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*38* 守るべきものがあるから

 真っ白な光に目がくらんで、なにも見えない。


 なにが起きたのか、まったくわからない。


 なすすべのないわたしのからだを、ふわりとつつみ込むぬくもりがある。


「リオ。私の愛しい子。怖がらないで、目をあけてごらん」


 子守唄みたいにやさしい声が、すぐそばで聞こえる。


 自由のきかなかったからだが、ふと軽くなる。


 おそるおそるまぶたを持ちあげて、わたしを見つめるお父さんを前に、思考停止した。


「お、とう、さん……」

「そう、いい子だ」


 愛おしげに葡萄酒色の瞳を細めたお父さんが、ちゅ、とひたいにキスをしてきて。


「パパがいるんだから、怖いことはなにもないよ」


 よしよしと、くり返し頭をなでられる。


 わたしがこどものころ、怖い夢を見て眠れなかった夜に、そうしてくれたように。


 あぁ……そういえば、そうだった。



 ──リオ、愛してるよ。



 お父さんがベッドで添い寝しながら、そう言葉にするのを毎晩欠かさなかったことを、幼心におぼえている。


 すくなくとも、この世に生まれてからの3年間、わたしは愛されていた。


 愛されていたからこそ、わけがわからなくなるんだ。


 わたしを捨てたお父さんを憎んでいるのか、じぶんでじぶんがわからない。


「う……ぁ、うぁああ……!」


 ぼろぼろと熱いものが両目からあふれる。


 頭の中がぐちゃぐちゃになって、言葉にならない。


 ひざの力が抜けても抱きとめられて、わたしはお父さんの両腕の中。


 泣きじゃくりながら、お父さんの胸にすがりつくことしかできない。


「テオ……あんた、どうやって部屋を抜け出したの!」

「それは、いま重要なことではないだろう」


 即座に返したお父さんの表情は、淡々としたものだった。


 ふと視線をそらしたお父さんにつられて空を見上げれば、頭上に光の防御壁のようなものが展開されていることに気づいた。


 依然としてコカトリスが襲いかかってくるけれど、翼が巻き起こした風は、ことごとくはじき返されていた。


「私の神聖力でバリアを張っている。コカトリスの攻撃はこちらには届かないが、ヴァネッサ、君はすでに毒を受けた身だ。これ以上毒が回らないよう、おとなしくしていたほうがいい」

「くっ……!」


 毒……そうだ、毒!


 お父さんの言葉に、わたしは稲妻に撃たれたかのごとく我に返らされた。


「ヴァンさん、ルウェリン! しっかりして……ノア!」


 顔面蒼白で地面にうずくまる3人へ駆け寄る。


 コカトリスの吐く息に猛毒があるなら、その血は言わずもがな。血の雨をあび、その毒に3人がむしばまれていることは、一目瞭然だった。


(わたしも毒をあびたけど、動けないほどじゃない……)


 薬術師として長年いろんな薬草や毒草をあつかううちに、毒に対してある程度耐性がついたから。


 動けないみんなのことを思えば、軽い悪寒がするくらい、なんてことはないはずだ。


「ふぇぇ……ユウヒがどうにかできたらいいんですけどぉ……」


 毒をあびたわたしたちの中で、ユウヒだけがなんともない。コカトリスよりも高ランクのドラゴンだから、人間わたしよりも毒への耐性が強いはずだ。


 ただ、ユウヒ自身は治療ができるわけじゃない。両ひざをついたノアをささえて、泣きそうになりながらわたしを見上げてくる。


「レオン、姉さん、どこにいるんだ……ねえ、さん……」


 紫色に染まった唇で、ルウェリンがうわごとのようにこぼしている。まずい、全身に毒が回りはじめてる……!


(ララたちをさがしに行かなきゃ……でも、みんなをここに置いては行けない! コカトリスだって倒せてないのに!)


 どうしよう? どうすればいい?


 この場でどうすべきか。なにが最善策か。


 考えろ、考えろ、考えろ……!


