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*32* 望まない再会

 一度おとずれたことのあるエルの部屋。


 だけど、たどり着く前に、回廊ですれ違った商団ギルドのお兄さんが、驚くべきことを言い放った。


「エリオルさまをおさがしですか? 急な来客があって、その対応をされていますよ。各ギルド関係者でも、街の関係者でもないときいていますが」

「部外者ってこと? この時期にブルームへ来るなんて、とんだ物好きもいたもんだ」


 ヴァンさんの言うとおりだ。


 連日モンスターの襲撃を受けているこの街が危険なことは、近隣の街や村にも周知されているはずだから。


 商団ギルドのお兄さんに教えてもらったとおり、エルがいるという庭園へヴァンさんと向かうと──たしかに、いた。


 臨時ポータルの設置されたすぐ近くで、だれかと向き合っている。


「エル?」


 呼んでみたけど、返事はない。いつもならすぐわたしに気づいてほほ笑みかけてくれるエルが、背を向けたまま、わたしに気づかない。


 それくらい、目の前にいるひとに、集中してるってこと。


「……おひさしぶりです。こちらには、どういったご用件で?」


 ふだんは柔和なエルの声が、どこか硬い。抑揚もない。


 そっとエルへ歩み寄る足を、思わず止めてしまった。


 なぜなら、エルを取り巻く空間が、底冷えするくらい、冷え切っていたから。


「傷つき、不安な夜をすごすひとびとへ、神の祝福を授けに」


 次にきこえたのは、若い男性の声だ。


「この世に神などいません」

「かつて神の御前にお仕えしていた者の言葉とは、思えないな」

「『仕えさせていた』の間違いでは?」


 淡々と返すエルの言葉は、あからさまに刺々しい。


 それは、ヴァンさんに対するものの比じゃない。明確な拒絶と、嫌悪感によるものだった。


 ここまで来れば、エルと向き合った人物が歓迎されていないことは、いやでもわかる。


「あの男、神殿の関係者だね」

「神殿の……ですか?」

「そ。しかもあの純白の衣裳、大神官クラスだ。んー、顔がよく見えないな」


 たしかに、庭園をいろどる薔薇のしげみに阻まれて、エルのすがたもよく見えない。


 大神官らしき男性とエルが、なにをしているのか?


