「どこに行こうとしてるのかな、リーオ?」
ヴァンさんとの話がまとまったタイミングで、ノアが地下倉庫からもどった。
わたしがただならぬ様子でホールを出ていこうとしていた時点で、なんとなく察したんだろう。にこやかに声をかけてくるけど、目が笑ってない。
「ちょっとお父さんのところにカチコミに」
そうとだけ言えば、ノアはため息をつく。それから手にしていた上級ポーションの材料を、調薬道具のある作業台に置いた。
「だめ、行かせない。……って俺が止めても行くんだよねぇ、リオは」
「大神官さまなら治療もお手の物なはずなので、世のためひとのためにボランティアをしてもらおうかと」
「うん……じゃあ、そういうことにしといてあげる。ただし、あのひとがすこしでも妙な真似したら、たとえリオのお父さんでもただじゃおかないから」
「その点に関しては遠慮はいらないよ。リオちゃん泣かせたら思う存分ぶん殴ってよし。私が許す」
「そう? ならお言葉に甘えて。おちびも噛みついたり引っ掻いたりしていいからな」
「むむ……『ぼうりょく』はすきじゃないけど、『せいとうぼうえい』なら、しかたないのかな……?」
ノアやヴァンさんは殺気マシマシだし、ユウヒもうまい具合に言いくるめられてるし。
すごく物騒な気もするけど、わたしにとっては他人事だ。これも日頃の行いのせいなので受け入れてください、お父さん。
「みんな、ありがとう」
じぶんのことのように怒ったり心配してくれるみんなのやさしさに、はげまされる。
「行きましょう」
うつむいてばかりじゃいられない。
ぐっと顔を上げて、わたしはホールの外へと駆け出した。
* * *
この世界における魔法の基本属性は、火、風、土、雷、水の5属性。ほかには少数派ながら、光や闇属性の使い手もいる。
だけどごくまれに、そのいずれにも該当しない魔力の持ち主が存在する。
それが全属性と、無属性の魔力の持ち主だ。
全属性は、その名のとおりすべての属性の魔法をあやつることのできる豊富な魔力を持つことが特徴。
魔法式を一度書いただけでどんな属性の魔法も使いこなしているノアは、おそらく全属性の可能性が高い。
そして、全属性と正反対な魔力の性質を持つのが、無属性の使い手──わたしのように、治癒魔法をあつかう
そもそも属性を持つということは、相性の影響を受けてしまうということだ。たとえば水が火の勢いを弱めてしまうように、水属性の魔力が火属性の使い手の体内に入り込むと、かえって副作用を引き起こしてしまう可能性がある。
だからこそ、どんなひとのからだにもなじむように考案された治癒魔法は、属性を持たない無属性に分類される。
かくいうわたしも無属性だ。冒険者ギルドの健康診断でもそう認定されている。
無属性なのに火や風属性の魔法を使えるのは、市販の
もちろん
そんななか、治癒魔法と似て非なるもの──神聖力というものがある。
実を言うとこれがどういったものなのか、わたしは詳細を知らない。神聖力に関する技法書は門外不出、神殿の関係者しか閲覧を許されないためだ。
ただ治癒能力に優れていて、神殿をおとずれるひとびとの怪我や病気を治しているというのは、古くから有名な話だ。
要するに、無属性を持つひとが治療系の冒険者になれば
そして、『ギルド認定薬術師』のわたしの血縁……おなじ無属性である可能性が高いお父さんが神殿の大神官さまをやっているなら、神聖力を使うことができてもなんら不思議はないわけで。
「モンスターが出没するこの街に、単身でやってきたくらいです。最低限の度胸はあると思います」
「口だけじゃなく、この非常事態下でも冷静に対処できるはず、か。馬に乗って狩りもできないくらい気弱な温室育ちのおぼっちゃまが、変わったもんだね……あぁいや」
わたしの一歩先を行くヴァンさんが、「それもちょっと違うな」と首を横にふった。
「テオのやつ、性格はガラッと変わったのに、なんていうのかね……」
ヴァンさんが言葉を見つけられず、首をひねる理由はわかる。
『それ』こそ、わたしもお父さんと再会したときにおぼえた、違和感の正体。
「お父さん、見た目がまったく変わってないんですよね」
「そういえば、リオの父親にしてはやけに若い気がしてたけど、俺の気のせいじゃなかったんだね」
「家出したのはもう十数年も前なのに、ありゃ私が最後に見た20代の外見よ。私より年下って、どんな若作りしたらそうなるわけ? なんかヤバイクスリでもキメてんじゃないの?」
「ヤバイ宗教にハマッてましたからね、あり得ない話でもないですけど」
それがほんとうかどうかを追及するときは、いまじゃない。答えてくれるとも限らないし。
「モンスターの襲撃を受けているこの街で貴重な治療要員として、協力してもらう。それだけです」
「そうだね、こき使ってやりましょう。…………うん?」
回廊のちょうど曲がり角で、ヴァンさんが足を止める。
遠くへ視線を向けたマゼンタの瞳が、みるみるうちに見ひらかれた。
「そこでなにやってるの!」
「わっ……!」
ヴァンさんが声を張り上げた先。回廊できょろきょろとしていたハニーブロンドの少年には、わたしも見覚えがあった。
「きみ、ルウェリン!?」
「だれ?」
「ノアは会ったことがなかったね。ここのアカデミー生の子だよ」
だけど、どうして? ヴァンさんに聞いた話だと、モンスター襲撃の一報があってからアカデミー生は寮室から出ないよう、指示が出ていたはずでしょ?
