、エレガントなレディ像とはかけ離れてる。だからこその疑問が、もうひとつ。


「ヴァンさんが各地を巡ってる理由っていうのは?」

「私たちはいろんな支援活動をしてるの。この街に救援物資を運んできたのも、その一環」

「そういえば……エルもそんなことを言ってたような」

「街がモンスターに襲われるなんてそうそうないし、ふだんは孤児院とかを訪問して、こどもたちとバザーをひらいたりしてるよ」

「視察、みたい感じですか?」

「そうそう。まぁこれは私個人の趣味でやってる奉仕活動だから、カーリッド家のほとんどの人間には白い目で見られてる。私財でやってんだからいいじゃんね? あっちこっち飛び回って慎ましいレディらしくない? 知るかっての!」

「ぷっ!」


 ごめんなさい。こぶしでダンダンとテーブルを叩きながら熱弁するヴァンさんがおかしくて、吹き出してしまいました。


「社交界で情報交換もだいじだけどね、私にとって、ドレスを引きずって愛想笑いのお茶会に出かけるよりだいじなことがある。だから思うがまま行動してるだけ」

「ヴァンさん……」

「それにね、家門じゃ厄介者あつかいされてる私だけど、なんだかんだ言いながら手伝ってくれるんだよ、エルだけは」


 愛人なのに、恋愛感情はない。


 ふと、エルとヴァンさんの不思議な関係性を思い出す。



 ──僕は奥さまの望むものをわたす代わりに、地位を得ました。



 エルがヴァンさんの仕事を手伝っているのは、ただ地位のため?


 ……ううん、それは違う。


 打算的な思惑はなくて、純粋にエル自身の意思で、ひとびとを助けるためにブルームへやってきた。そんな気がする。


 だって、再会してからこの街までずっと、エルの蜂蜜色の瞳は、澄んでいたから。


「エルのこと、信頼してるんですね」


 素直な気持ちでつぶやいたつもりだった。


 だからヴァンさんが、フードの影でマゼンタの瞳を寂しげに細めたとき、あれ……? って、違和感をおぼえたんだと思う。


「信頼っていうか……償い、かしらね。あの子を助けてあげられなかった、私からの」

「それは、どういう……」

「私ね、こどものころのエルに会ったことがあるの。エルは覚えてないかもだけどね」


 ヴァンさんは、おさないエルを知っている。でもエルは、ヴァンさんを覚えていない。


 それは、いったいどういうことなんだろう……?


「あの子の置かれていた環境は、それはもう酷いものだった。いま思い出しても反吐が出るくらい。だけど、むかしの私はなんの力もなくて、どうにもできなかったから……」


 ぽつぽつと語るヴァンさんの声は、静かなものだった。


 まるで、あふれそうな感情を、押し殺しているみたいに。


「幸せになってほしいの。それが、カーリッド家に迎えるとき、私からエルに出した条件」


 ヴァンさんは、過去の無力なじぶんを悔いている。


 ただただ、エルに幸せになってほしいとねがっている。


 どうしてヴァンさんが、エルとわたしの仲を取り持とうとするのか。


 その想いを、すべてじゃない断片でも、こうして知ることになるなんて。


「ねぇリオちゃん」


 どう反応していいのか迷っているうちに、ヴァンさんの手が、テーブルの上のわたしの右手にかさねられた。


「あなたと出会わなかったら、エルはとっくに、生きるのを諦めてたと思う。あの子の人生に『光』を取り戻してくれて、ありがとう」


 ……あぁもう、ヴァンさんってば。


 このタイミングでそのセリフは、反則じゃないですか?


 心の底からわたしを想ってくれるエルに、わたしは、なにをしてあげられるんだろう?


 エルの幸せを想うヴァンさんの期待に、どうすれば応えられるんだろう?


 考えてもすぐに答えが見つからなくて、思考停止してしまう。


 そんなわたしに落胆するわけでもなく、むしろヴァンさんは、慈愛に満ちたまなざしを向けてくれる。


「結婚しろだなんて無理強いはしないわよ。あなたをその気にさせるのは、エルの役目だもの。ちょっかいを出しすぎて、エルに嫌われるのもいやだしねぇ……って、あらやだ。私ったら素で話しちゃってたわ」


「変声魔法具使ってんだから、気をつけなきゃなー」と、ヴァンさんはハスキーな男声でからからと笑って、パンッ! と両手を打ち鳴らした。


「さぁさぁ、なんだか真面目な話はこのくらいにして! ほかになにがききたい? リオちゃんになら、なんでも教えてあげちゃうぞー」

「えーっと……」


 そう言われると、やっぱりすぐには思いつかない。


 マグに入ったお水をひとくち、ふたくち飲んで、そうだ! とひらめく。


「ヴァンさんって、旦那さんがいらっしゃるんですよね? どんな方なんですか?」

「おーっとぉ、早速ぶっ込んだのがきました」

「えっ、だめでした!? わたし恋愛とかよくわからないので、教えてもらえることがあればと思ったんですけど」

「ほほぉ~、恋愛、したいんだ?」

「そっ、そりゃあわたしだって、人並みには興味はありますっ!」

「ははは! そうだよね。ごめんごめん。あいにくと、ご期待に添えそうにないや」

「と、言いますと……?」


 折り入った事情があるんだろうか。


 はっ……そうだ! 貴族の結婚には政治的な思惑がからむから、恋愛結婚のほうがまれだって、婚約破棄モノのラノベで読んだ! うわぁ……なんでいま思い出すのかな!