 なりゆきを見守っていると、しばらくの沈黙があって、次に口をひらいたのは、くだんの男性だった。


「では、日をあらためてうかがうとしよう」

「また追い返されるとはお思いになりませんか?」

「思わないな。ひとびとはかならずや、神の慈悲を乞うだろう」


 風が吹き、薔薇の葉がそよぐ。


「エリオル」


 黙りこくるエルへ歩み寄った男性の顔が、あらわになった。


「…………え?」


 そのとき、その瞬間。


 見えた。見てしまった。エルと言葉を交わしていた男性の顔を。


「エリオル。ひとたび神へその身をささげたおまえは、すでにわがしゅのものだ。どこにいようと、神がさだめる運命からは逃れられない」


 わたしの心臓は、バクバクバクと異様に加速をはじめる。


「──ッ!!」


 とっさにローブのフードをまぶかにかぶり、後ずさっていた。


「リオちゃん? どうしたの?」


 わたしの異変に気づいたヴァンさんが、心配そうに声をかけてくれる。


 だけど皮肉なことに、そのやさしさが、わたしの望まない展開をまねいてしまう。


「……リオ? いたのですか?」


 エルに、気づかれてしまった。


「ごめんなさい、朝のごあいさつにうかがえなくて……どうしたんですか、からだがふるえてます。具合が悪いのですか!?」


 顔を隠したくらいじゃ、エルの目はごまかせなかった。


 フードをにぎりしめた手がわずかにふるえていることすら気づかれて、血相を変えたエルが駆け寄ってくる。


「ヴァン、彼女になにかしたんじゃないでしょうね」

「濡れ衣だよ! ここに来るまでなんともなかったってば!」

「どうだか。……部屋まで送ります。今日は一日無理をしないで、休んでください。ね? リオ」


 やわらかくほほ笑みながら肩を支えてくれるエルは、わたしの様子がおかしい本当の理由に気づかない。気づけるはずもないんだけど。


「…………『リオ』?」


 エルの言葉に反応したのは、あの男性だ。


 わたしは神殿なんか行ったことがなければ、大神官の知り合いもいない。


 だけどわたしは、彼を知っている。そして、彼もまた。


「そこにいるのは、まさか……リオなのかい?」


 こわごわとわたしに問いかけてくる彼は、アッシュグレーの髪に、葡萄酒のように深みのある赤い瞳。


 男性にしては柔和で、繊細な顔立ちだった。


 その顔を、わたしは知っていた。


 ……忘れたくても、忘れることのできない面影だ。


「答えてくれ……リオなのかい?」


 わたしはぐっと唇を噛んで、答えない。それが、なによりの答えになってしまった。


「っ……リオ」


 たまらない、といったように踏み出した男性が、純白の神官服をひるがえして、あっという間に距離をつめる。


 しなやかな腕が伸びてきて、顔を隠していたフードを脱がされるのも、時間の問題だった。


 そのとき、すぐそばで、はっと息をのんだような気配があった。エルだろうか、ヴァンさんだろうか。


「あぁ……やっぱり、リオだ」


 葡萄酒色の瞳をゆらめかせた男性が、ひたりと、わたしのほほに手のひらをふれあわせてきて。


「会いたかった……私のリオ……っ!」


 それからはもう、感情のままに、きつく抱きしめられる。


 痛いくらいの息苦しさにつつまれながら、混乱真っ只中だった。でもそれは、わたしだけじゃなくて。


「……待ちなさい。あんた、テオ……テオバルトじゃないの」


 低くうなるような発声があった。


 わたしを抱擁した男性が、怪訝そうにヴァンさんをふり返る。


「なぜ、私の名を?」

「知ってるに決まってるでしょうが……!」


 投げやりに言い放ったヴァンさんが、まぶかにかぶっていた外套のフードを脱ぎ、指にはめていた変声魔法具も引き抜く。


「まさかこんなところで再会するとはね、テオバルト!」

「……これはおどろいた。ヴァネッサか?」


 マゼンタとワインレッド。微妙に色味は違うけれど、おなじ赤系統のまなざしが、絡み合った。


「なんであんたが、リオちゃんに馴れ馴れしくしてんのよ!」

「リオが私のリオだからだが」

「意味わかんないわよ!」


 まって。エルだけじゃなくて……ヴァンさんも、このひとと知り合いだったの?


 いよいよ、わたしの混乱も最高潮に達していた。


「私のリオ。この子は私の、愛しいひとり娘だ」

「はっ……?」

「……なん、ですって」


 呆然とするヴァンさん。エルも、蜂蜜色の瞳を見ひらいて硬直している。


「つらい思いをさせたね……ごめんね、おまえを想うがゆえに、厳しい仕打ちをしてしまった」

「……おとう、さん」

「なんだい? パパにしてほしいことがあれば、なんでも言ってごらん」


 にっこりと浮かべられた表情は、バースデーにクマさんのぬいぐるみをプレゼントしてきたときのそれと、まったくおなじだ。


「嗚呼、神よ……立派に成長した娘とふたたびめぐりあわせていただき、ありがとうございます」


 ぎゅうぎゅうとわたしを抱きしめるお父さんは、涙すら浮かべている。


「……冗談はよしてよ」


 そんななか、これまできいたことのないほどの低音で、ヴァンさんがうなった。


 鋭く細めたマゼンタの瞳で、お父さんを睨みつけている。


 そして次の瞬間。ヴァンさんは、衝撃的な言葉を放つのだった。


「いきなり家門を飛び出して行方をくらませたと思ったら……あんたがリオちゃんの父親ですって? いったいどういうことか説明しなさい、テオバルト・カーリッド!」


 なにを言われたのか、すぐにはわからなくて。


 その言葉が指す本当の意味を理解したとき、キャパシティーオーバーをむかえたわたしの思考は、ぶつりとブラックアウトした。

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