テオバルト・カーリッド。
ヴァンさんが話していた、『十数年前に家門を飛び出した従兄』が、お父さん? お父さんが、カーリッド侯爵家の嫡男だった……?
気になることは、それだけじゃない。
(……見間違い、じゃないよね?)
もういちど、記憶のなかの面影と、目の前のお父さんをかさねてみる。
錯覚じゃない。神官服を身につけているかどうかという違いだけで、お父さんは──
「ヴァネッサ、君になにを説明しろと?」
「じぶんのひとり娘を捨てておいて、どの口が……ッ!」
カッとマゼンタの瞳を見ひらいたヴァンさんが、お父さんの胸ぐらをつかんだ。
でも、お父さんはうろたえない。葡萄酒色の瞳でまばたきをして、きょとんと首をかしげるだけだ。
「わからないな……君に、私たち親子のことは関係がないはずだが?」
「関係あるわよ! リオちゃんがあんたの娘なら、私とも血がつながってる……私にとっても家族ってことよ!」
「家族、か。君がそう思っていても、ほかの人間はどうだろうね」
「なんですって……!」
「ヴァネッサ。その答えは、君に対する家門の人間からの風当たりを思えば、わかるはずだろう?」
唇を噛みしめるヴァンさん。
追及の言葉が止むと、お父さんはおもむろに右腕を持ち上げ、胸ぐらをつかんでいたヴァンさんの手をそっと押しのけた。
庭園に、痛いくらいの沈黙が流れる。
「リオ」
「っ……!」
名前を呼ばれ、愛おしげに細められた赤い瞳を向けられたとき、わたしのからだは、反射的にこわばってしまう。
「突然の再会で驚いているんだろう? わかってるよ。大丈夫だから、パパのところにおいで、リオ」
だけれども、伸ばされたお父さんの手がわたしにふれることは、なかった。
「──さわんないでくれる?」
いまのいままで庭園にすがたがなかったはずの、あの子の声がひびいた。
ハッと顔をあげれば、わたしを背にかばい、お父さんの右手首をつかんだノアが、そこに。
「……君はだれかな?」
笑みをひそめたお父さんが、ネイビーのフードをすっぽりとかぶったノアを、さぐるように見つめている。
「父親だかなんだか知らないけど、リオにさわるな。……あんた、嫌な『におい』がするんだよ」
ノアはお父さんの問いには答えない。嫌悪感を丸出しにして、つかんでいた手首を放るように離すだけだ。
「いっしょにいたくても、いられない家族だっているのに……じぶんから家族を捨てたあんたが、いまさら父親面をするな」
重みのある言葉だった。
それは、大好きなお父さんを亡くしたノアの言葉だからこそ。
「大神官さま」
わたしを完全に覆いかくすように、エルがノアと肩をならべた。毅然とした態度で、お父さんと対峙している。
「卑しい僕に、あなたの高尚なお考えは理解できません。ですが、これだけはわかります。あなたの愛が、一方的なものでしかないということです」
「ほう……それで?」
「彼女のためを想うならば、お引き取りください」
「あらエルったら、やさしいわね。このクソ野郎は、まずぶん殴られてしかるべきじゃない?」
あの朗らかなヴァンさんまで殺気立って、お父さんを睨みつけていた。
3対1。どちらが不利かは、言うまでもないだろう。
「やれやれ……物騒なことだ」
それでも、肩をすくめてみせるだけで、お父さんは取り乱さない。
「どうやら、私たちのあいだには誤解があるようだ」
「誤解……?」
「すべては、おまえを愛していたがゆえだった」
「っ……!」
「いますぐに、とは言わないが。ふたりで話す機会をくれないかい? リオ」
話す? いまさら、なにを?
あなたがわたしを『悪魔』だって遠ざけて、わたしが何年も独りぼっちですごしてきた事実は、どうしようもないのに?
……あぁもう。こうやって、卑屈になってしまうじぶんが、一番嫌だ。
「いつまでも立ち話もなんだし、私とお茶でもしましょう、テオ? ここのスウィートルームに案内してあげるわ」
いい加減にしなさいよ、と。
目の笑っていないヴァンさんが、お父さんの腕に腕をからませる。有無を言わせない凄みがあった。
お父さんは眉をひそめ、するりとヴァンさんの腕をほどいて、淡々とひと言。
「案内していただこう。じゃあリオ、また」
最後にそう言い残し、ヴァンさんに連れられたお父さんが遠ざかっていく。
その背が完全に見えなくなったとたん、がくりとひざの力が抜けた。
「リオっ!」
「大丈夫ですか、リオ!」
すぐさまノアが腕をつかんで、エルが背を支えてくれたおかげで、ころばずにすむ。
「不意討ちにもほどがあるでしょ……ははっ」
お父さんを前にしてろくにつむげなかった言葉がようやく出たかと思えば、かすれてしまった。
「ごめんなさい、ふたりとも……情けないところ、見せちゃって」
「リオは悪くないでしょ。謝んなくていいんだよ」
うつむいた頭をぽんぽんってされたら、目頭から熱いものがあふれそうになって、こらえる。
「にしても……想像の100倍は胸くそ悪い人間だったな。あんたも、神殿の関係者だったって?」
ノアの問いは、エルに向けられたものだ。
すこし考え込むような間があって、エルが口をひらく。
「僕は孤児でしたので、物心がついたときには神殿に引き取られていて、神の教えというものを日々学んでいました。テオバルト大神官さまは、当時の僕の教育係をしていらしたんです」
「じぶんの娘もろくに育てられないで、孤児の教育係? なにが『神の祝福を授ける』だよ。ほんとふざけてる」
「えぇ。僕も彼のことが苦手で、神殿を出たんです」
「むかしの話です」と締めくくって、エルはそれ以上語ることはなかった。
「苦手っていうか……エル、お父さんのこと、嫌いですよね? わたしのことも、幻滅しました……?」
こわごわと問いかけると、蜂蜜色の瞳が見ひらかれる。
「なにをばかなことを言ってるんですか。リオはリオです。僕があなたを嫌うだなんてことは、ぜったいにあり得ません!」
「わわっ!」
「好きですよ、リオ。大好きです」
「ねぇちょっと! 調子に乗りすぎじゃないかなぁっ!?」
「んむむぅ~っ!」
ぎゅうっとエルにハグされたかと思えば、目を三角につり上げたノアが飛びついてきて、エルを引きはがそうとしてくる。
ふたりのあいだでもみくちゃにされて、リオさん窒息しそうなんですが、あの、エル、ノア?