「……あいつらを、ぶっ飛ばせば、いいんだろ」


 緊迫の瞬間。低い声を発したのは、ノアだった。


「コカトリスがいなくなれば、リオが解毒治療に集中できる……俺が、あいつらを全滅させる……!」

「そんなっ、これ以上魔力を消費したら、毒への抵抗力が……いくらなんでも無茶だよ、ノア!」

「無茶でもやるしかないだろ! こっちがやり返さなきゃ、みんな死ぬだけだ!」

「っ……」


 そうだよ。ノアの言うことは正しい。


 行動に移せないのは、わたしにコカトリスを倒すための実力と勇気がないからだ。


「リオを守るって、あのひとと……エリオルと約束した。俺は、こんなところで負けるわけにはいかないんだよ……!」


 もともと、ノアは血が苦手だ。


 猛毒を含むコカトリスの血をあびて、つらいなんてものじゃないだろう。


 でも、ノアは歯を食いしばって立ち上がるんだ。


 フードを脱いだそのサファイアの瞳に、闘志をたぎらせて。


「君……その顔は、どこかで」


 なにかに気づいたようなお父さんの声が、頭上でこぼれた直後。


「ぶっ飛べ──『ステラ・ブラスト』ッ!」


 ノアの絶叫がひびきわたる。


 空高くにかざされたノアの手のひらに、ギュイン、と球体のような魔力が集束。


 パチパチと白と黒に明滅する魔力の凝縮体が、ギリギリまで引き絞られた矢のように、瞬間的に解き放たれた。


 わたしたちを覆う光のバリアを貫通した一撃が、空中のコカトリスたちをも貫く。


「あれは、光と闇の複合魔法……ほとんど使い手のいない、星魔法じゃないの! それを、ろくな詠唱なしでっ……!」


 おどろきに染まるヴァンさんの表情が、ノアの桁違いな魔力、その威力の凄まじさを物語っていた。


「ヒギィアアアァアアアッ!!」


 閃光、爆風。

 そして庭園をゆるがす、断末魔の叫び。


 土煙が消え去ったとき、大きくえぐれた地面に、3体のコカトリスが倒れ伏していた。


「……やった、か……?」

「コカトリスを、倒した……すごい、すごいよノアっ!」

「そう、か…………よかったぁあ!」


 張り詰めた緊張の糸が途切れたんだろう。ノアががくりとひざからくずれ落ちた。


「ノア、大丈夫!?」


 膨大な魔力量を誇るノアも、魔力を使い果たしたみたいだ。


「はは……ちから、はいらないや……そういえば、朝ごはん、たべてなかったかも」

「ノアっ!」


 へにゃっと破顔したノアを見たら、安堵から無性に泣けてきちゃって、わっと抱きついてしまう。


「リオ……俺の力で、みんなを守れた、よね」

「うん、ありがとう……ノアがいてくれて、よかった……!」


 正直もうだめかも、死ぬかもって思った。


 でも生きてるんだ。ぎゅうっとノアの首にしがみついて、苦しいくらい抱きしめ返されたら、夢じゃないんだって実感できる。


「感動の抱擁をしているところ、水を差すようで申し訳ないが」

「……お父さん?」


 やっと終わった。そう思っていたのに、わたしたちに声をかけてきたお父さんは、腕を組み、神妙な面持ちで。


 ピシピシ…………パリィイン!


 ガラスが割れるような音を立てて、お父さんのバリアが消え去ったとき、わたしは衝撃的な光景を目の当たりにする。


「ギギ……ヒギ…………ケケケケケッ!」


 コカトリスたちが、激しく痙攣し、奇声をあげながら起き上がる光景だ。


「……そん、な……うそ、でしょ……」


 確実に致命傷は負わせた。なのに、なんで……


「化物かよ……くそ……」


 ぐっと唇を噛みしめたノアが、かばうようにわたしを抱きしめる。


 だけど、ノアの腕には、さっきまでの力強さがない。激しく体力と魔力を消耗したせいで、手足に力が入らないんだ。


「ケケッ……ケタケタケタ……」


 あり得ない方向に翼が曲がり、ぎょろりと目玉の飛び出したコカトリスたちが、どす黒い血を流しながら、千鳥足で近づいてくる。


 この世のものとは思えない不気味な嗤い声が、一瞬にしてわたしを恐怖のどん底へ突き落とす。


 ……だめだ。


(怖がってる場合じゃない、なんとか、しないといけないのに……!)


 わたしの意思とは裏腹に、わたしの手足は思うように動いてはくれない。


「まったく、手をわずらわせてくれる……愚かな」


 深くため息をついたお父さんが、おもむろに十字架ロザリオを取り出す。


 そして、ふたたび天に向かって祈りが捧げられるよりも先に、スパァンと、コカトリスの首が飛んだ。


「…………え?」


 わたしは呆然として、ふき上がる血しぶきをながめる。


「おや……これは」


 十字架ロザリオをかかげる手を止めたお父さんは、声にわずかなおどろきをにじませる。


「少々、遅刻してしまいました」


 やわらかな声が聞こえた。


 でも、どうしてだろう。聞き慣れたはずのその声を耳にして、身ぶるいしてしまったのは。


「……エル……?」


 問いかける声がか細く消え入りそうになったのは、突然あらわれた彼が、わたしの知る彼とまったく違う雰囲気をまとっていたからだ。


 手にした白銀の剣を振り、ピ、とコカトリスの血を飛ばした彼が、わたしをふり返り、蜂蜜色の瞳を険しく細める。


「ほほに怪我をしていますね、リオ」

「……あ」


 言われてみれば、右のほほがピリピリ痛いような。


 コカトリスの風攻撃を受けて、切れたのかな。かすり傷程度だけど……


「リオを泣かせたのも……あなたがたですか?」


 コカトリスに問いかける声は、凍りついたような寒々しさだ。


 間違いない。彼が……エルが激怒している。


「ふふっ……では、お望みどおり切り刻んでさしあげましょう。塵も残らないほどに」


 いっしょに過ごすうちに、エルを知ったような気持ちになっていたけど、そんなのわたしの思い違いだった。


 だって、知らなかったの。


 いつもほほ笑んでいるエルは、激怒したときも、わらうんだってこと。



「乱れ舞いなさい──『聖花剣フローシア』」



 エルがうっそりと笑みを浮かべた刹那、ぶわりと、強烈な甘いにおいに襲われる。



「さぁ──『花葬かそう』を、はじめましょうか」


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