目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

*36* この世に神がいるのなら

 白昼の街で、モンスターが出現した。


 その衝撃的な一報はまたたく間に旧ブルーム城内を駆け巡り、ひとびとを震撼させた。


(今回は、いままでとは状況がちがう……)


 モンスターは夜行性のものが大半という共通認識から、夜間は一般市民の一切の外出を禁止し、冒険者がモンスター討伐をおこなっていた。


 でも今回は外出制限のかかっていない日中に襲撃があったことで、モンスターとの戦闘に慣れていない一般市民も危険にさらされている。


(ぼーっとしてる場合じゃない。わたしもできることをしなくちゃ!)


 負傷者は、すぐに受け入れられる体制をととのえておかなければ。


 庭園での一件後、そのまま臨時ポータルを使って街へ向かったエルを見届けたわたしは、深く考えるまでもなくローブをひるがえす。


 全速力で向かったのは、パーティー用の大ホール。このあいだ同様、負傷者が大勢発生した場合の受け入れ先として、あらかじめ確保していたんだ。


「包帯とガーゼよし。調薬道具の煮沸消毒もできてるよ。薬草は足りそう?」


 わたしから指示するまでもなく、必要なものはノアが手早く準備してくれた。


「ありがとう! 上級ポーションをできるだけ作っておきたいの。冒険者ギルドに申請してた治療用物資が地下の倉庫に届いてるはずだから、これを持ってきてくれる?」

「トレントの樹液にグリフォンの爪、妖精ニンフの鱗粉だね。了解」

「うんしょ、うんしょ……あるじさまー、ユウヒおつかい行ってきましたー!」


 足りない上級ポーションの材料を書いたメモをノアにわたしたところで、ホールにはつらつとした声がひびいた。


 入り口のほうを見てみると、なにやらわたしの身長ほど積み重ねられたシーツの山が、よたよた近づいてくるんですけど。なにあの白い布おばけ……って!


「ユウヒ!? そんなにいっぱい持って、大丈夫!?」

「前がみえないけど、もつのはできますぅ」


 ユウヒには、負傷者をやすませるためのリネン類を用意してもらえないか、商団ギルドのひとに声をかけてほしいとおねがいしていた。


 だけどまさかのまさか。あんなに大量に、ユウヒが持ってくるなんて!


「ユウヒ、こっちに置いてくれる?」

「えーっと、ここですか? はいです!」


 前が見えなくてえっちらおっちら歩くユウヒに声をかけ、ひとまずホールの隅にシーツの山をおろしてもらった。


「ユウヒはちからもちなのです。むんっ!」


 わたしより小柄なユウヒだけど、さすがドラゴンの血を引く混血児。ふつうの人間より身体能力が高いみたいだ。


「すごいねぇ。助かったよ、ありがとう」

「あるじさまの役に立てたですか? えへへ」


 ひと仕事を終え、得意げに胸を張るユウヒのクリムゾンレッドの頭を、なでなでしてあげる。


 キラキラとしたエメラルドの瞳をふにゃっと細めて、ユウヒはうれしそうにしていた。


「次は、上級ポーション用の薬草の下処理をして……」


 現状この街には、わたししか治療師ヒーラーがいない。


 なにが起きているかまったく予想できない状況だけど、最悪の事態だけはなんとしても避けなければならない。


 わたしが、がんばらないと。


「リオ、ちょっといい?」

「……うん?」


 ふと気づくと、サファイアの瞳が、やけに近いところにある。


 どうしたの、ノア?


 なんて聞き返そうとした唇を、ふさがれる。


「んっ……!」


 やわらかい感触のあとに、かぷりと、軽く牙を立てられる感触。


 甘噛みをされる最中に、ふぅ……と、ゆっくり、じっくりと、呼気といっしょにあたたかいものを吹き込まれる。


 とたん、見違えるように、からだが軽くなる。


「エネルギー補給は、しとかないとね」

「えっ……あ、ありがとう」


 そっと唇を離したノアだけど、依然としてととのったご尊顔が至近距離にある。


 急な出来事に呆けてしまったわたしは、遅れてノアのほうからなにやら言いたそうな気配がするのを、ビンビンに感じ取った。


「ねぇ、言ったよね。俺のことも頼ってねって」


 そういうノアの声は、ちょっと低い。


「もう血にひるまないで治療を手伝うし、魔力ならいくらでもあげる。俺にもできることをするから、リオだけががんばろうとしないで」

「……ごめん」

「怒ってるんじゃない、心配なだけなんだ。リオってだれかのためになると、無茶するから」


 静かに言葉をつむいでいたノアが、ふわっと表情をやわらげる。


「俺のだいじなリオを、リオもだいじにして?」


 しまいには、そんな殺し文句と笑顔を炸裂させるとか、もう。


 このイケメン、じぶんの顔面の威力をちっともわかってない。


 とどめとばかりにちゅっとキスされたほほが熱くなって、ボンッと頭が爆発したみたいに、なにも考えられなくなった。


「わ……わかり、マシタ」


 コクコクコクと片言でうなずくことしかできないでいたら、「ふはっ!」と吹き出すノアくん。ちょ、どこに笑いの要素ありました!?


「前が、前がみえないですぅ~」

「あ、そうだった」


 思い出したように、ノアが片手で羽交い締めにしていたユウヒを離した。そこではじめて、ノアがユウヒに『目隠し』してくれていたことに気づき、さらにカッと顔が熱くなる。


『目隠し』のおかげで、わたしとノアがキスしているところは、ユウヒには見られていないんだと思う。


 というか、ハーフドラゴンのユウヒなら、その気になればノアも振りほどけたはずなんだけど、ノアが離すまでおとなしくつかまってたのはなぜ? 空気? 空気読んでくれたの?