「リオさん、すみません! でも、たいへんなんです!」
パタパタと駆け寄ってくるルウェリンの顔は、真っ青だ。
「なにがあったの?」
「レオンが……スープをこぼした服を洗濯に行ったレオンが、もどってこないんです。付き添いの姉さんも!」
「うそでしょ、ララもですって!」
「ほんとなんです、洗濯物だけ干してあって、洗濯場のどこにもいなかったんです!」
たらりとこめかみに冷や汗がつたうのが、じぶんでもわかった。
(待って、洗濯が終わってるのに一向にもどらないのは、おかしすぎる。しかもこのタイミングで……!)
いまモンスターに襲われているのは、街だ。
だけど、ふと思い出すことがある。
この旧ブルーム城も、おなじブルームにあることには変わりないって。
「……あるじさま。いやな風が、ふいてます」
しんと静けさにつつまれるなか、袖を引かれる感触があってふり返る。
ユウヒだった。あざやかなクリムゾンレッドの髪を風になびかせながら、庭園のほうを警戒している。
「……血のにおいもするな」
次いで、顔をしかめたノアが、立ち止まったわたしの一歩前へ出る。
ただならぬ気配を察したヴァンさんも、腰に提げた剣へ手を添え、すばやく視線を走らせた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……ぶっそうですね」
静かにつぶやいたユウヒの様子が、一変。
「──上空に敵性反応を感知。防衛体制に移行します」
カッとエメラルドの瞳が見ひらかれた瞬間、ユウヒの周囲で、熱風が巻き起こった。
ぶわり、と急上昇した熱風が、庭園の上空にすがたをあらわした『影』を飲み込む。
「ギィィ、アンギャァアア!」
けたたましい叫び声が頭上でひびきわたった。
熱風に揉まれた『影』は、赤や黄の毒々しい色のトサカを持った、ニワトリのからだにヘビのような下半身をしたモンスターで。
「冗談でしょ……なんでこんなところにコカトリスがいるわけ! しかも群れで!」
ヴァンさんの叫びが、どこか遠くに聞こえる。
コカトリス。モンスターに疎いわたしでも、よく知っている名前だ。
きわめて獰猛な習性を持つことから、冒険者ギルドがさだめる討伐難度はB──通称『空の暴れん坊』だ。それが、3体も。
「まずいっ……みんな、鼻と口をおさえて! コカトリスの吐く息には猛毒がありますっ!」
「シャアアァアアッ!」
「きゃっ……!」
「あるじさま!」
とっさに鼻と口を手で覆った直後、コカトリスが猛然と羽ばたき、暴風を起こす。
あまりの風圧に大きくよろめいたわたしを、ユウヒが受けとめてくれる。細いのに、わたしが身動きしてもびくともしない、力強い腕だった。
「させるかっ……『トルネイド』!」
すぐさまノアがネイビーのローブをひるがえし、両手をかざして魔法陣を展開。緑色のまばゆい光とともに、最大出力の風魔法で、反撃をこころみる。
ゴウッと空間ごと切り裂くような竜巻が、3体のコカトリスたちに襲いかかった。
「ギャッ!」
「グゥ……」
「ンギィイィイッ!!」
やったか。
そう思えたのもつかの間のこと。ノアの『トルネイド』に全身を切り裂かれているというのに、コカトリスたちは羽ばたくことをやめない。白く濁った目が、わたしたちをとらえた。
毒性を持つモンスターは、薬術師なら知っていて当然なのに。
「あ…………」
ヘマをした。コカトリスの目を見てしまったんだ。
コカトリスの視線には、神経を一時的に麻痺させる魔力作用もある。
まずいと思ったときには、もう遅い。
ぴしりと、からだが石のように動かなくなった。
「リオ! このっ……うっ!」
迫りくるコカトリスからわたしを遠ざけるため、魔法を発動させようとするノアだけど、それも叶わない。
翼が切り刻まれようがおかまいなしに羽ばたくコカトリスたち。その血液が、わたしたちの頭上に降り注いだためだ。
生温かい真紅の雨が、ジュワ……とローブに染み込む。鼻を突き刺すような刺激臭が、容赦なく追い討ちをかける。
「うぅ……」
「ルウェリン、しっかりしなさい!」
コカトリスの血にあてられてしまったのか。うずくまるルウェリンを抱きとめたヴァンさんも、顔面蒼白だ。
「あるじさまに、さわらないでください!」
「……ユウ、ヒ……だ、め……」
ろくに動かせない口をこじあけ、わたしをかばうように前に出たユウヒを呼ぶ。
この場で動けるのは、ユウヒだけ。でもだめ、だってユウヒは。
「ギギギ、ギャアアァアアッ!!」
まさに狂ったようなコカトリスの群れが、わたしたちに襲いかかる。
からだの自由をうばわれ、恐怖に目を閉じることもできない。
死という言葉が脳裏に浮かんだ、そのときだった。
「──
祈るようにひびく声があった。
視界をさえぎる背中があった。
純白の神官服とアッシュグレーの髪が、止まったような時間で、網膜に焼きつく。
見間違うはずがない。
わたしとコカトリスのあいだに立ちはだかったのは、お父さんだ。
「哀れな者に救済を。慈悲の
おだやかな祈りの声とともに、お父さんが手にした白銀の
旧ブルーム城に、まばゆい閃光が走った。