「ところで、きみにしては遅いお越しでしたね、ノアくん?」
「寝てたらロープでぐるぐる巻きにされてたんだよ。リオを探しまわるあんたがどんな顔するか楽しみってひとにね」
「あぁ……ご愁傷さまです」
「他人事みたいに言うなよ!」
ふたりのもみあいが言い合いにシフトしたところで、ようやく呼吸困難から抜け出せたわたし。そういえば、と不思議に思うことがある。
「けっこうガッチリみのむしにされてたけど、よくほどけたね?」
「いや、俺がほどいたわけじゃなくて、おちびが食いちぎって…………あっ」
とここでノアくん、口をつぐみます。やっば、という表情で。
「『おちび』?」
だけど、首をかしげたエルを見て、時すでに遅しってやつを悟ったよね。
そんなわたしとノアに、追い討ちをかける大事件が襲います。
「ガウガウッ!」
……聞いてはいけない鳴き声を聞いた。
3秒くらい思考停止して、壊れたロボットみたいに、ギギギ……とふり返る。
「ガウッ、ガゥウッ!」
そして、見てはいけないものを見てしまいました。
城内のほうから、わたしめがけ、とてててっとダッシュしてくるちっちゃな怪獣さんです。
「おちびちゃんきちゃったーっ!?」
「ガウッ!」
「やばいやばいやばい……!」
とっさに腰をかがめて、ぽふんっと抱きついてきたおちびちゃんを受けとめる。
「ガウ?」
「あっ、おまえ! 部屋で待ってろって言っただろ!」
「クゥン……キュウン」
「んぐっ……いやいやいや、そんな顔してもだめだから! だれかに見られたら大変なことになるんだぞ!」
ノアもあわてて叱りつけてるけど、エメラルドの瞳をうるうるさせてるおちびちゃんを前に、攻撃力が半減してる。
「……エル」
「はい、リオ」
「見ましたよね?」
「えぇ、ばっちりと」
太陽も裸足で逃げ出す、爽やかシャイニングスマイルをいただきました。
でも、どうしようかと頭をぐるぐる回転させるわたしをよそに、エルの反応は好意的なものだった。
「可愛らしいドラゴンさん、いえ、ワイバーンさんですね。ブルームへ来る途中に出会った彼のご家族でしょうか?」
「かなぁって思うんですけど、街がこんな状況なので、さがしにも行けなくて」
「ふむ……こどもとはいえC級モンスターですし、ほかの冒険者に見つかると、ややこしいことになりますものね。それで、おふたりがこっそりお世話していたというわけですか」
「察しがはやくて助かります……」
「そういうことでしたら。ワイバーンさん、僕はエリオルといいます。はじめまして」
「ウ! ガウガウッ!」
「ふふ、人なつっこいですねぇ。可愛いです」
エルが差し出した右手に、ちっちゃなおててで元気よくぺしぺしタッチしているおちびちゃん。これが、おちびちゃんなりのごあいさつらしい。
「さいわい、ここへやってくるまではだれにも見られていないようです」
「でも、これから部屋に帰るまでが大変だよ……リオが心配なのはわかるけど、おねがいだから、おとなしくしててってば」
「……ムゥ」
とほうに暮れたノアの言葉に、おちびちゃんはぷいっとそっぽを向く。あらら、スネちゃった。
「いじわるしてるわけじゃないんだよ、ごめんね」
愚図る赤ちゃんをあやすみたいに、だっこして背中をぽんぽんしてあげたら、あざやかなクリムゾンレッドの頭をぐりぐり胸に押しつけられて、ローブをきゅっとにぎられた。
そっか……わたしがいなくなったから、心配してさがしに来てくれたんだよね。怒れないよなぁ。
「なるほど。リオ、僕にいい考えがあるのですが」
しばらくなりゆきを見守っていたエルが、にっこりとほほ笑みかけてくる。
「いい考え……?」
「要は、ワイバーンさんに冒険者たちが手出しできない状況にすればいい。そうですよね?」
「そりゃあそうですけど、どうやって?」
「リオ、僕と違って、あなたはギルド所属の冒険者です」
「え、あ、はい」
「冒険者ギルドは複数のクラス所得を許可しています。そしてあなたの薬術師というクラスは、魔術師から派生したものです。魔術師のなかには、モンスターを使役して闘う冒険者もいます」
ここまでくれば、エルがなにを言おうとしているのか、察しがつく。
「それって、つまり」
おそるおそる見つめ返したわたしに、エルは満面の笑みで、決定的なひと言を放った。
「えぇ。そのワイバーンさんと『契約』してみてはいかがですか? リオ」