 ありがたいやら、恥ずかしくて死にそうやら。待ってほしい、これどういう情緒でいればいいの?


「よし、さっと地下倉庫に行ってくるよ」


 そうこうしているうちに、ノアがメモ片手にホールを出てっちゃうし。


 なんでノアは涼しい顔してるのかな? ひとりだけあわあわしてるわたしがばかみたいなんですけど!?


「わぁ、あるじさま、顔がまっかっかです。お熱ですか!」

「ははは……大丈夫、気にしないで」


 熱くてしょうがない顔をパタパタと右手であおぎながら、ユウヒに苦笑を返したときだ。



「リオちゃん! よかった…………うん? その男の子は?」



 ほぼノアと入れ替わりで、ハスキーな声が、わたしを呼んだ。



  *  *  *



「この子が、ベッドに転がってたちっちゃいワイバーン? あれま、よくできた人形かなんかかと思ってたよ。え、ワイバーンじゃなくてドラゴンなの? しかも人間とのハーフ? びっくりだねぇ!」


 ホールに駆け込んできたのは、ヴァンさん。


 ユウヒのことはまったく知らないはずなので、事情をかいつまんで話した。もうエルも知ってることだしね、ヴァンさんに隠す理由もない。


 はじめこそおどろいていたヴァンさんも、ユウヒを好意的に受け入れてくれた。


 と、ユウヒについての話題が一段落したところで、ヴァンさんに質問する。


「あの、わたしにお話があったんじゃ?」

「街がモンスターに襲われてるんでしょう。真っ先にエルが飛び出してったって聞いたよ」

「はい……あれから連絡がなくて、状況がわからないんですけど」

「こういった事態を想定して冒険者ギルドと商団ギルドが対応のシミュレーションをしていたし、いまは両ギルド関係者が連携して、街のひとびとの避難誘導に当たってるはず」


 ヴァンさんがいうには、両ギルド関係者で複数の混合チームを組み、冒険者がモンスターを撃退しながら、商団スタッフが街のひとを避難させているとのことだ。


旧ブルーム城ここでの対応は私にまかせて。モンスター討伐状況、住民の避難状況はエルから逐一報告があるから」

「エル、大丈夫ですよね?」

「大丈夫。通話の片手間にモンスターぶった斬るくらい、なんてことない男だし。リオちゃんに褒めてもらおうと絶賛フィーバー中だろうから、帰ってきたらキスでもハグでもしてあげて」


 即答だった。ヴァンさんはほんとうにエルを信頼してるんだなってわかるし、おどけてみせてわたしの緊張をほぐそうとしてくれていることに、感謝しかない。


「で、ここからはもっと折り入った話なんだけど……テオのこと」


 きたな、と。


 真剣な面持ちで向き直ったヴァンさんを、わたしもあごを上げて見つめ返す。


「お父さんは、どうしていますか?」

「ひととおり問い詰めてみたけど、笑っちゃうくらいに『大神官さま』だね。神がどうのこうのとか、リオちゃんに会わせろとかやかましいから、部屋に鍵かけて置いてきた。消化不良もいいとこだっての」


 お父さんに関して納得いかないことばかりでも、いまはモンスターの襲撃でそれどころじゃない。


 鬼みたいな顔をしていたヴァンさんも、ふと息をついたかと思えば、表情をやわらげた。


「ストロベリーピンクの瞳……赤みをおびたその瞳が、おなじカーリッド家の血を引くからだったなんて」

「そう、だったみたいですね」

「こんなときに言うことじゃないけど、先延ばしにしていい問題でもないから、あえて言うよ。リオちゃん、私のところにおいで」

「それは……カーリッド家にってことですか?」

「あなたと私は血のつながった親戚。エルのこと関係なしに、あなたを迎え入れたいと思ってる」


 書類上でお父さんとヴァンさんが結婚しているなら、その場合、わたしはヴァンさんの娘ということになる。


「……すごく、ご迷惑をおかけすることになると思います」

「迷惑なわけない。あなたはカーリッド侯爵家の令嬢として、相応の待遇を受けるべきなの」


 降って湧いたような令嬢の存在。そんなばかな話があるかと思うけど、実際ほんとうのことで、当事者がわたし自身だってことをいまだに信じられずにいる。


 カーリッド侯爵家嫡男、現在大神官さまの私生児。あらためて考えてみると、すさまじい出自だな、わたし。


「返事はいますぐじゃなくていい。考えておいてね」

「……はい」


 ヴァンさんの好意に戸惑いしか返せないのが、申し訳ない。



 ──すべては、おまえを愛していたがゆえだった。



 愛していたのなら、どうしてわたしを捨てたの?

 捨てたわたしを、いまごろどうしたいの?

 お父さんはなにを考えて、なにをしようとしているの?


(頭の中がぐちゃぐちゃで、どうにかなりそう……)


 それでも、怖気づかないで、前を見なきゃ。


 ノアにエル、ユウヒ、ヴァンさん……みんながいる。わたしはもう、独りじゃないでしょ。


 この問題は、いつか直接お父さんと話をして、わたしがじぶんで解決しなきゃいけない。


 そのいつかは、きっと間近にせまっている。


 なら、いっそのこと。


「ヴァンさん、お父さんのいる部屋に案内してもらえませんか?」

「いまから……? 大丈夫なの?」

「はい。神官なら、神聖力で治療できるんですよね」


 そこまで言えば、ヴァンさんもはっとしたように、わたしの考えに気づいたみたいだ。


「『神の祝福』ってやつを、見せてもらいましょう」


 この世に神がいるというのなら、証明してもらわないと。


 そうだよね? お父さん。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?