 となれば、ヴァンさんの言葉どおり、ぶっ込んだ質問をしてしまったわけで。


 おそるおそる様子をうかがえば、「ちょーっとややこしいんだけどねぇ」と断って、ヴァンさんが話し始める。


「あいつさ……あいつってのはうちの旦那ってことになってる従兄のことなんだけど、不治の病で倒れて」

「不治の病!? それにあの、いとこ間の結婚ですか!?」

「そうそう、表向きは療養中ってことになってるの、うちの従兄」

「んっ? どういうことですか……?」

「あいつね、嫡男のくせに十数年前に屋敷を飛び出してから、行方知れずでさ。曲がりなりにも侯爵家がそんなザマだなんて、格好のゴシップ案件じゃない?」

「まぁ……一面飾れそうなスクープにはなりますね」

「で、後継者がいないだなんて公表できるはずないから、苦肉の策として偽装結婚したの。あいつは床にふせってることにしておいて、カーリッド家がおこなっている事業は、侯爵夫人の私が管理してるってわけ。私も家門の人間だからね、家のゴタゴタはじぶんでどうにかしてやったわ」

「それはまぁ……あはは」


 どうしよう、想像の100倍くらい凄まじいお家事情だった。庶民のわたしでは、なんとも言い難いのですが。


「ったくあの野郎、なよなよしてたくせに人が変わったみたいな行動力見せてくれちゃって。ヤバイ宗教にハマったせい?」

「あー、なんかそれ、他人事にきこえないですー」

「あれ、そうなの?」

「わたしの父も、ヤバイ宗教に入れ込んじゃって」


 ヤバイ宗教にハマるひとって、意外とそのへんにゴロゴロいるもんなんだね。


 悟りをひらきそうになりながら、ヴァンさんに壮絶な『幼女脱臼事件』について語った。


「……で、怒鳴り散らしながらギャン泣きしたら、『娘は悪魔に取り憑かれたんだ……!』って捨てられました」

「──は? なにそのクソ野郎。信じらんない」


 ですよね! と笑い話で済まそうとしたけど、無理だった。


 だってヴァンさんがギラリと赤い瞳をまたたかせて、ひっくい声でうなったから。


「ちっちゃいリオちゃんとか天使でしょうに。キュートなエンジェルを捨てるとかあり得なくない? 親の風上にも置けないわ……あああ考えただけで胸糞悪いったら! いっそのことうちにくる? そうだ、うちの子になりなさい! リオちゃん!」

「えっ? ヴァンさ……」

「クソ野郎のせいで、若いのに苦労してきたんだねぇ……私が養ってあげる! うちにおいで、リオちゃ~ん!」

「むぐぅっ!」


 なんだろう。身の上話をしたら、感極まったヴァンさんに熱いハグをされてしまうという。


「ついでにエルと結婚したげて! 気が向いたらでいいから!」

「あ……あははは」


 ヴァンさんにぎゅむぎゅむと抱きしめられながら、うれしくも苦笑いを浮かべるしかないわたしなのでした。


「ていうか、肝心のエルはどこで油売ってんの?」


 ひとしきり熱烈ハグを堪能して、満足したのか。ガッシリとわたしをホールドしていた腕をゆるめたヴァンさんが、不満そうにつぶやいた。


 たしかに、いつもなら朝のあいさつを交わしてる時間も、とっくにすぎてる。


「おとといとは違って、昨日はモンスターの襲撃はなかったんですよね?」

「そうそう。だから睡眠時間はたっぷり取れてるはず。そもそも、エルが寝坊したとこなんて見たことないけどね」

「わたしもです……」

「部屋にリオちゃんがいないってなれば、鬼の形相で探しまわってそうなもんだけど、まったく、なにやってんだか」

「まさか、急病で倒れてたりしないですよね……!?」

「いやぁ、私が刺しても死にそうにない男だけど、リオちゃんが心配なら行きますか、エルの部屋!」

「はいわかりました! ってはぃいっ!?」

「そうと決まれば、とつげ~き!」

「わ、ちょっ、ヴァンさん力強っ……」


 うっかりうなずいちゃったのが、まずかった。


 喜々として椅子から立ち上がったヴァンさんに手を引かれ、なかば引きずられるように、食堂を飛び出す。


「えっと、ララ! 朝食ごちそうさまーっ!」

「はいは~い!」


 かろうじて、朝ごはんのお礼だけは言い残せた。

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